〜さまざまな愛の形〜アレクサンドラ・フョードロヴナ
皆様、いつもありがとうございます✨グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。
ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。
先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。火曜日・木曜日にまとめて投稿しています。該当する偉人がいない場合はお休みです。
長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。
楽しんでいただけたら、嬉しいです。
7月13日は、プロイセン王女、ロシア皇帝ニコライ1世の皇后であったアレクサンドラ・フョードロヴナが生まれた日。
(1798年7月13日 - 1860年11月1日)
プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世と
その王妃ルイーゼの長女として生まれた。
19歳の時、遠縁に当たるロシアのニコライ・パヴロヴィチ大公と結婚し、ロシア名アレクサンドラ・フョードロヴナに改めた。
アレクサンドラは夫からも義母マリア・フョードロヴナからも可愛がられ、幸せな家庭を築いた。
長身ですらりとした女性で、音楽や舞踊を愛し、
宮廷生活を楽しんだ。
ニコライは1825年に皇帝ニコライ1世として即位し、
アレクサンドラは皇后となった。
14年間で4男3女の絶え間ない妊娠・出産により健康を害し、
医師からこれ以上の妊娠は母体が危険と宣告され、
夜の生活を営めなくなってしまう。
そのため、夫には愛妾が必要となり、
19歳のアレクサンドラの女官バルバラ・ネリドヴァがその相手になった。
嫉妬などのマイナス感情で苦しむも、
夫を心から愛し、そして控えめで謙虚だったバルバラを受け入れ、良好な関係を築いた。
1855年2月にニコライ1世が急逝したのち、
バルバラとともにツァールスコエ・セローで暮らした。
1860年11月、アレクサンドル宮殿で永眠。享年62歳。
最後の言葉は「ニキ(ニコライの愛称)、今行くわ」だったそう。