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ドイツ出身の女優、歌手、マレーネ・ディートリヒ
12月27日は、ドイツ出身の女優、歌手、マレーネ・ディートリヒが生まれた日。伝説の女優といわれている。(1901年12月27日 - 1992年5月6日)
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グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。
ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。
先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。
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プロイセン王国近衛警察士官の次女としてベルリンで生まれる。幼くして父が病死、継父も第一次世界大戦で戦死。生活費を稼ぐため酒場などで歌っていた。
また、フランス語を独学で習得。18歳で国立ヴァイマル音楽学校に入学しヴァイオリニストを目指すが、手首を痛めて音楽家の道を断念した。
1921年にマックス・ラインハルトの演劇学校に入学、翌年1922年9月に舞台デビュー、その後、ゲオルク・ヤコビ監督の『小さなナポレオン』のメイド役で映画デビュー。
行動的かつ男性的な性格で、自国のナチスの台頭を嫌い、アメリカにとどまり、終生ドイツには帰らなかった。
セクシュアリティやファッションの世界でも数多くの型破りな行動をしてきたことで知られている。
百万ドルの脚といわれながらも、当時は少なかったパンツルック=男装を好み、時々見せる脚線美で観客を魅了、その美貌で一世を風靡した。イヴ・サンローランのデザインした服を着ることが多かったよう。
戦時中、連合国の慰問をどの映画俳優よりも数多くこなした。
ベルリンの無名時代に知り合った助監督の男性と終生添い遂げたものの、出産後、夫との性的な関係を一切断つ。そして次から次へと恋人を作っていった。
マレーネはスターになったとき既に結婚していて娘もいた。が、それを隠しもせず、撮影の現場にも連れて行ったそう。家庭的で、ホテルでもアイロンがけも料理もこなした。
でも恋愛は別で、作家のレマルク、ヘミングウェイとも浮名を流し、ジャン・ギャバンとは一時同棲もしていた。しかし夫とはお互いの人格を認め合って、尊敬しあい「理想の夫」と呼んでいた。
他にも監督フォン・スタンバーグ、コレット、ガートルード・スタイン、俳優は、ジェームス・スチュアート、ジャン・ギャバン、フランク・シナトラ、ユル・ブリンナーなど。
夫にもターミという名前のマレーネ公認の愛人がいたよう。
彼女の口癖は、
“愛とは、愛することを楽しむこと、愛されることを待つことではない”だった。
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