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70年代を代表する作詞家、安井 かずみ

1月12日は、70年代を代表する作詞家、安井 かずみが生まれた日。(1939年1月12日 - 1994年3月17日)愛称はズズ(ZUZU)。日本基督教団のクリスチャンでもあった。神奈川県横浜市出身。享年55歳。

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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クリエイターとしての仕事を持ち、自分の稼いだお金で贅沢をする、そして抜群のファッションセンス。

中高とミッション系のフェリス女学院に通いながら、彼女は茶道、華道、ヴァイオリン、ピアノ、バレエ、日舞、フランス語、英語、油絵様々な教養を身につけた。美術大学を目指すも不合格となり、両親の薦めで私立の文化学院美術科に入学。

学生時代、シンコーミュージックでのアルバイト時代に得意の語学力を活かして、訳詞の第一人者・漣健児こと草野昌一の下で洋楽曲の訳詞をするように。その頃手がけた初期の作品に、「ヘイ・ポーラ」や「レモンのキッス」、「G.I.ブルース」などがある。

類まれなセンスで訳詞、作詞ともに次々とヒットを飛ばし伊東ゆかりの「おしゃべりな真珠」で日本レコード大賞作詞賞を受賞。
安井は26歳にして世間の注目を浴びる。

以降も彼女は様々な才能を発揮、自由奔放なライフスタイルも注目を浴び、時代の寵児として人気を博した。

伝説のレストラン「キャンティ」が彼女の運命の分岐点だったよう。

「実に私にとってキャンティーは素晴らしい駆け込み寺的存在であった。キャンティーに行けばいつも楽しかったから。いつもグルメと芸術とヨーロッパがあったから、いつも仲間がいたから・・・私はオレンジ色のロータス・エランをぶっ飛ばして、人生は何も恐くなかったが、ふとよぎる虚しさと孤独は常に友だちだった」

安井かずみ「30歳で生まれ変わる本」より

55才で亡くなる短い人生であったが、33冊のエッセイと4,000曲あまりを手掛けた。

余談ですが、20代の時、彼女の本を読んで影響受け、サンローランの服を着て、週に一回青山の紀伊國屋インターナショナルまで車で行き、生鮮食材や輸入食材を買ってました。

今でも憧れの方です。


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