世界一手が美しいと謳われた王妃の数奇な運命 〜アンヌ・ドートリッシュ〜
9月22日は、ブルボン家ルイ13世の后、アンヌ・ドートリッシュが生まれた日。ルイ14世の母。
(Anne d'Autriche, 1601年9月22日 - 1666年1月20日)
父は名門ハプスブルク家スペイン王フェリペ3世、母はマルガレーテ。
スペイン中北部のベナベンテ宮殿で生まれる。
快活で美しく、また馬術に長けたこの上ない高貴なプリンセスだった。
当時、スペイン・ハプスブルク家はフランス・ブルボン家と敵対関係にあったが、和睦のために、たった14歳でアンヌはルイ13世に嫁いだ。
が、夫は花嫁に興味を持たず、さらに姑のマリー・ド・メディシスにはいびられた。
当時、フランスは、ヨーロッパの中では小国の一つ。
スペインは、文化も経済もフランスよりも上だった。
実際、アンヌの輿入れの際、チョコレートがスペインからフランスにもたらされた。
そのためか、アンヌはスペイン流の生活をし続け、フランス語もままならなかった。
が、栗色の髪、色白の肌、青い目そして並ぶ者なしと称された白い美しい手を持った彼女の美しさは比類なきものだった。
そんな中、アンヌにとある出会いが訪れた。
その相手は名うてのプレイボーイ、バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズだった。
フランスの宿敵、イングランド王チャールズ1世の寵臣だった。
1617年、ルイ13世は母マリーの力を削ぎ、アンヌの女官を全てフランス貴族に替えさせた。
アンヌはフランス風のドレスを着始め、リュイヌは王妃とベッドを共にするよう国王に勧めた。
何らかの発展があり、アンヌが病床に伏した時には国王はひどく取り乱すほどになった。
だが、王妃が続けて流産をして国王が失望すると、再び関係は冷え切ってしまう。
アンヌは16年間も世継ぎをもうけることができないまま、実家のハプスブルク家と嫁ぎ先の関係は益々悪化していく。
そんな中、バッキンガム公ジョージ・ヴィリアーズがアンヌに近づき、2人はかりそめの愛を育んでいった。
が、1628年にバッキンガム公は暗殺され、アンヌは悲しみにくれる。
1635年、フランスは三十年戦争に参戦してスペインに宣戦布告。
アンヌの立場は益々苦しいものになっていく。
そんな中、運命の女神はアンヌに微笑んだ。ある夜、ルイ13世が嵐のため、やむなく立ち寄った王妃の館で一夜を過ごした。
その結果、1638年9月5日、ドーファン(王太子、後のルイ14世)が生まれ、ブルボン王家の血統が続くことになる。
アンヌ42歳の時に、ルイ13世は崩御。
ドーファンは、それに伴い、ルイ14世に即位、アンヌはその摂政に就き、実権を握った。
前宰相リシュリューの腹心だったジュール・マザラン枢機卿を宰相とし政権を任せ、自らも彼と同棲をし、世間を驚かせた。
それはマザランの死去まで続いた。
1666年1月20日、アンヌは乳癌により死去。享年65歳。
彼女のストーリーは大デュマの小説『三銃士』の題材になり、映画化もされている。
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