ジェーン・ラッセル〜マリリンをいつも庇っていたセクシー女優〜
皆様、いつもありがとうございます✨グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。
ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。
先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。火曜日・木曜日にまとめて投稿しています。該当する偉人がいない場合はお休みです。
長文につき、時間があるとき、興味がある方をご覧くださいね。
楽しんでいただけたら、嬉しいです。
6月21日は、米国人女優のジェーン・ラッセル(1921年6月21日 - 2011年2月28日)が生まれた日。50年代のセックスシンボルでありながら、敬虔なキリスト教徒で、身持ちが固いことで有名だった。
女優を引退後、世界養子縁組国際代理協会(World Adoption International Foundation: WAIF)を設立し、海外から4万人以上も孤児の縁組みを果たした。ジェーンは過去40年間に亘り協会の委員を務め、推進役として数限りなく一般に呼びかけた。
ミネソタ出身。
本名はアーネスティン・ジェーン・ジェラルディン・ラッセル(Ernestine Jane Geraldine Russell)。ジェーンが幼年期に、カリフォルニア州サンフェルナンド・ヴァレーへ移住。父親が若くして亡くなったため、写真のモデルをして家計を助けた。
グラマー女優として有名になるほど、作品が検閲にすぐ引っかかり話題となった。本人はいたって陽気であっけらかんとしたもので、「肉体は隠すから汚くなるもので、太陽の下ではさらせばさらすほどきれいになるものよ。」と意に介さなかったそう。
最初の夫で、アメリカンフットボール選手だったロバート・ウォーターフィールドは幼なじみであった。二度目の夫、三度目の夫とも亡くなるまで連れ添っている。また、彼女は孤児を3人、養子にしている。
出演した『紳士は金髪がお好き』の撮影中、メディアは、マリリン・モンローとの不仲を望んだが、2人は仲が良かった。気っぷの良い姉御肌のジェーンが、内気で神経過敏なマリリンを常にかばい、マスコミ取材には防御役となっていた。
のちに5歳年下のマリリンを「妹のようだった」と述懐。
サンタ・マリアの自宅で家族に囲まれ、呼吸器不全で息を引き取った。
ジェーン自身は子供が生めなかったが、6人の孫、そして10人の曾孫ができた。
享年89歳。