ドイツ帝国の医師、ベルツことエルヴィン・フォン・ベルツ
1月13日は、ドイツ帝国の医師、ベルツことエルヴィン・フォン・ベルツが生まれた日。明治時代に日本に招かれた御雇外国人のひとり。
27年にわたって医学を教え、医学界の発展に尽くした。滞日は29年に及ぶ。(1849年1月13日 - 1913年8月31日)享年63歳。
東京医学校(現在の東京大学医学部)の教師として働くかたわら、宮内省侍医も務め、明治天皇や皇太子(後の大正天皇)の主治医も務めた。
ベルツは29年間にわたり日本で活躍した。
与えられた仕事以外にも、彼は日本に強い関心を持つようになり、日本と日本人について多数の論文と本を著し、世界における日本のイメージの向上に大きく貢献した。
例えば、ベルツは日露戦争を背景に1904年、(日本人の戦士的精神、死を軽んずることについて)という小論をドイツの新聞に掲載し、日本人の死活観を紹介した。(後にこれはナチス政権によりドイツ人もこの同盟国日本の価値を見習うべきだという趣旨で利用された。)
その他、日本の温泉を世界に紹介し、特に草津温泉の医学的有効性を評価したことである。
ベルツは1878年から草津温泉を訪れるようになり、「草津には無比の温泉以外に、日本で最上の山の空気と、全く理想的な飲料水がある」と日記に記している。今日まで「草津の恩人」として町民から尊敬され続けている。
草津町は町制施行100周年を迎えるにあたり、2000年に草津温泉とベルツ博士の関係を後世に伝えるために「ベルツ記念館」を開館したそう。
また、また富士屋ホテルに滞在の折、女子従業員がヒビやアカギレの手で働いているのを見て、グリセリン、エチレンアルコール、水、水酸化ナトリウムに香料を混合処方したグリセリンカリ液を処方したところ、大変喜ばれたという。これが後に、多くの女性に愛用されて有名になった「ベルツ水」である。
これは後に、美肌水 ”美人アレシラズ”の商品名で大阪の盛香薬館から発売された。
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