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オードリーの生涯の友だった美貌の女優

1月6日は、フランスのモデル、女優だったキャプシーヌが生まれた日。(1928年1月6日 - 1990年3月17日)享年62歳。

Capucine、1928年1月6日 - 1990年3月17日

皆様、いつもありがとうございます✨
グリーンビューティ®研究家の青木恵と申します。

ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。
聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。

先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。

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フランス南東部ヴァール県サンラファエル出身といわれている。
が、生涯を通し、自分の出自を隠し続けたため、詳細はわからない。

パリの観光旅行中、カメラマンにスカウトされ、モデルの道へ入った。
ディオール、ジバンシー等1950年代から60年代を代表するモデルとなる。

その傍ら、映画にも出演。映画初出演は、ジャン・コクトー監督作『双頭の鷲』。

フランス人らしいエレガントな雰囲気、典雅でドラマティックな風貌は、ハリウッドでも注目を集め、本格的に女優業をスタートさせる。

大ヒットしたコメディー映画『ピンクの豹』は、彼女の代表作。生涯に渡り3作のピンク・パンサーシリーズに出演。

優雅で美しい反面、はっきりとした物言いなど冷淡と取られる事も多く、またマスコミに対して非協力的であったため、身に覚えのないレズビアン説、トランスセクシャル説を流される。

私生活では、『第七の暁』などで共演したウィリアム・ホールデンとは2年間交際したが、当時彼は既婚者。
が、1981年に亡くなったホールデンは彼女に5万ドルの遺産を贈った。

80年代も映画やドラマに出演し続けていたが、うつ病に苦しみ、仕事以外は自宅に引きこもりがちで、危機的な状況を何度も救ったのが近くに住んでいたオードリー・ヘップバーンだという。

オードリーによれば、名前も、ジェルメーヌ・エレーヌ・イレーヌ・ルフェーブルという名を使っていた時期もあったが、どれもしっくりこなかった。

キャプシーヌという名前に落ち着いたのは、それが彼女のお気に入りの南米のエキゾチックな花”金蓮花”のフランス語名だからだった。

1990年にスイスのローザンヌの自宅で自ら命を絶った。遺言は、28年間住み続けたアパートの売却とその収入をユニセフや赤十字に寄付するようオードリーに託した。遺灰は、ユベール・ド・ジバンシィに送られ、故郷のフランス サン=ラファエルに撒かれた。


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