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今日の偉人・貴人(更新終了)

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貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことを投稿しています。先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。 …
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#ナポレオン

男装し、煙草を吸い、馬で闊歩したフランス最後の皇后

5月5日は、フランス皇帝ナポレオン3世の皇后、ウジェニー・ド・モンティジョが生まれた日。(1826年5月5日 - 1920年7月11日) 父親譲りの勇敢さと彼女の美しさの評判はフランスだけではなく、ヨーロッパ中で知られ、ファッションリーダーとして、現在のインフルエンサーの比にならないほど一世を風靡した。 生い立ち スペイン・グラナダ出身。 テバ伯爵・モンティホ伯爵・アルガバ侯爵およびペニャルダ公爵の称号を持つスペイン貴族ドン・シプリアーノ・パラフォクス・イ・ポルトカレ

皇帝の遺志を継ぐナポレオン2世の悲劇的な生涯

3月20日は、ナポレオン1世の嫡男で、フランス帝国の皇太子、ローマ王であったナポレオン2世、ライヒシュタット公が生まれた日。(1811年3月20日 - 1832年7月22日)ハプスブルク家、始まって以来の美青年と謳われた。 【生い立ち】 父は、フランス皇帝ナポレオン1世、母は、ハプスブルク家オーストリア皇帝フランツ1世の長女マリー・ルイーゼ大公女。ナポレオン待望の男児、初めて喋った言葉は「パパ」であった。 【ナポレオン失脚後】 1812年モスクワ遠征失敗以降、ナポレオ

美しき敵対者〜プロイセン王妃ルイーゼ〜

3月10日は、プロイセンの王妃、ルイーゼ・アウグステ・ヴィルヘルミーネ・アマーリエ・メクレンブルク=シュトレーリッツ大公女(1776年3月10日 - 1810年7月19日)が生まれた日。 国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世の妻としてプロイセン王妃であり、あのナポレオン一世に直談判したことで、プロイセンの国民の士気を上げた。 現在でも、ドイツで最も人気のある伝説的な王妃として知られている。初代ドイツ皇帝ヴィルヘルム1世の母。 【生い立ち】 メクレンブルク=シュトレーリッ

脅威の順応力で恋に生き、愛に生きたプリンセス

12月12日は、ナポレオン一世の妻、のちのパルマ大公マリー・ルイーズが生まれた日。(1791年12月12日 - 1847年12月17日) 神聖ローマ皇帝フランツ2世(後のオーストリア皇帝フランツ1世)の長女マリア・ルドヴィカとしてシェーンブルン宮殿で生まれた。 ナポレオンが恋焦がれたオーストリア、ハプスブルク家の皇女。 ナポレオンのトロフィーワイフ。 2年前のフランス革命で大叔母のオーストリア皇女・マリーアントワネットを処刑されたばかりだった。 フランスからの侵略によっ

ジョゼフィーヌ・ド・ボアルネ〜ナポレオンを皇帝に導いた勝利の女神〜

皆様、いつもありがとうございます✨グリーンビューティ®専門家の青木恵と申します。 ここでは、貴族、王族、名を残した方々の生涯、成し得たことをアップしています。聖書にある「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、さらに多く要求される」(『ルカによる福音書』12章48節)をベースにしています。 先人がどのような環境で生まれ、何を学び、どんなことを残したか、そんなことを書いていけたらいいなと思っています。火曜日・木曜日にまとめて投稿しています。該当する偉人がい