お正月
お正月、元旦はどのように過ごされますか?
私が生まれた地域は、ご近所に年始のご挨拶まわりをするのが習慣でした。
挨拶するのが目的ではなく、お酒を飲みかわすことが目的で、子どもの頃の記憶では、父親も祖父も必ずどこかの家で飲みつぶれていました。
世代が変わり、そういう習慣もなんとなく下火になりつつあるところにコロナの影響が後押しし、田舎のそういった習慣は本当に変化したと実感します。
ご近所付き合いが非常に強くある地域育った私は、その文化がとても煩わしく感じていました。
高校卒業と同時に地元を離れますが、1日も早くこの土地から出ていきたいと当時は思っていました。
今、医療ソーシャルワーカーとして働いていますが、この国が目指している「地域包括ケアシステム」は実は私が育った地元の地域のつながりを取り戻すことだと感じます。
あんなに嫌だった地域のしがらみ。
でも、その地域のコミュニティーが実は今、この現代社会ではむしろ必要とされている。
きっと、私がそのしがらみの強さから逃れたいと思ったのと同じで、みんなそこから離れて、新たなコミュニティーの中で生活を構築していったのだと思います。
家族構成も三世代同居はほぼなくなり、核家族が当たり前になりました。
しかし、今、この時代の問題は、支えてくれる近所のコミュニティーが失われていることと、家族の機能が崩壊していることです。
それは、何も他人事ではなく、私の身近にも起こっていました。
40年前は繁栄した父の実家は、子ども世代に見放され要介護になった80代の両親がまともな介護が受けられずに寝たきりの状況になっていると聞きました。
職業的には放置できない状況ですが、身内となるとなかなか口出しはできません。
父親からの話で想像しながら、必要なことを助言するくらいしかできない状況です。
しかも、現場の状況を実際に見ているわけではありません。
きっと、実際に見たらほっておけないんだろうなぁと。
家族も地域のコミュニティーの濃さも本当に嫌だった記憶がありますが、年齢を重ねると結局は人とのつながりが大事だと気付かされます。
しかも、表面的なつながりではなく、鬱陶しいくらいのつながりが最終的には人を支えることになります。
もちろん、いいことばかりではありませんが。
私はこのお正月、喪中で年始のご挨拶ができなかったこともあり、両親と弟家族と地元の温泉旅館で過ごしました。
こんな風に家族で過ごせるのもあと何回あるかわかりません。
人は人との繋がりの中で生きている。
この年齢になってその意味がよくわかります。
人との繋がりが本当に煩わしくて、嫌だったわたしが、今はその大切さを実感しています。
でも、その人たちが残ってくれているのは、周囲の人たちがわたしのことを見捨てずに、ずっと繋がり続けてくれていたからです。
遅ればせながら、わたしも支えてくれた人たちに感謝を現せられるように。
今年はもう少しその気持ちをしっかりと伝えていきたいと思う、新年の幕開けです。