時よ、止まれ 君は美しい

このタイトルは、僕がたまたまYouTubeで昔に見た好きな動画のタイトルで、なんとなく今の気分にあっているかなと思って、付けました。

もともとこの言葉は、ゲーテの「ファウスト」に出てくる「時よ止まれ、お前は美しい」から取られたもんなんでしょうか?詳しくは知りませんが。

先にタイトルだけ決めて書き始めているので、まったくタイトルと関係ない内容になるかも知れませんが、とりあえず最近のことを書こうと思っています。


自分の父はもともと普通の会社員だったのですが、独立して会社を起こして、大成功を収めた人です。仲間内5人とかで始めた小さな会社で、現在は年商460億。従業員数2,300人。関連会社も含めると、日本のみならずヨーロッパ、アメリカ、韓国、上海、タイ、インドと支店を持つ会社になったので、客観的にもそれは、身内の僕が大成功と言っていいものだと思う。

父が会社を起こしたのが、俺が小1の時かな?まさか当時は、設立5年で自社ビルを建て、のちに東証一部に上場するなんて、想像もしていなかった。そもそも俺はそんなことが理解できる年でもなかったので、詳しいことは何も知らないし、覚えてもいない。

要するに、金持ちの家のボンボンとして、自分は世間から見られているということが言いたかった。

しかし、内実はそうではない。

少なくとも僕はそう感じている。

確かに一般の家庭より金に困ったことは少ないのだろうけど、僕はそれなりに苦労もしてきたと思ってるし、世間が思うような贅沢な暮らしもしていない。いわゆる平凡な一般人の家庭の子だと、自分では思っている。


こうして書き続けるとキリがないので、あいだを省こう。

先週の土曜、俺はどうしても皮膚科に行きたかったのだが、どうにもメンタルの調子が悪く、外に出ることに対して不安があって。しかし土日を挟むのが嫌だったので、多少無理をして皮膚科へ行った。

医師の診察が終わり、調剤薬局でくすりをもらい終えたところで、気が抜けたのだろう。病気の症状が出た。

こころの病を僕は持っていて、ストレスが溜まると歩けなくなったり、道に倒れたりする病気を持っている。病名は、転換性障害と言われてるのだけども。


あれは十年ほど前だった。

どう考えてもパワハラとしか思えない職場環境で、その病気が出て、そこから十年ほど、僕はまともな仕事をしていない。

以前にも書いたので割愛するが、いい年になって、年齢に見合ったスキルを持ち合わせてない俺は、障害者手帳というものを発行し、A型作業所というところで三年間、世話になった。

そして今年の春に、変形性頚椎症という病気になり、左手やその他あちこちの箇所が痺れるようになり、作業所の仕事を辞めた。

そして今月、50歳になってしまった。

人間なんて誰でも年を取るのだから、当たり前のことなのだけど、僕は落ち込んだ。そこには高校生の頃によく聞いていた、ムーンライダーズの影響もあるのかも知れない(彼らは「DON'T TRUST OVER THIRTY」=30歳以上は信じるな、というタイトルのアルバムを出している)。

ボーカルの鈴木慶一は30を迎える直前、タクシーに乗ってて、後部座席から運転手の首を絞めたくなるぐらい、30歳になるのが嫌だったそうだが、俺の場合は50。そりゃ落ち込むのも仕方がない、と自分では思っている。


こころの病のせいで、十年間おなじ病院に通っているのだが、先月こんなことがあった。

九月は最悪で、作業所の仕事をフィジカル面のトラブルで辞めることになり、誕生日も目前に迫り。

俺は死にたいと思っていた。

当時は頚椎症の具合も悪く、家の中で安静にしている必要があり、誰とも会わない日が続いていた。

ひさびさに、十年も通っている病院で話を聞いてもらい、素直な気持ちで俺は「こんなに話を聞いてくれるんですね、ありがとうございます」と言った。

先生は僕の突然の発言に少し驚いた様子を見せたが「話を聞くのが仕事なので、いくらでも喋ってください」と言った。そこで、俺の中の何かが弾けたのだろう。

それまで口にしてなかった希死念慮について喋り始めた。

死にたいです。苦しいです。
しんどいです。
家族にも周りにも迷惑をかけているし、自分は居なくなりたいです。

もうそうなってしまうと暴走は止まらない。何を喋ったのかほとんど記憶にないが、そうした内容のことを喋ったように思う。

先生は、ずっと俺の言葉に耳を傾けていたが、しばしの沈黙ののち、こう言った。

「おこがましい」

俺は最初、その言葉の意味がはっきりわからず、ただ表情からも嗜められていることはわかったので、喋るのを止めた。

言葉の意味をはっきり知りたかったので、のちのち検索すると、こう出てきた。

おこがましい【烏滸がましい】
身の程しらずだ。差し出がましい。


このような意味であることがわかった。

俺には理解出来なかった。

自分以外の人間も全員そうであるとは言い切れないが「死んだ方がマシ」。
そんな苦しい思いを抱え、病名がつけられるような人が集まる場所=病院で、なぜ「身の程知らず」と、人を否定するような言葉を使ったのだろうか。

そりゃ医者も、その人自身の人生の問題まで解決できる訳ではない。俺もそのつもりはない。しかし身体の痛みはどうしようもなく、気が狂いそうな状況であることを告げた人にかける言葉がこれっていうのはどうなのだろうか?

この診察の後の三日間、俺はメンタルも最低。首の痛みも増して、外に出ることさえ出来なくなった。

確かに、患者に死なれても困るし、責任も取れない。

だから先生は、そのような言葉を使ったのかも知れない。

しかし、ものには言いようってものがあるだろう。


次回の診察は先月末だった。

俺は前回の反省(と嫌味)の意味も込め、「前の診察で『おこがましい』とおっしゃられたので、僕は何を喋っていいのかわかりません。だから逆に先生から質問して、それに答えます」と告げた。

先生は「え、私そんなこと言いましたか?」とまったく記憶になかった様子だが、僕は元来しゃべり好きなもので、気づいたらいつの間にか、ベラベラと喋っていた。

こういう病院ではだいたいひとり当たりの診察時間は、5〜10分と決まっている。

だから僕は申し訳ないという気持ちで最後に「すみません、ぼく話が長過ぎですよね」と言うと、先生は「うん、◯◯さんは話が長過ぎる」と、あえて同じ言葉を使って、強調するかのように返答をした。

そこからまた三日間、体調を崩し、俺は家から出られなくなった。


一回だけならまだしも、二回も連続で続くとなると、これは問題だ。
何より病気を治すために病院に行っているのに、余計に具合を悪くしていては何をしているのかわからない。

何らかの手立てが必要だと思い、病院に電話をかけた。

俺は「主治医の変更って出来ないんでしょうか?」と聞いてみた。すると、看護婦長だかに電話を繋がれて「うちの病院では患者の希望で、主治医の変更をすることは出来ません」と、テンプレートな回答がかえされてしまった。

正直、ムカついたが、ここでゴネても仕方がないと思い、俺はおとなしく引き下がった。そして「病院 クレーム」で検索し、公的な窓口の番号が載っていたので、そこへ電話をかけた。

ただ電話をかける前にサイトを見ると、そこは医療ミスなどの重大な事故などをメインに扱うところらしく、俺みたいなケースはあまり当てはまらないだろうな、とは分かりつつも、他に自分の思いをぶつける場所がなかったので、話を聞いてもらった。

思ってたように「うちはそういったケースはあまり取り扱ってないですし、よっぽどの事故とかでない限り、病院にこうしなさいということも言えないんですよ」と親身にその人は話してくれた。

「もう一度、その病院に掛け合ってみられたら如何ですか?」

と、その人には言われたが、その時の自分は感情が昂っていたので、いったん時間を置くことにした。



そして説明が長くなったが、先週の土曜に皮膚科で薬をもらい終えた時点で、俺は倒れてしまい動けなくなった。

人通りのある場所なので、心配に思った人がすぐに声をかけてくれた。

「大丈夫ですか?」

「あ、大丈夫です。僕、倒れちゃう病気を持ってて・・意識はあるんで」

そう気丈に振る舞うと、その人は俺のそばを離れて行った。

しかしすぐさま立ち上がって、歩けるかというとそうではなく。また立ち上がったら、倒れるんじゃないか?そうした不安感が強く、ずっとその場に横になり続けた。

薬局の前で倒れたので、薬局の人も来てくれて「救急車、呼びましょうか?」と心配そうに言ってくれたが、さっきと同じことを言って断った。

しばらく様子を見れば落ち着く場合もあるし、何より救急車を呼ぶと大ごとになってしまう。

ただ、さすがに道に倒れたままでは、薬局にも迷惑がかかるので、薬局の前にある椅子のところまで何とか移動し、そこに座って時間を過ごした。

目の前の風景を写真に収め、インスタのストーリーに投稿するなどしていたが、どうにも気が紛れず。

ストレスが原因であると言われてるこの病は、ストレスの根本と思われるものに対して、何らかのアクションを起こすことで効果が見込めるかも知れない。

そう思ったので、俺は「おこがましい」と発言した医師のいる病院に電話をかけ、再度「主治医の変更」を希望した。

電話に出たのは、前回と同じ看護婦長で「前も申し上げたんですけど、うちのルールでは・・」と言われたので、「あの、すみません。私はっきり覚えてないんですが、詳しい経緯をお話ししましたっけ?」と確認をしてから「聞いてない」と相手が答えたので、詳しい話をした。

「おこがましい」と言う僕にとっては暴言としか思えない言葉を吐かれたこと。その後、体調が悪くなり、三日間も家を出られなくなったこと。それが二回連続で続いてること、を伝えた。

大きな病院なので、そう簡単にルールは変えられないとは思っていたが、現に俺はそこの病院でつけられた病気の症状が出ている最中・・・つまり一歩もそこから動けない状態にあり、その状態を脱するためになるかも知れない。そう思って取った行動でもあった。

俺は粘りに粘って、何とか看護婦長から「わかりました。では、担当医にもそのことは確認し、病院としての回答を出させてもらいます」との言葉を引き出した。

電話を切ると、30分近くも喋っていたことに気付いた。

業務中だったはずなのに、こんなにも時間をとって申し訳ないことをしたと思った。


それ後も俺は動けなかったので、結局救急車を呼んでもらい、搬送された。

以前、同じ症状が出た時(五年くらい前)は「おこがましい」の先生がいる病院に運ばれたのだが、救急隊員に「症状は?」と聞かれた時に「ふらつきと目眩が酷くて・・」と俺は答えたらしく。

「おこがましい」の病院に救急隊長な連絡したが、生憎その日は担当医がおらず。代わりの先生が診ることも出来たのだが「その病気に『ふらつき』という症状はないので、まず別の医院で診てもらってください」と、搬送を拒否をされた。

確かに向こうの言ってることは正論かも知れないが、上に書いたような経緯があったばかりだったので、シンプルに腹が立ったし、憤った。


そうは言っても仕方がないので、結局ふつうの総合病院に搬送された。

血液検査や体温を測るなどをしてもらったが、疲れていたのか俺はその間、眠っていた。

眠りについたおかげか、気持ちが切り替わり、自宅までそう遠い距離でもなかったので、歩いて家まで帰ることにした。


俺は今、ひとり暮らしをしていて、倒れた近くの皮膚科までは車で行っていた。だから、車を取りに行かなくてはならなかったのだが、いったん自宅へ戻ると、外へ出るのが怖くなった。

仮にタクシーで車を停めてる駐車場まで行っても、自分で車を運転して帰らなくてはいけない。

それができる自信がなかった。


なので、しょうがなく俺は、家族に電話を入れた。

自分もいい年だし、高齢である母に心配をかけたくなかったが、仕方がなかった。

そこからのことは、実はあまりよく覚えていない。

「すぐに俺の住むマンションまで行く」と、母は言ってくれたが、夜も遅い時間だったので断った。電話で聞いてもらいたい話も聞いてくれたので、悪いと思って。

その翌日から、母は毎日のように俺の住む部屋へ来てくれた。

大体いつも朝の10時に来てくれて、それまで言いづらかった自分の悩みを話したり、取り留めもない会話をしたり。そして昼になると、外へ出て、母の運転でメシを食べ。スーパーへ行って買い物をして別れるというパターンが多かったように思う。

ひとりでいる時は何かやることがあればマシなのだが、まだ心が不安定で、ベランダから飛び降りたい衝動が皮膚科の近くで倒れる前後の期間はあったのだが、懸命に俺のそばに居てくれた母のおかげで、気持ちも徐々に薄らいでいった。


昨日のことだ・・いや、一昨日だったか。

はっきりと覚えていないが、こう連日で顔を合わせているとやることも無くなり、昨日は紅葉の具合を見に、母とふたりでドライブをした。


はっきり言って、うちの家庭は特殊だ。

金のある家のことを羨む気持ちはわからない訳ではない。恵まれたことにうちは金が無くて困ったことは無かったので、金のことで苦労する人の、本当の気持ちはわからない。

かと言って、自分は家に金があることをひけらかしているつもりもない。

しかし、会話の端々にそうしたことが出てしまうことがある。

例えば、俺は日本ソムリエ協会会長の娘と見合いさせてもらったことがあるのだが、やはり本物の金持ちはレベルが違うなと、痛感させられたことがあった。僕はこの時、目にした娘さんのあまりにもな世間との感覚のズレが面白かったので、人にネタにして話したことがあったのだが、これを自慢話と取る人もいるらしい。

ここはやはり「田崎真也」の名前を出すからこそ、その面白味と説得性が増すのだが、それが理解されない場合がある。

かといって、名前を出さずにこの話をしても、そんなに面白くもない。

まあ、これは例えなので伝わりづらいと思うけど、世間が思ってるようにいい思いばかりしてる訳ではない、という家族ならではの分かる、あるあるみたいな話を車中で母と喋った。

救急車で運ばれてから一週間、もう僕はふつうに車の運転も出来て、そのドライブでは俺が運転をしていた。


その前の日だったか、前の前の日だったか忘れたが、ひさびさに妹にもあった。母と三人で食事をした。

改まって大事な話を・・という感じではなく、たまたま妹がうちらがその時にいたモールに用事があったので、合流してモールの中にある店でメシを食っただけだった。

俺は父と縁を切ってから、兄弟と会う機会も少なくなり、ひさびさの再会だったと思う。

妹は、前と変わらない態度で接してくれて、僕の好きなミュージシャンのコンサートが近日中に近くで開催されることなどを教えてくれた。

そのモールは、庭が広くて緑も多く。平日ではあったが、子供らがキャッチボールをして遊んでいて、なんか気分が良くなったのだろう。

その大きな庭の端を歩いている最中、僕はふとこんな言葉を口にした。

「もう僕はこれから好きなことばっかりして生きてくわ、ええよな?」



そう母に聞いた。

これは何も宣言のつもりでも無く、咄嗟に出た言葉だったのだけど、俺の正直な本音だった。


自分の病とされるものは、ストレスが原因と言われている。

そのストレスを上手くコントロール出来ればいいのだが、十年間ぼくはそれが出来ないでいた。

世間の人は俺のことを、金のある家に生まれた恵まれた人。金持ちのボンボン。あそこ、お父さんは立派な人やけど、息子さんはなぁ・・・。

そんなふうに周りの人は思っている。おれはそんな風に思っている。それが俺の生きづらさにも繋がっている。

そう直感し、咄嗟にそう言ったのだと思う。



はっきり言って、もう馬鹿馬鹿しい。

十年も通っているものだから、うちの家庭をことも十分に知った上で、あいつは「おこがましい」という言葉を口にした。

そして、こんなにも長い付き合いなのに、お前は何もわかってないじゃないか。医者のくせに。

俺は苦しい、しんどいと思っているのに、これは俺の我儘なのか??

だからなのか?「おこがましい」なんて、一聴したところではっきりと意味のわからない言葉で俺をなじったのか?そして、そうした言葉をのちに調べた時に受けるダメージの大きさもお前は想定した上で、俺にそれを言ったのか???


・・・などと、今でも思い返すと腹立たしい感情が湧き上がるが、そんなことに囚われるのも、もう馬鹿馬鹿しいことだと思う。

そもそも俺は、本当に病気なんだろうか????



俺は知っている。

お前のところの院長が、ある講演でこんな話をしていたことを。

「いかに効率を良くし、回転を上げ、売り上げを上げるか?」という内容の話を、酒の席ではない、公の場で話していた、と人伝てに聞いたことがある。民間の会社の社長ではない。病院の院長が、だ。

きれいごとに聞こえるかも知れないが、本当に病気で苦しんでいる人を治す場所の、トップがそんなことを言っていいのか??


そんな話は通院し始めた直後に聞いていたので、俺はその病院にもともと期待はしてなかった。ただ、たまにおかしくなる時があるので、薬は必要だったし、確実に不眠症ではあったので、眠るための薬は必要だった。

病院を変える必要も特に感じなかったので、転院することなく、十年も付き合いが続いたわけだが、なぜにこんなことになってしまったのだろう。

僕の頭がおかしいのだろうか。


本当はその病院の名前をここに書いてもいいぐらいなのだが、後日俺の問い合わせに回答してくれた看護婦長の物の言い方がとても丁寧だったので、そのことは控えておこう。

ちなみに回答の内容は「やっぱり主治医の変更は出来ません。転院されるなら紹介状は書きます」というものだった。

ガーシーみたいに俺には影響力もないのだけど、ああした暴露をすることで得られるメリットというのは少ないだろうと思ったりもするし、よっぽどのことじゃなければしないに越したことはないのだから、書かないほうがいいのだろう。


結局、十年ぼくの病気は治らなかった。

もし僕が病気だとするなら、今も治ってないのだろう。

またいつ再発するか、それは俺にもわからない。


もう病院はあてにしない。

良い病院も世の中にはあるのだろうけど、探すのが面倒だ。

それより好きに生きていこう。

世の人からは、酔狂な人、頭のおかしな人と見られるかも知れない。

しかし、そうしたことを気にしたところで、俺のややこしいものは直らないと思うのだ。

だから、好きなことばかりして生きるのは、僕にとっては合理的なことだと思っている。

そりゃあ、世間の目は気になるし、他人の心のうちのことなんて、誰も分かりやしない。

だからこそ開き直りたい。

しかし世間の目も相変わらず怖い。


だから、僕は最近音楽に救われているのかも知れない。

今は亡き忌野清志郎さんが歌う「時よ、止まれ 君は美しい!」という曲が僕の心に刺さったのかも知れない。

歌詞は聞く人によって解釈が変わるし、たぶんこの歌は本当はラブソング。

だから、自分はずいぶん勝手な解釈をしてるし、そんなところからも相変わらず僕は世間から「わがまま」と見られてるのかも知れないという部分が垣間見えてる気もする。

しかし、好き勝手に生きていくと言ったのだから、もういいんじゃないかな??

誰もそうは言ってくれなかったとしても、音の中で清志郎さんは「君は美しい」と歌い続けてくれている。



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