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ヒュドラのチェンバロ【5】 クトゥルフ・バロック、あるいはクトゥルフ・ロココ・ゴシック


 
 ヒュドラの目を無数に嵌めこんだ、華麗なる大旋回ピルエット視界の輪の中心で、首だけになったパーヴェルは、土星の浮遊に似通にかよらせると、癇のつよさや、人間感情の煩わしさの総てから解放されていた。
 パーヴェルは首から下を、皇帝の衣服を剥ぎ取られウロボロスの蛇の影を纏ったバレエでかたどった。足元を、どこまでも、エーテルがけぶるガラス板でひろげた。
 姿が蛇神の調和になって、ガラスに映された。パーヴェルが崇めていたヒュドラはいまやパーヴェル自身であった。

 ヒュドラのチェンバロをの広げた蓋を額縁にし、ひとつ目の、ヒュドラ姿が覆いかぶさる玉座。玉座は、世界の中心を占めた心地に思い淀み、つかみどころ無く怒り立った雲を身に纏い、途方もない大きさの悲鳴に近い叫びにみたされた眼界の円周を首の群れの水魔たちが取り囲み、ガッチナ宮殿を水没させていた。
 ガッチナ宮殿が、世界に誇る美麗な平屋絵姿を、世にも脅迫的にそそり立つバベルの塔の、うず高く聳える人海腐敗へと変貌させる。「人の死骸は数知らず  軒と等しく積み置きたり 膿血たちまち融滴し 臭穢はみちて膨脹し 膚腑ことごとく爛壊せり皇帝ツァーリのロシア宮殿建築など足元にも及ばぬバベルの奇巌城は光彩陸離たる臓腑のうねりを放った。
 パーヴェルはステージ最高峰の踊り手にして観覧者であった。まだら色をけぶらせるぶ厚いガラスごしにヒュドラのチェンバロが異常なまでの生気を炸裂させる視像を、パーヴェルは、宮廷的無関心で眺めた。


   

 フォン・ノイマンやアラクチェーエフのような霊的強運・軍人的強運に恵まれたごく少数の者たちを除いて、パーヴェルに忠実だった家臣たちは水紋の暗闇へとひきずりこまれた。家臣の証しであるヒュドラの辮髪べんぱつを数珠つなぎにされると、辮髪べんぱつの留め金の毒蛇たちが互いに噛み殺し合って牙から猛毒を滴らせた。家臣たちは緊縛の渦のなかで、水魔の湖に没した。
 クー・デ・タには、エカテリーナ2世に寵愛された貴族の子弟たちも大勢参加した。
 わたくしの先祖で、1801年当時51歳になっていたニコライ・ボリシェヴィッチ・ユスポフ公爵も、自身は陰謀のとばりのむこうに隠れて、ふたりの男を刺客に送り込み、カーテンの向こうから音楽を響かせた。
 
 ふたりの男は、ニコライ・ボリシェヴィッチ公が物心ついた時からユスポフ家に仕えており、まったく年を取らないのだ。
 わたくしの祖父、フェリクス・フェリクソヴィッチ・ユスポフ公爵によって父親を殺されたマリア・ラスプーチナは、ふたりの男に、会ったことがあるらしい。1977年に亡くなったマリアはふたりの男にちなんで、死の数年前に飼い犬にしたの頭の仔犬を「ユスー」そして「ポフ」と名付けたのだ。
 ニコライ・ボリシェヴィッチ公は、ロマノフ王朝屈指の顕官けんかんであり、エルミタージュ美術館、クレムリン宮殿の兵器庫、ガッチナ宮殿楽器工房の総監の地位に登りつめ、何者も恐れぬ身の上となったが、お仕着せを纏った魔物のようなふたりの男のことを、生涯にわたって気味悪がっていた。
 ある日ニコライ・ボリシェヴィッチ公は、夢のなかでエジプト的に浅黒い美貌の魔人ニャルラトホテプに出遭い、ふたりの男に音楽機械を造らせて「ヒュドラのチェンバロ」と名付けるようにと命じられたのだ。あまたの奇天烈な偶然に慣れている経験の豊富さと、内心の気味悪さとの綯い交ぜに、胸が悪くなりながらも、大貴族らしい、おっとりした構えを示すつもりで、ニコライ・ボリシェヴィッチ公は成り行きにまかせた。
 しかしチェンバロ作製の様子を、決して見にいこうとはしなかった。



 二人の男はヒュドラのチェンバロが、パーヴェル・ヒュドラを吞み込むのを見届けると、まるで羽毛の細工を扱うように、軽々と楽器を持ち上げて、ユスポフ家の宮殿へと運んで行った。
 同時にヒュドラのチェンバロの弟のチェンバロを、ガッチナ宮殿に放置していった...と、二人の男のどちらかが教えてくれたのだ、わたくしに。


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