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飲みたい酒は決まるのに
気づけば30分、ふらふらと車を走らせていた。
腹は鳴る。けれども車は止められない。気づくと同じような場所をぐるぐると回っていた。
仕事中にランチを外で済ませるのが苦手だ。
まず自分が何を食べたいのか己の心と向き合い、どこで買うか、あるいは店に入るかを考え、さらにそこでどんなメニューを選ぶか考えなければならない。
はっきり言って疲れる。無理もない、何段階にもわたり悩み考えなければならないのだから。
食いしん坊がゆえの「一食入魂」がそうさせることは自覚している。貴重なひとりランチ。間違った選択はできない。何を食べたいか明確ならいいが、そうでないときの苦悩は深い。
今日はラーメン屋に入った。市内で一番好きなラーメンのはずなのに何かが違う。気分じゃなかった。失敗した。帰宅して風呂の中でこれを書いている今も若干尾を引いている。
傷つきたくない。
だから私は日々お弁当を詰める。
弁当作りを始めたのは昨春。冷蔵庫の中身を適当に押し込み平らげれば満たされる。お弁当を「ちゃんと」つくっている自己肯定感もスパイスだ。不思議なもので、自分でつくったものは大体美味しい。節約にもなるし多分健康にもいい。最高と言わざるをえない。
お弁当作ってる話をすると、よく「えらいね」と言われる。違う。それほどまでに傷つきたくないの。
一層厄介なのが仕事で帰宅が遅くなった夜。
21時に差し掛かればコンビニのお弁当コーナーで立ち尽くす私がいる。
行くところがコンビニに限られているのはまだいい。ガッツリいくかヘルシーを取るかの壁がまずある。その先まで選べる精神力は残業で疲れた脳にはない。
人間悩みすぎるとだんだん苦しくなるもので、せっかく手に取った親子丼だサラダチキンだ(鶏肉好き)を棚に戻し、缶ビール1本だけを手にレジに向かうこともしばしば。そのくせ帰宅したら本格的にお腹が空いて後悔するのだから自分のことが全く信用できない。
そんな私の救世主が突如現れる。
というか気づく。
全部美味しそうなスーパーのお惣菜
行きつけのスーパーが22時まで営業していることに、行きつけ4年目にして初めて気づいた。
どれも野菜多めで深夜に食べても罪悪感なさそう。その安心感たるや。
21:30、お惣菜コーナーに残されたニラネギチヂミをゲットした。
スーパー行く前、コンビニで買ったキリンラガービールにぴったりだった。