チャレンジする機会に出会うことから、学ぶ一歩がはじまる。
90年代に田舎で育った私、最近思うこと
はじめまして。こんにちは。私は人口が約3万人の日本のあちこちによく在る田舎の出身です。地元の県立高校を卒業する18歳まで、ずっとこんな海を毎日眺めて育ちました。(人がいないw)
なぜ学ぶのか、学ぶと嬉しいのか、パリッと目的を持っていたわけではなかったので、勉強はあまり好きではなく自主的に試験のために学ぶことはなく育ってしまって今に至ります。
今は教育関係のお仕事に携わっているのですが、お仕事の現場を通じて、人の成長に向き合っているたくさんのステキな方々との出会いを重ねるごとに、"中高生の時にこんな素敵な大人やチャレンジの機会に出会えていたら、あぁ、私は違った人生を送っていたのでは??!"なんて、感じる瞬間が多々あります。自分の人生に後悔していることはないのですが、この歳になったからこそ、最近の若者を羨ましいと感じられるようになりましたw
教育格差は、"ステキな大人や機会との出会い格差"では?
「教育格差は、経済格差や情報格差からきている。」なんて話を耳にしますが、田舎にいても良い先生はいて素晴らしい教育が受けられることはありますし(恵まれる確率の問題はあるかもですが)、田舎にいる方々の方が金持ちなんではないか?と感じるくらいに暮らしの豊さを感じるシーンも多々、目にしてきています。あえて学び、成長の機会の格差というなら、"ステキな大人や機会との出会い格差"が大きいのでは?とモヤッと体感してます。
自分の経験から言うと、"田舎での暮らしは、出会った人の数(それはそうだ、出かけない限り、人がいない…)、本やイベント・アート・文化などと出会う機会の数が圧倒的に少なかったんじゃないかな?"と振り返って感じるこの頃です。もちろん、都会にはない天然自然の資産というものはありましたので、振り返ってみると、やはりロールモデルとなる人との出会いの数の差がキーなのかな?と感じています。いつか気が向いたら本気で調べたりしてみたいテーマの一つです。
2020年を迎えた今、ふと周りを見渡すと、都会とか田舎とかいう物理的な住処の位置情報をもはや横に置いて、地球規模で学び・成長する色んな機会をたくさん目にする日々です。もう令和時代なんです。ネットがあれば、更に英語や他の言語も含めればとにかくたくさんの情報がとれます。”巷にあふれる成長の機会があることを知ることにつながらない手はない!"と思い、誰かの一助になりますよう、そんな想いからアウトプットを始めてみることにしました。
何かアクションをしなきゃとふつふつと長らく思っていながら、どうやるもんかな?と迷ってずっと動けていませんでしたが、"①先ず、動いてみる ②発信など動いてみながら手直しつつ必要なものを整理していく…" そんなアジャイルなやり方でアクションを始めてみようとおもいます!
ワタクシ、お恥ずかしながら書く訓練は受けてないため得意ではなく、日本語も怪しいので(日本生まれの日本人ではありますが…汗)、乱文乱筆やら気になることもあるかと思いますが、それも並行して修行していく気持ちでやってみようと思います。そんな気持ちの持ち方がNoteというプラットフォームにも合っているのかもしれないな、と楽天的に気を持つことにしてみました。とってもお気軽に応援かたがたツッコミいただければ幸いです。
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©Top写真: TECHDさんによる写真ACからの写真