「おもてなし」と「サービス」
来年のオリンピックがどうなるのか
それはさておき
外国からのお客様を精一杯の
「おもてなし」でお迎えする
そう謳ったオリンピック誘致でのスピーチ
あれを見たときに感じた違和感についてのお話です。
「おもてなし」って見返りを求めずに、他人への施しをする行為だ
僕はそんなふうに祖母から教わった。
おもてなしを受ければ、その恩をお返しをするものだ。
そのような心配りのやり取りが
「おもてなし」という慎ましい
日本古来の美しい習慣なんだ、と。
言葉でそう教わったわけではなくて、
祖母と過ごした昔を振り返って
大人になるにつれて自分の言葉に置き換えたら、こうなった。
躾ってそういうものですよね。
ところで
今の日本では
「ビジネス・コンテンツ」の一つとして
「OMOTENASHI」が一人歩きしている
そう思いませんか?
それは僕の知っている「おもてなし」ではないんです。
話はすこし変わりますが、
日本で飲食業に従事していたとき
僕は日本の接客サービスは世界一だと思っていました。
だからドイツに渡ったとき
海外の接客サービスの冷たさに愕然としました。
この国の接客業はまるでなってない
そんなふうに憤慨して過ごしたものです。
だから買い物に行くのも、
レストランに行くのも
どこか憂鬱で億劫だった。
でも、やがて店員と会話ができるようになり、
チップという習慣にも馴染んできたら
冷たく思えたドイツの接客にも
ほっと安堵する自分がいることに気づきました。
接客業といえど、所詮は人と人。
人と人のコミュニケーションが豊かであること。
相手を気遣ったり、意見を交換したり、
会話によって相手を理解することで
表情が和らぎ、お互いに気分も良くなるわけです。
日本のビジネス・コンテンツとしての「OMOTENASHI」
そこに人と人のコミュニケーションはあるのだろうか?
もしくは本来のあるべく「おもてなし」の意図を汲めているのだろうか?
日本では「サービス」といえば無償で与えられるものという印象が強い。
しかし欧米では、「サービス」は施しに対する報酬という意味合いがある。
つまりタダではない訳です。
お客様は神様ではないし、
サービスする側が謙ることもない。
お互いはフェアな立場にいます。
もちろん5つ星ホテルやレストランにけば、
彼らは顧客にしっかり従事してくれます。
しかしそれもタダではありません。
しっかりチップでその評価をします。
正当な評価としてチップが支払われないと
あなたはもしかすると高級ホテルやレストランで
何も相手にされずに放って置かれることになるでしょう。
ときどきそうやってぞんざいに扱われたと大騒ぎするアジア人がいますが
なんとなくその風景も想像ができてしまいます。
「おもてなし」と「サービス」
いずれも一方通行では成り立ちません。
それだけは共通していますね。