見出し画像

何度だって這い上がってこられるんだよ

ずっと、ずっと生きているだけで息苦しかったのは、
自分で自分を息苦しくさせていたからだと、理解できるように
なりました。

目に見えない圧力。
もっと上を目指さなければならない、
特別な人にならないといけない、
個の時代に勝ち残るには人と違うことをしないといけない、
新卒カードを逃してはいけない、
大手に入らないといけない、
社会が作った、形のない「正解らしきもの」に
縛られて、苦しくて。

よく考えればこれらは、全て目にも見えない、なんだか虚しいものなのかもしれません。けれども、それらに苦しめられている人は私だけじゃないって思うんです。

それに社会の圧力もあると思います。
浮気をしてしまった芸能人を叩きまくって、2度と復帰できないようにしたりするメディア、新卒を逃したら一気に上がる就職のハードル、
1度失敗したら2度と這い上がってこれないような、そんな重苦しい空気が、あるような気がしています。

けれども、きっと、どんなにレールから外れても、
取り返しのつかないことになってしまっても、
大丈夫、またやり直せるよ、って背中を押してくれる存在が1人でもいれば
何度だって、立ち上がれるし、
人生に希望をもてると思います。

今、社会に漂っている見えない固定観念が、
誰もが「完璧な人生をあゆむ」ことを無言で強要しているような、
そんな気持ちがしてしまうのです。
これは私の思い込みかもしれないけれど。

けれども見えない固定観念に押しつぶされて、
これからも生きて行くのは、あまりにも苦しいから、
レールを外れたっていいんだと自分に言い聞かせています。

レールを外れれば、惨めさや嫉妬や妬みを感じることもあるかもしれない。
私はガチガチに固定観念に固められた人間だからなおさら。

けれども、見えない社会においての正解に、自分を当てはめることをやめた時、私はきっと本当に自由になれると思うんです。
私がどんな生き方をしたって、他の人は全然興味なんて持ちません。
人の人生にとやかく意見をつけるとすれば(今の私)それは、
自分の人生に夢中になっていないということ。

きっと私はまだ自分の人生に夢中になりきれていないと思います。
けれど、どんな私も受け入れることができた時
私は私の人生を愛せると思うのです。

こんな風に生き方について考える私のことを応援してくれない人も
たくさんいると思います。けれども、それでいいのです。
誰だって好きに生きているんだから、
嫌いなものは嫌いなのだから。

自分の人生なのだから、自分の好きなように生きるのです。
そして自分らしい生き方をする時、
必ず応援してくれる人が1人はいる。
絶対にいる。

そういう人たちを大切に、大切に、
前に進んだり立ち止まったりしている私だけれど、
歩いていこうと思います。