赤鼻のわんこ
クリスマスの翌朝、目が覚めたら犬になっていた。
そう。犬だ。ワンワン、キャンキャンと吠えるあの、犬だ。
気付くまでに時間がかかった。それもそうだろう。誰も自分が犬になるなんて思いもしない。
ダンボールに入れられた俺はまだ産まれたばかりの仔犬で、運悪く鼻が赤かった。通行人がそう言っていたからそうなんだと思う。俺は自分で自分の顔がどんな顔をしているかを確認できないから、そう言われればそれを信じるしかなかった。
親子が捨て犬を見つけると、大体の確率で子供の方は連れて帰りたいと言う。そして親はそれに反対する。それが普通じゃないだろうか。
ところが俺に限っては子供の方も赤い鼻を見て、可愛くないと言い、酷ければ気持ち悪いとダンボールを蹴飛ばす。世知辛い世の中だ。いつからそんな風になってしまったんだろう。
こんな寒い中でじっとしているのも性に合わんので、ダンボールから出て歩き始めた。そして、歩きながら考えた。
昨日の夜、仕事終わりにコンビニに寄っておでんを買って家で食べた。テレビは見ないから、クリスマスだというのも忘れてしまいそうになるが、うとうととしていたときに夢を見た。
俺がまだ小さく可愛げがあった頃。親父に連れられてデパートにクリスマスプレゼントを買いに行った。お袋は看護師の仕事をしていて忙しく、親父は自営で車の整備工をしていたが客は知り合いしか来なかったのでクリスマスのその時期もわりと暇だった。
デパート?おもちゃ屋とかではなく?
親父は俺の手をしっかりと握りしめ、デパートの地下へと足を運ぶ。そして着いた途端、俺の顔を見ながら満足そうに言った。
「大輔!!何が食べたい?好きな物買っていいぞ!今日はクリスマスだからな!!」
そこで目が覚めた。目の前には空になったおでんの容器と割り箸が、テーブルの上に雑に、見ようによっては愛おしく転がっていた。
その後は普通に風呂に入り、布団に潜り込み、そのまま普通に寝たはずなのだが今はどういうわけか犬として生きている。
腹減ったな。と思い、公園にいるカップルにワン!と吠えてなにか貰えないかと催促してみたが、案の定あっち行けと言われるだけだった。仕方なく、鳩に紛れて鳩おじさんがばら撒いていたパン屑を食す。
俺、このまま元の姿に戻れんのかな。そのうち保健所に連れていかれたりするんだろうか。
急に不安になってきた。犬として生きることに俺はまだ覚悟が決まっていなかった。よりにもよってこの鼻のせいで飼い主は見当たらんし、野良として生きるにはこの街には命の危険がそこいらじゅうに広がっている。
この鼻さえなかったら…。
俺は自分の手で鼻を取ろうと試みた。血が出て痛い。できない…。クソッ!どうしてこんなことになったんだ。
昨日までの俺は普通に仕事して飯食って寝る、そんな普通の毎日を送っていて、たまに虚しくなることはあったけど、それが嫌だとか思ったわけでもない。人に対してだって文句を言うことも少なかったはずだ。そうだ。俺は何事にも、誰に対しても期待などせずに生きていた。
俺は俺の人生をそれなりに満足してただ生きていただけなのに…。
キャン。キャン。キュウン…。
哀しくなって吠えた。
きゃおん!!きゃおん!!ぎゃおん!!
腹が立って吠えた。
「お母さん。この子泣いてる。見て、ほら」
「あら本当。寒いから鳴いてるのかしらねぇ」
「かわいいね、君」
人間に手を出されると反射的に手を出したくなるのは犬の本能なのか。俺は迂闊にも女の子が差し出した手にちょこんと手を乗せてしまった。その手は暖かかった。ああ、人の手の温もりだ。人として生きていた時に感じることがなかった温もりを犬になって感じることになるとは。
俺はその親子にもらわれることになった。
そして、そこで目が覚めた。
窓の外を見ると雪が降っている。TVをつけると12月30日とアナウンサーが言っていた。何だ俺?冬眠していたのか?
長い長い夢から覚めた俺の手には人の手の温もりと、鼻の奥に感じる血の匂いが混ざって変な気分になる。
血の匂い?鼻に手を当ててみると、鼻血が出ていた。これじゃあただの変態だ。さっきまで見ていた夢が台無しじゃないか。
明日のために年越しそばを買いに行こうと外に出る。雪が頬にあたり水になる。冷たい…。
親父のごつい手の感触。
女の子の柔らかい手のひらの温もり。
頬にあたる雪の冷たさ。
この中でもナンバーワンはやっぱり女の子だろう。
ということは赤鼻のわんこになるのも悪くはない、そう思いながら足早に店まで急ぐ。
明日の朝にはきっと…。雪は積もるだろうか。
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