写真日記 日記と私
メンバーシップ「Love is like Camera」のマガジン「めえこの日記」に月額300円で暮らしの日記を投稿しています。日記を読むのが好きな方、写真を見るのが好きな方、たくさんの方に読んでいただけると嬉しいです。
この日記は私の個人日記です。写真日記をつくって投稿しています。
ホロコースト記念館へ
「失敗したなあ。ここは歩いて来る場所ではなかったかもしれない」
そう思いながらスマホで調べた道順を頭の中で反芻しながら、度々すれ違う車にヒヤッとしつつ、駅から20分ほど歩いて目的地に辿り着きました。
広島県福山市にある「ホロコースト記念館」に行ってきました。
私がこの施設に興味を持ったのは、「アンネの日記」を久しぶりに読みたくなり、「そういえば近くにアンネに関する資料館があるとどこかで見たことがあったけど…(検索してみて)あった!行ってみよう」と思ったのがきっかけです。
記念館に着くと、まず最初に施設の紹介についてのビデオを見せていただき、そのあと二階の展示室を見て回りました。二階は写真撮影が禁止されているのですが、コーナーごとに詳しく解説された冊子が置いてあり(購入することもできます)、冊子はこうしてnoteを書く時の参考にもなります。見学した時には気づかなかったこともあとから詳しく知ることができますし、記念館のガイドブックには展示物の写真が細かく紹介されているので、興味のある方は是非手に取ってみてください。
私が「アンネの日記」を好きな理由は読者としてアンネの暮らしを読むことが楽しみであったからで、初めて日記を読んだ当時の私は、アンネの暮らしていた時代背景にまで考えが及びませんでした。
向上心のある勉強熱心な少女が隠れ家という狭い空間の中で日記をつけ、それが後に出版されて今では世界中の人たちが「アンネの日記」を読んでいます。
アンネの部屋が再現されたコーナーでは想像していた通りに、アンネがその頃憧れていた映画スターの写真が壁にたくさん貼られていて、机の上には日記帳と卓上ランプがありました。アンネの部屋に自分がいることが一読者として、とても感慨深かったです。
一階は写真撮影可で子ども向けのコーナーがあります。隠れ家の模型、写真を使って作られた展示物、本などがありました。
一階の奥にある扉から屋外に出るとアンネの銅像と小さなバラ園があります。
庭に咲いているバラは「アンネの形見のバラ」と言って、アンネの日記に深い感銘を受けたベルギーの園芸家が旅先でアンネの父オットー・フランク氏と出会った時、アンネがバラが大好きだったことを知り「アンネの形見のバラ」を贈ったことから名付けられたそうで、実際この名前で登録もされている品種です。
アンネのバラは咲き始めから、オレンジ、イエロー、ピンクへと色が変わっていくのが特徴で、成長と共に色が変わっていく様を見ることができます。ちょうどバラの色の変化を写真に収めることができました。
日本には1972年のクリスマスにオットー・フランク氏からバラの苗木が贈られ、今ではたくさんの人の手によって接ぎ木され、何千本ものバラが日本中に咲いているそうです。もしかしたら、今自分が住んでいる場所の近くにもアンネのバラがあるかもしれません。
アンネは13歳の誕生日に日記帳をプレゼントされました。日記のはじめにはこう記されています。
戦争を知らない私でも残された遺品を目にしただけで悲しくなりました。
「戦争を忘れない」
そう思っても常にそのことを考えるのはむつかしいし、戦争はなくならないと思う気持ちもあります。けれど今回、記念館に足を運んだことで私が感じたことは想像を遥かに超えたものだったと思います。知ることが大切なのだと肌で感じることができました。戦争について問うとき、まずは身近な場所から自分にできる小さな平和をつくってみること。争いがなくなることはないかもしれませんが、その行いがいつしか周りに伝われば自然と穏やかな暮らしに繋がっていくのではないかなと思います。
下の動画は現代版のアンネの日記、「アンネが日記ではなくカメラを持ったら?」という設定のショートムービーシリーズです。私もまだ途中までしか見ていませんがとてもよかったので、年末にゆっくり見たいと思います。
戦場カメラマンに花束を
今、私の家にある写真集は数冊ですが最近その中に新たにもう一冊が加わりました。
ある日、戦場カメラマン(報道カメラマン)が撮った写真を見てみたいと思うようになりました。戦争の写真を見たくなるなんてどうしたのかなと自分でもその心理がよく分からないのですが、結果この写真集を買ってよかったと心から思います。いつもだったら目を背けてしまう写真ばかりだけど、しっかり見ることができました。正直戦場の生々しい写真を見るのはしんどかったし、きつかった。そして、これが現実なんだなと思うと胸が苦しくなりました。
今も地球上でこんな悲しい出来事が起きているなんて信じられないし、理解することは到底できません。この現実を多くの人に命をかけて伝えようとしてくれたカメラマンは私たちに戦争とは何かということを伝えたくて戦地へ向かったのだろうかと不思議に思います。きっと、それだけが理由ではないと思いますが、カメラマンだけではなく、戦争と全く関係のなかった人たちが、なぜ参加することになってしまったのかということはその土地と一人一人の歴史を知る必要が出てきます。答えは一つではありません。
生き延びるための方法が銃やミサイルではなく、願わくばカメラを持つ人には戦場の写真ではなく、花の写真を撮ってほしいと祈る気持ちでいっぱいになりました。
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