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 まだ流行りの病が現れていなかった頃。
 私は三線を手に入れた。ってゲームみたいな表現で申し訳ない。誰に向けて書いているのか分からない。
 
 多分、ミツさんへ。密?いや、林ミツについて。




 血が繋がっている人と一緒にいると苦しくなるんだ。ずっと前から。
 学生時代最後の年、あることがきっかけで私は全く笑わなくなった。
 その後、就職して一人暮らしを始める。毎日、同じことの繰り返しがこんなに幸せだと感じることがあるだろうか。

 「あなた、名前は?」
 「愛芽」 
 「あめちゃん?雨の日に産まれたのね」
 ミツさんでなくてもきっとそう言うだろう。私はただ黙って車椅子を押した。
 施設の周りを一周すると約20分くらいかかる。その道の途中には花壇があり、裏の方には畑もある。
 「人参が固くて食べられなかったの」
 ミツさんは100歳を超えていて車椅子が必須ではあったが、明るく元気でよく喋る。私は週末、ミツさんに会いに行くのが日課になっていた。

 暖かな陽射しが午後の時間を優しく包み込んでいく。柔らかな空気を纏った老人の手は皺くちゃでシミだらけだった。三線という沖縄の楽器のことを教えてくれたのはミツさんで、その後記憶を落としていくミツさんは沖縄での生活についてもきっと忘れてしまうのだろう。

 「来年は三線を始めようと思っているの。今朝、電話をして自宅から送ってきてもらうことにしたから」
 「沖縄の家?」
 「そうよ。聞いたら、まだ捨ててなかったみたいだから」
 始めようと思ってるということはミツさんは三線を弾いたことは無いということだろうか。それとも、言い間違いか何かか。

 花壇には赤とピンクの花が咲いていた。花の名前は分からない。世の中には私の知らないことばかりで時々、不安になる。

 「あなた、笑うのねぇ!」
その時、何を聞いたんだっけ?ああ、ミツさんがいつも被っているニット帽が無い無いと言っていたら頭の上にあったのよと言った時だ。そんなことあるわけ無いじゃんと思って、つい。

 花の名前を教えてくれたのはミツさんだった。私が不安に思うことを一つ一つ解きほぐしてくれるのはミツさんだった。

 ニット帽の季節が終わり、春になった。
 「お誕生日おめでとう」
そう言って手渡された三線には「愛芽」という名が彫られていた。
 「これ…ミツさんのじゃないの?」
ミツさんはニコニコして笑っていた。
 「沖縄に行くことになったんだよ。一ヶ月、出張で」
ミツさんはニコニコして、ただ笑うだけだった。

 その後、流行りの病が私とミツさんを遠ざけてしまったけれど、この話、一つだけ嘘がある。


 それは三線を手にしたときに気付いたこと。
 全くなんてなかった、そのことに気付いた。
  


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