エヴァの感想。アニメからシンエヴァまで。「私にとってエヴァは葛城ミサトの物語」

エヴァ終わったし、色々と振り返って書こうとおもったんだけど、私にとってはエヴァ=葛城ミサトの物語なので、結局ミサトさんだらけになりました。という訳で10ウン年分のミサトさんへの想いを詰め込みました。アニメ版からシンエヴァまで。1万字超えの長文になってしまった。舞台挨拶見終わった後の感想も入ってる。
「エヴァは心の鏡」とはよく言ったもので、エヴァについて真面目に考えようとすると、どうしても自分を振り返る瞬間が出てきてしまう。だから少し自分語りもしてます。

エヴァに出会ったのは13年前の高校生1年生。テレビで流れたあのシンジくんとミサトさんの別れのシーンを見て興味を持ったから。
最初は軽い気持ちで見始めたエヴァ。
まあミサトさん好きになるだろうなって見てた。基本的に私、大人のかっこいいお姉さん好きだし。
あの意味不明な使徒相手に、限られた時間の中で最も可能性の高い計画を立案して、それを形にできちゃう優秀さとか。人類の命を預かるなんて重すぎる立場にいながら、その場の状況を迅速に把握して、次の一手を即断即決できる度胸とか。軍人として自分の命を懸けたり、人の命を奪う覚悟が決まってるとことか。
仕事は出来てかっこいいのに、私生活ズボラなお姉さんとか可愛いなーそのギャップ好きだなーとか。
そんな肩書きや、表面上の振る舞いだけ見て、かっこいいお姉さんとして好きだったんだけど。
少しずつ彼女が「大人のかっこいいお姉さん」ではないって。本当は凄く傷つきやすい繊細な少女みたいな女性だと明かされていく中で、そのキャラクター造形の深さに、ミサトさんというキャラクターにどっぷり嵌ってしまっていたのでした。

というかエヴァという作品自体、最初はただのアニメとして見ていた筈なのに、その重厚な人間ドラマにいつの間にかのめり込んでしまっていた。それも家庭環境や友人関係に悩んでいた思春期に見ていたっていうのが大きくて。
少し自分語りですが。私が幼い頃から、母親は精神年齢が子供のままでかつ精神疾患持ちで感情的になりやすかったし、父親はそんな家庭から逃げるように基本家にはいないし、周りの大人は助けてくれるけど、「お母さんは病気なんだから、いい子でお父さんの代わりにお母さんを守ってね」とか言ってきて。
だから幼少期ミサトさんの「いい子でいなきゃいけないの」ってセリフは、これは自分か、ってくらい重なってしまった。

そんな機能不全家族だったこともあり、当時は自分の生まれた家庭環境を恨めしく思っていたし。心の底では周りの普通の家庭環境で過ごす幸せそうな人が羨ましかったし。それこそアダルトチルドレンみたいな感じで、表面上の関わりは平気でも深い関係築くとか苦手だったし。周りに流されるのが楽だと思っていた。
そんな自分が嫌いで、受け入れられなかったんだけど。でもエヴァの登場人物はみんなどこか不完全で、怖がりで、痛がりで、それをありのままとして描いていたから。当時の私にとって、エヴァの世界は優しかった。
だから、あ、こんな自分でもいいのかも、とほんの少しでも思えたのは、当時の自分の中でとても大きかった。

そんなキャラクターたちの中で、自分にとって影響が大きかったのは、やっぱりシンジくんとミサトさん。
他人の目を気にして、他人から嫌われないように、上辺だけで振る舞って。
人の顔色ばかり気にして、自分の意思も持たず、周りに合わせて流されるまま。
嫌われたくない傷つきたくないから、他人に深く関わることも怖がって。
そのくせ、特別な誰かに認められたい、受け入れられたいって欲求が心のどこかにある。
そんな2人にすごく共感してしまって、感情移入・自己投影しまくってた。
シンジくんの苦しみは何となく分かるし、そしてミサトさんが前に進み続ける姿には励まされた。

「アダルトチルドレンだから」「中身が子供のままだから」、そんなんだからダメなんだって、すぐ結論づける人はいるけれど。生まれた家庭環境は今更変えられないし、そこで身に付いた性格・特性もそう簡単には変えられない。
当人はそんな自分と向き合って生きていくしかない。私自身もそうだったけど、それを受け入れて付き合っていくしかない。
不完全な人は、そんな不完全さと付き合っていくしかなくて、そしてその付き合い方は人それぞれで。
劇中では、シンジくんは「父親」や「周り」のせいにして逃げていたし。アスカ(惣流)は向き合わないように蓋をしていたし。リツコさんはそんな自分を諦めていたように見えたけれど。

そんな中でミサトさんは、幼い、弱い自分と向き合って、変わろうと成長しようとしていた人だったと思う。
父親に縛られていると自認していても、父親のせいにして逃げたりせず。寂しさを紛らわすために男を求めてしまうような、そういう自分の向き合いたくないところ、認めたくないところと向き合っていた。
結果、そんな自分に苛まれて、自分は汚れてるなんて自傷して、自己嫌悪を重ねて。

それでも自分と向き合って、傷ついて変わっていこうとするミサトさんは、作中でもとても「強い」人だったと思う。

自分の意思で選んで、進むことを諦めない人なんですよね。
傷つくのが嫌なら、シンジくんのように何もせず、何も選ばずいることの方がずっと楽なのに。ミサトさんは進み続けることを止めない。選んだ道が間違いで、それに傷ついたとしても立ち止まろうとはしない。たくさんの後悔を抱えて、でもまた前を見続ける。
「ぬか喜びと自己嫌悪を重ねただけ。でも、その度に前に進めた気がする」
そんな自己分析をしていたけれど。
正しいか間違っているかなんてやっぱり結果にすぎなくて。
自分で選んで決めるってことは、その結果の責任は自分が全て背負うということだから。だから選ぶことに臆してしまう人が多いなかで、ぬか喜びと自己嫌悪がだけ重なっていく、そんな傷だらけの状態でも進み続けるミサトさんは本当に強いと思っていた。

でも成長できているなんて自信も確証も自分の中にはなくて、それを人(加持さん)に求めたりしてしまう弱さもあって。
15話での加持さんへの「私、変わったかな?」っていうのもまさにそう。
(それに対する加持さんの答えを聞くたびに何とも言えない気持ちになる。貴方程察しの良い男が、分からない訳ないだろうにって。「キレイになった」なんてその答えはズルいでしょって。もどかしいというか。
でもそれも多分優しさゆえなんだよね。「変わったよ」って言っても、ミサトさんが自分でそう思えてなければ、空々しい答えになるだろうし。)
旧劇での「これで良かったわよね」ってもういない加持さんに問いかける最期の言葉も切ないなと思った。
不器用でもちゃんと前に進めていたのに。そのミサトさんの想いを受け取って、シンジくんも他人のいる世界を選ぶことができたのに。
誰かミサトさんの頑張りを認めて、抱きしめてあげてよ…ってずっと思ってた。

ミサトさんが答えを求める相手はいつも加持さんなんですよね。
自分の汚いと思っているところも、曝け出してしまえる人。受け入れてくれる人。けどどこかに父親の影を重ねてしまう人。だから加持さんからも逃げ出してしまうんだけど。
加持さんもそれを分かっていながら、否定することも肯定することもなく、ただ受け入れるだけ。優しすぎるよね、加持さんって。「父親を重ねていた」ことも拒絶せず、傷つけることもなく受け入れてくれるだけ。本当にズルくて優しい男だと思う。
ミサトさんにとって加持さんは、父親の影を見せる人でもあり、かつありのままの自分を受け入れてくれる人。逃げたい場所であり、帰りたい場所でもあって。加持さんっていう人は、ミサトさんにとって複雑な想いを抱く人だなあと思ってた。
あと人の温もりを求めて、男に抱かれるっていうのも、自分を慰めると同時に少なからず自傷行為なんじゃないかと勝手に思っていて。
きっとその後、そんな自分の弱さに対してとんでもなく自己嫌悪に苛まれるんじゃないかなと。
25話のミサトさんの内面描写を見ると、ミサトさんが父親とある程度折り合いがつけられないと、ここの関係も危なっかしいなと思っていた。
だからシンエヴァでああいう形になったのは、本当に驚いた。と同時に、そうなった2人を祝福したかったし、2人と息子くんの穏やかな生活が見られないことが寂しかった。


話をミサトさんに戻しますが。
ミサトさんって、人一倍情が深い、すごく優しい人で。
子供たちとの同居生活についてもそう。あの世界で子供達をありのまま見て、接しようとして、それ故に苦しんでいた大人はミサトさんくらいじゃないかな。
リツコさんは、パイロットも実践兵器として完全に割り切って見ていただろうし、加持さんは深く関わってしまうことを避けていたし。(シンジくんにも助言以上のことはせず、アスカの想いに対してもはぐらかしていた)オペレーター組も、子供達を戦わせる罪悪感から逃れるように、どこか他人事のように見ていた印象があるし。
そんな中で、ミサトさんは不器用であっても、子供たちに愛情を与えてあげようと頑張っていたなと。

ただミサトさんも、器用な人間じゃないから上手くはいかなくて。
人類を守るために子供に頼らざるをえない現実、復讐相手である使徒への私怨、親として愛情を与えてあげたい反面、子供達を道具として扱わざるをえない罪悪感・自己嫌悪。
愛情を与えるか、道具として完全に割り切るか、どちらも選べず捨てられないのがミサトさんの不器用で優しすぎるところ。
真摯に向き合おうとすればするほど、傷が深くなるだけなのに。それを選ぶのが、ミサトさんなんだな。その優しさが本当に大好きです。

ミサトさん自身も、親からの愛情を満足に与えられず、失語症になるような凄絶な過去から心の成長もどこか歪だから、子供達に親として愛情を与えてあげたくても、それができない。マトモな親を知らないからから。保護者としてどう振る舞うのが正解か、分からないから。中身は子供のままのミサトさんの中では親としての愛情と、恋愛としての愛情、家族としての愛情、色んな愛の形がこんがらがっていて、だからそれら全てが入り乱れた形の愛しか与えられないし、どこか姉弟(姉妹)のような、恋人のような関係になってしまう。
結果、家族という形は崩れてしまったけれど。
子供達の孤独を癒せていた時間は確かにあったと思うし、子供達の前で精一杯大人をやろうとしていたミサトさんの姿を、結果はどうあれ、その結果だけ見て非難したくない。

加持さんとのこともあってギスギスしてしまったアスカとの関係だけど、私ミサトさんのアスカへの接し方も好きで。アスカの場合、無神経に無遠慮に関わろうとすると、それまで彼女が必死に作り上げてきた「アスカ」という形を粉々に壊してしまいそうで、深く関わるっていうのがとても難しい子だと思っていて。だからできるだけ向き合わないように蓋をしているアスカの過去のことも「お互いもう昔のことだもの。気にすることないわ」ってさらっと伝えるところも、ミサトさんなりの優しさだなって。近付きすぎず、でも離れたりもしないような言葉。アスカもその時は、その言葉に救われたんじゃないかな。

子供たちの中でも、特にシンジくんには、やっぱり特別な想いを抱いていたよね。シンジくんとミサトさんは根っこのところが同じだったから。
父親からの愛情を欲すると同時に、父親を憎んでいた。そんな父親に対して相反する想いを抱いているところ、父親の呪縛に囚われているところ。
2人とも誰かと深く接して傷つくことが怖いくせに、誰かに認めて欲しい・優しくしてほしいと求めているところも、他人に特別な何かを与える・想いをぶつけることが不得意なところも。
だから求める者同士・不器用な者同士、傷つきあうことも多かったけれど。
お互いの境遇や想いが理解できるからこそ、孤独を抱える者同士、2人の間には特有の絆というか、固い繋がりが確かにあったなと。

4話のすれ違いも、不器用な者同士のぶつかりあい。ハリネズミのジレンマ。
シンジくんは、エヴァに乗る意味、ここにいる理由を“誰か”に求めたかったんだけど。ミサトさんは、他人に流されず、父親や周りを理由にして目を逸らさずに、自分で決めるべきだって伝える。ここ、感情任せの言い方になってるだけで新劇と言ってることは結構同じで。シンジくんが求めてるものは与えられてないんだけど、ちゃんとミサトさんなりにシンジくんのことを想っての言葉なんだよね。
その結果、シンジくんを引き留めたのは、自分に厳しい言葉を告げたミサトさんの「頑張ってね」って言葉。あの時のシンジくんは、自分を応援してくれる人がいたっていう事実に、その言葉に、ここにいる理由を見つけようとしたんじゃないかなと。
私、ここの2話のセリフに戻ってくるっていうのがとても好きで。ミサトさんの言葉が、ちゃんとシンジくんの心に残っていたから。
この時の「ただいま」と「おかえりなさい」から、2人の他人同士じゃない、家族として関わりあおうとする関係が始まったと思ってる。


その後も、近づいたり離れたりを繰り返していく2人。
ミサトさんはシンジくんと関わるなかでシンジくんに自分を重ね、本当の自分を見つめ直して成長しようとしていくし。シンジくんもミサトさんは自分と同じだと気付いて。そんなミサトさんと関わる中で色んな想いを抱くようになる。
家族として、上司・部下として、時には姉弟・恋人のようにもみえる不思議な関係の中で、絆が築かれていくんだけど。加持さんや、アスカ、レイと、周りの大切な人間が消えていく中で、ミサトさんも余裕がなくなってしまうし、シンジくんは次第に心を遠ざけていってしまう。

(恋人としての関係もあったとされる2人だけど、じゃあ性的な愛情があったのかっていうのは、私はなかったんじゃないかと個人的に思ってる。
23話での繋げなかった手も、本当に「それ以外の慰め方を知らなかった」んだろうなと。ミサトさん自身が人のぬくもりを求めていたっていうのが大きいとは思うけど。
ミサトさんはシンジくんに「女」としての自分を見せることをとても拒絶していたし。そんな度胸ないというか。それこそ自己嫌悪に苛まれ続けることになりそう。)

旧劇の最期のシーン。
カヲル君を殺した。レイもアスカも誰も守れなかった自分にはエヴァに乗る意味も価値もない。だから死んだ方がマシだって、そうして心を完全に閉ざそうしていたシンジくんに、ミサトさんは歩み寄ろうとした。
4話の「他人だから叱らないんですね」ってシンジくんの言葉に、その時は答えることはなかったけれど。
最後の最後に「他人だからどうだってのよ」という言葉と共に、表面上の関わりだけに留めていた怖がりな人が、他人という一線を超えて、相手を傷つき傷つけられても、本音をぶつけることを選んだ。

「今ここで何もしなかったら、私許さないからね。一生あんたを許さないからね」
って言葉も。今まで傷つきながらも進んできたミサトさんだからこその言葉。ここシンのアスカと一緒なんだけど、自分がそうやって頑張って来たからこそ、相手にぶつけられる言葉で。
立ち止まるな、諦めるな、自分で決めて、自分のために進み続けるんだって、あらん限りの想いをぶつけていた。
ミサトさんは、自分と同じ少年に道を示してあげたかったんだろうなと思う。自分が父親の呪縛に囚われて生きてきたと認めていたからこそ、シンジ君の呪縛を解いてシンジ君自身に自分の進む道を選ばせてあげたかったんだろうと。

「今の自分が絶対じゃないわ。後で間違いに気づき、後悔する。私はその繰り返しだった。ぬか喜びと自己嫌悪を重ねるだけ。でもその度に前に進めた気がする」
これまでの人生に自分なりの答えを見つけて、それをシンジくんに伝える。
進むことには意味があるって。だから、ここで立ち止まるなって。自分の夢・願いを重ねていたからこそ、シンジくんにそこで立ち止まって欲しくなかったから。シンジくんからしたら勝手な言い分かもしれないけれど。でもその想いは最後にはちゃんと彼に届いた。


「大人のキス」も、「あなたはもう子供じゃない。大人なんだ」と伝えたかった。ただそれだけの理由じゃないかな。
「帰ってきたら続きをしましょう」って言葉も、続きがあるとほのめかすことで、シンジ君に自分に迫り来る「死」を悟らせないように、自分は大丈夫だから気にせず行ってきて、って伝えたかったんだと思ってる。勿論本人は自分の死を悟り、続きなんてないと分かっていたけれど、シンジくんの背中を力いっぱい押してあげたかったがための言葉。
シンジくんに自分の死の責任を感じさせないように、背負わせないように。「もう大人なんだから、ここから先は1人で進めるでしょ」って。
結局、母子にも姉弟にも恋人にもなりきれなかった少し歪で不安定な2人だったけど。でもそんな色んな形の愛をいっしょくたにして、精一杯の想いを込めた、言葉にして伝えるのが不器用なミサトさんなりのエールだったんだと。
このシーン独特の切なさ、儚さ、美しさが、私はとても大好きです。

そうして、シンジくんにあらん限りの想いと願いを込めて送り出して、命を落としてしまうミサトさん。
そしてシンジくんも絶望の中で、一度は他人のいる世界を拒絶するけれど。
ミサトさんのペンダントと共に意思を受け取って、他人がいる世界を選ぶことができた。
すれ違ってしまったこともあったけれど、最後にはミサトさんの想いがちゃんとシンジくんに届いていたというのが、私にとっては救いのある終わりでした。
シンジくんの中に、ミサトさんという人がちゃんと残ってくれていたから。ミサトさんの頑張りは無駄ではなかったから。

ミサトさん、そういう人として忘れたくない純粋さ、芯の強さを持っていて。
「奇跡を待つより捨て身の努力よ」とか「奇跡を起こすのよ、人の意思で」とか。無理だって思うような絶望的な状況に立たされても、人間は意思の力で乗り越えられるって、人の意思で奇蹟は起こせるって純粋に信じてるところとか。自分の命よりも、後悔しないように前に進むことを何よりも大切にしているところとか。倒れるなら前に、みたいな。進むことを諦めない強さとか。

誰よりも真摯に、命を燃やして生きていた、そんなミサトさんが大好きで。
かっこいい大人じゃなかったかもしれないけれど、当時、親や周りのせいにしていじけていた私にとって、旧作でのミサトさんの不器用ながらも成長しようとする姿は、本当に憧れで、希望みたいなものだったんだと思う。


そして新劇。

新劇のミサトさんは本当に“大人”。
旧作で、ミサトさんは他人という一線を越えて、シンジくんに向き合うことができた。成長することができた。だから、新劇では改めてその成長を描くんじゃなくて、成長した後の大人として描いていたんじゃないかなと。父親の呪縛や、それに縛られる自分に、ある程度折り合いが付けられている感じ。彼女にとって、十字架のペンダントの重みが少し軽くなっていたように感じる。
そもそも、ミサトさんの父親の形見が「十字架のペンダント」っていうの、重いなあって思ってた。「十字架を背負わせる」みたいな、消えない罪の意識や苦しみにいつまでも悩み続けなければならない、みたいなそんな意味に感じて。でもミサトさんは、託されたものをちゃんと持ち続けて生きていくんだから、本当に強い。だから、シンでミサトさんがそのペンダントを外しているのを見て、託されたものにケジメをつけることを選んだんだなって思った。
そんな風に精神的に成熟していたこともあって、シンジくんについても旧作のように過剰な自己投影はしていなかったと思う。
シンジくんに自分を重ねて自己嫌悪するのではなく、自分も同じような経験や想いをしてきたからこそ、シンジくんに道を示してあげよう、導いてあげようとしていたなと。
序の時のセリフからそれは顕著で。
「貴方は人に褒められる立派なことをしたのよ、胸を張っていいわ。頑張ってね」って言葉だけじゃなく。
「エヴァに乗ってくれた。それだけでも感謝してるわ。ありがとう」
「私も初号機パイロットを信じます」
そんな風に感謝と信頼を、ちゃんと自分の気持ちを言葉にして伝えていて。
どうして自分だけが戦っているんだって問いにも、ちゃんと誠実に向き合う。手を引いて、自分の知っていることを全て打ち明けて、シンジ君だけじゃなく私達も命を賭けて一緒に戦っているよって伝えてあげる。
自分を信頼して一緒に戦ってくれる大人。きっとそれは、アニメ版の時からずっと、シンジくんが求めていたものだったんじゃないかな。

ミサトさん、与えるだけじゃなくて、ちゃんと選ばせるというかシンジくんの意思もちゃんと尊重していて。
「他人の事なんかどうだっていいでしょ。エヴァに乗るかどうか、自分自身で決めなさい。」
「行きなさいシンジくん。誰かの為じゃない。貴方自身の願いのために」
序では「自分の意思で決めなさい」、破では「自分の為に進みなさい」
シンジくんが、父親に囚われて周りに流されて道を迷ってしまわないように。進むことを、選ぶことをやめてしまわないように。
自分を大切に出来るように、ちゃんと自分の足で進んでいけるように。
旧劇で最期に伝えようとしていたことを、新劇ではずっと言葉にして真っすぐシンジくんに伝え続けていたと思う。

だからシンジくんもミサトさんの優しさをちゃんと受け取ることができていて。
序では自分からちゃんと言葉にして「乗ってみます」と言えた。体が震えるような恐怖に直面しても、エヴァから降りなかった。
自分を認めてくれる、信じてくれる大人が1人でもいるだけで、子供も「自分を信じてみよう」って変わる。接する大人が変われば、シンジくんも変わる。
シンジくんにとって、ミサトさんは自分に愛情をくれる、ちゃんと信頼できる大人(保護者)になっていた。そういうお互い信頼しているからこそ見られるシンジくんとミサトさんのバディ感が本当に大好きで。特に破で顕著だったけど、シンジくんが「ミサトさんっ!」って名前を呼ぶだけで、ミサトさんはそれに応えて完璧なサポートをしてくれる。お互い信頼し合う最高のバディの関係で。
Qでひたすら「ミサトさん」の名前を出しているのも、「ミサトさんだって…!」というセリフも、シンジくんの中でミサトさんという存在が本当に大きかったんだろうなと思う。

ミサトさんの優しさって、アスカにもちゃんと与えられていて。
シンで明かされたアスカの生い立ちについても、多分知っていたんだと思うし。それを理解した上で、創られたものであっても、人として生きることを尊重していたと思う。
あの同居生活も、誰かと食べるご飯は美味しいとか、誰かと過ごす時間は楽しいとか。そういうことを今まで独りだったアスカに教えてあげたかったんだろうなって。「アスカは優しい」って、独りじゃないって伝えてあげたかったんじゃないかって。
だからアスカも「誰かと過ごすって心地いい」「私、笑えるんだ」って思えるようになるんだよね。なるのに…、
Q・シンではそれまでのような関係ではなくなったかもだけど、「アスカを使い捨てるか!」って怒ってくれていたし。難しい立場ながらも、使徒となってしまったアスカにもできる限りの居場所を与えて、大切にしていたと思いたい。


破の後。
「僕はもう誰とも笑えません」向かい合ってシンジくんから告げられたのはそれが最後の言葉で。自分の想いと共に背中を押したシンジくんが、ニアサードインパクトを起こした“罪人”と呼ばれるようになり、そして戻らぬ人となってしまった。
破とQの間の14年間のことは想像することしかできないけれど。
シンジくんは自分のせいで死なせてしまった、保護者として何もできなかったっていう自責の念にずっと苛まれ続けたんだろうなと。艦長室に置いていたシンジくんのパイロット服も、きっと形見だったんだろうし。
リョウジくんを生んだ後、母親として接しなかったのも、彼に自分と同じように親との死別を経験させたくないから。そして全ての元凶である父親(祖父)の呪縛を押し付けたくなかったから。だから会わないように、名字も自分とは異なるものを付けたんだと思うけど。それ以外にもシンジくんへの後悔がずっとあって、「保護者として接していたシンジくんを死なせてしまった。そんな自分には親の役割なんてできない。できることはない」って親や保護者として子供に関わることへの自信を失くしてしまったんじゃないかと。後悔と自責の念と、そしてシンジくんの死をずっと背負い続けてきたんだと思う。
(リョウジくんに加持さんの名前を付けたのは、世界を守った加持さんがここにいたという証を残して起きたかったからなのかな。という想像)


Qでシンジくんが戻ってきた時も、気持ちの整理ができないまま対面して。
死んだと思っていたシンジくんが生きていた、本物なのかもわからない。ネルフの罠かもしれない。艦長としての対場も、人類を守るという重責もある中で、かける言葉も見つからなかっただろうし、簡単に向き合うなんて出来なかったんだと思う。14年間の中で、ミサトさんの背負うものが増え過ぎていたから。

でもシンジくんを想う優しさはミサトさんの中にずっとあって。「何もしないで」って言葉も、難しい立場にいながらも、シンジ君がこれ以上辛い思いをすることはないって優しさからの言葉の筈だし。だからまたインパクトを起こすかもしれない、シンジを生かしておくのは危ないと判断される場面でも、DSSチョーカーの起動なんて出来なかった。出来るはずなかった。


そしてシンでやっと、ケンスケやリツコさんの口からミサトさんの本当の気持ちが明かされていくんだけど。
シンジくんも、それまで分からなかったミサトさんの想いを、ケンスケの言葉を通して知ることができた。
(ここ、庵野さんの私達への優しさだよなっていうくらい、心情が言葉にされ尽くされているんですよね。だから劇中以上に語ることはないんですが。)
そしてやっと、最終決戦で14年振りにミサトさんとシンジくんがちゃんと向き合うんだけど。
ここからもう涙が止まらないんですよね。旧劇と重ねてしまうと、その違いにそのまま2人の成長が表れているから。
ミサトさんが撃たれた後も、見ていることしかできなかった旧劇と違って、シンジくんはミサトさんを支えようとするし。

「シンジ君のとった行動の責任は全て私にあります。現在碇シンジは私葛城ミサトの管理下にあり、これからの彼の行動の責任を私が負うということです。
私は今のシンジ君にすべてを託してみたい。」
旧劇のセリフももちろん好きだけど、「自分で決めなさい」だけじゃなくて。「シンジくんが自分の意思で選んだことを、私も信じる。責任を取る」って、信じて支えてくれる。「必ずサポートするから」って一緒に戦おうとしてくれる。それは14年前、シンジくんがやっと自分の意思で進んだのに支えられなかった、シンジくん1人に背負わせてしまったという後悔と、今度こそ指揮官として責任を取る、一緒に戦うっていう決意からくる言葉だと思うし。何より絶対絶命な状況であっても、シンジくんなら何とかしてくれるって信じてるんですよね、ミサトさんは。だからシンジくんもミサトさんを信じてそれに応えようとするし、ミサトさんもそんなシンジくんのために、命を懸けて槍を作ろうとする。


2人の抱擁も。旧作では、積極的に触れ合おうとすらしなかった・できなかった。コミュニケーションが不完全な、孤独を抱えるキャラクターが口先だけで触れ合いそして離れていく、そんな世界だったから。
でもそれが新劇になって。序ではミサトさんから繋がれた手。破ではシンジくんが拒んで、繋がれることはなかったけれど。
シンになって、お互い抱き合うことができた。それも旧劇のどこか恋人を思わせるようなものじゃなく、お互いを思いやる、相手への信頼と慈愛の証としての抱擁で。
旧劇で「いってらっしゃい」って言葉でミサトさんは送り出すんだけど。でも旧劇のシンジくんはそれに答えることができなかった。でも今度はシンジくんから「いってきます」ってちゃんと言葉にして告げる。それを「いってらっしゃい」と笑顔で見送るミサトさん。後悔とか、うしろめたさとかなく、ちゃんと見送り、見送られることができた。

もうここの一連のシーンは感極まって涙が止まらない。ああこの2人が戻ってきた。成長を重ねて、やっとここまで来れたんだって。


シンジくんを見送った後、シンジくんのために槍を創ろうとするヴィレ。
ここでのミサトさんとリツコさんの固い絆というか信頼関係も熱くて。
旧作では、隠し事や嘘の積み重ねで、友情にもヒビが入ってしまうけれど。新劇ではずっと、リツコさんはミサトさんの側にい続けたんだよね。
リツコさんは、ミサトさんの背負ってるものを、一緒に背負うことはできなかっただろうけど。でも誰よりも近くで14年間、その重みで倒れそうな体を支えてきたんだろうなと思う。(ここにきて「ミサトさんを甘やかすリツコさん」という関係を正式にぶん投げてくるのは反則…)
旧作でもミサトさんの楽観的な部分に、理論的に考えてしまうリツコさんは救われているところがあると話していたし。正反対でもというか、正反対だからこそ、お互い補い合って支え合って、ここまで来れたんだろうな。
子供達と深く関わることを避け、旧作では母親との確執を抱えて「母親になることはない」と言っていたリツコさんが、ミサトさんの意思と子供たちを託されてそれに応えたのは、胸が熱くなった。それも任せてとか安易に答えるんじゃなくて、「ベストを尽くすわ」っていう誠意のあるリツコさんらしい答えに、泣いてしまった。

加持さんとの14年間も語られることはなかったけれど。
加持さんも、旧作ではあまり人と正面から向き合おうとはせず、はぐらかすような男だったけれど、ミサトさんとの間に子供ができて。人類の未来に興味なんてなかったくせに、大切なものの未来のために、自分の命を賭けて、世界を守ることを決めた。はぐらかしたり、逃げたりするんじゃなく、ちゃんと向き合ったが故の選択だったのかなって。
そんな大人組の成長を見ることができたのも、感慨深かった。
(庵野さん、「ミサトやリツコの世代をきちんと描いてみたい」と話しながらも、破では構成上たくさんカットされてしまったらしいので…悲しい。
それでも片鱗だけでも、こうして大人たちの成長を見られたのは本当に良かったと思う)

ミサトさんが1人、ヴンダーに残り艦長帽と服を脱いで"艦長"という荷を下ろした後に、懐かしい姿に戻るのは本当にずるい。
人類の命とか、ヴィレクルー全員の命とか、そういう重責を全て下ろした後、ただの"葛城ミサト"の手元に残るのは、加持さんが残したヴンダーと彼のバンダナ、リツコ達の創った槍、そしてリョウジくんとシンジくんの写真。
シンジくんと一緒に戦うために。自分の命なんて後回しで、前だけ向いて。
命を悔やむ素振りすら見せず、むしろ「最後に頼るのは、昔からの反動推進型エンジンね」なんて、どこか楽しそうで。(ここはスポーツカー乗り回してたミサトさんらしさを思い出してぐっとくる。)
旧作の頃からずっと変わらない。自分の命よりも前に進むことを選ぶ。人の力で、自分達の力で奇跡は起こせるって信じてる、強いミサトさんがそこにいた。


最終決戦前のシンジくんとのやり取りで、シンジくんはリョウジくんについて「いいヤツだった。僕は好きだよ」ってミサトさんに告げるけど。その言葉にミサトさんの中の息子への罪悪感とか、後悔は少し軽くなったんじゃないかな。
三石さんは「親ができることは、衣食住の世話くらい。子供を成長させてくれるのは他人の大人」とパンフレットで話していたけれど。ミサトさん、親としてヴィレの責任者として衣食住の世話はきっちりしていたし。彼が成長できるように、ケンスケを始め周りの大人と関われるように、自分にできることはちゃんとしてあげていたんだと思う。
そしてシンジくんの口から、リョウジくんのことが語られて。自分が居なくても周りの人との関わりの中で、ちゃんと息子は成長してるって知る事ができたから。だから少しの後悔は残しつつも、しがらみなく命を懸けることが出来たんじゃないかって。

だから「これで良かったのか」って誰かに答えを求めるんじゃなくて、シンでは「お母さん、これしかできなかった」って、母親としての後悔は抱きながらも、これまでの自分の歩いてきた道を肯定する言葉が出てきたから。だから本当によかった…って思った。誰かに認められずとも、ミサトさんが自分で自分の頑張りを認めて、納得できる形で幕を閉じられたから。
母親として接することができなかったとしても、息子の未来を、生きる世界を守り抜いた。それは、他のどんな母親にもできない。ミサトさんにしか与えられない、愛の形。


ミサトさんが最期に届けた槍。
最後まで人の意思の力を信じ続けた。父親や加持さんの意思を託されて、ここまで進んできた。旧作の時からずっと、誰かの意思を受け継いで、そしてその力を信じ続けた、そんなミサトさんのこれまでの道が形になった「ヴィレの槍=意思の槍」。そんな命を懸けて繋いできたミサトさんだから、シンジくんとずっと一緒に戦ってきたミサトさんだから届けられる「意思の槍」を、シンジくんへ託す。そしてその想いを受け取って、シンジくんもまた、自分なりの答えを選ぶ。
これも旧劇と同じ流れなんだけど、見える景色が全く違って。希望と救いに満ち満ちていて。ここのシーンは何度見ても泣いてしまう。

シンジくんは、エヴァに囚われていた全ての人達を、舞台上から下ろしていくんだけど。ミサトさんもシンジくんと同じ、舞台の上で幕を下ろす側だったんだと思う。この物語の最初から、シンジくんと一緒に戦い続けてきたのはミサトさんだから。(そのシンジくんも、お母さんに背中を押されて下りていくけれど)

「ミサトさんが背負っているものを、僕も半分引き受けるよ」ってミサトさんに告げたシンジくん。
最初はシンジくんが全部背負っていたものを、次はミサトさんが全部背負って、そして最後は2人で分け合おうとする。それを見て、あーここが2人のゴールだったんだなと思った。
破まではやっぱり保護者・被保護者という関係だったけれど、シンでは14年経ってそれが違う形を迎えたなと。
シンジくんの中にはお母さんがいたし、ミサトさんにも自分の息子がいて、お互いがその代わりにはなることはなかった。旧劇では、シンジくんを迎えにきたのも、命を賭して守ったのもミサトさんだったけれど。シンジくんには迎えにきてくれる人が他にいたし、ミサトさんには命を賭しても守りたいと思える人が他にいた。迎えに来るとか守るとか、もうそういう関係じゃなくなっていた。
シンでは葛城博士の真実が明かされ、ミサトさんも父親のしたことにケジメをつけるために尽力していた。そしてシンジくんも父親のしたことにケジメをつけることを決めた。2人とも同じ運命を背負い、お互いにその重い境遇を誰よりも理解し合える関係になったから。シンジくんとミサトさんにとってお互いの存在は、命を預けあって一緒に戦う唯一無二の人になっていたから。
「上司と部下」、「母子」、「姉弟」、「恋人」と旧作から色んな形を見せてきた2人が辿り着いたのは、唯一無二の関係で。

保護者と被保護者のような、導き、導かれるような関係ではなくなったから。シンジくんはミサトさんに導いてもらわなくても、もう自分で自分の道を選べるようになったから。シンジくんが自分から「一緒に背負う」とミサトさんに言えるようになった、2人が隣に並べたからこそ辿り着いた、これまでは見られなかった初めての関係だと思う。


「戦友」「相棒」っていう関係ともちょっと違くて。
同じ大きな荷物を、2人で背負って支え合って行こう、みたいな。同じ痛みを、辛さを、苦しみを、いっしょくたにして。1人では膝ついて歩けなくなるくらい重くても、2人で背負えば歩き続けられるよ、みたいな。
言葉にするのは難しいけれど、お互いに命を預けあった、同じものを背負って共に進み続けた、そんな運命共同体になった2人が本当に大好きです。
きっと、そんなミサトさんの存在は、ミサトさんの届けた小さな槍は、あの世界のシンジくんの心の中にもずっと残り続けるんだろうな。

旧作では主人公同士、新劇では主人公・副主人公の2人。
エヴァの始まりであるこの“傷つくことが極端に怖かった2人”が変わった。
シンジくんとミサトさんが、自分の選んだ道に納得して笑顔で終われた。それが本当に良かったと、ただそう思うばかりです。


ただどうしても、ミサトさんだけどうして命を落とさなきゃならないのかな、なんて心の隅では思っていた。あの最期に不満はなくとも、別れは辛いから。でも今日の舞台挨拶でのミサト役の三石さんの「綺麗な形で終わらせてもらえてよかった」って言葉で、心にストンと落ちたというか。三石さんの中ではミサトさんは戦いの中で命を燃やし尽くして去る人で。三石さんが言うように、ミサトさんにとっても、綺麗な形だったんだなと思えた。これはエヴァという作品特有。エヴァの役者さんって、キャラクターと最早同化しているから。その方からの言葉だから納得出来たかな。
私が勝手に思っていた、ミサトさんの幸せ=生き残ることではないんだなとそう思いました。ミサトさんの幸せは、あの中にちゃんとあったんだと今は思える。

色々と語ったけれど、やっぱり言いたいのはこれだけで。旧作でも新劇でも、命のある限り進むことを辞めなかった、人の意思の力を信じ続けた、誰よりも真摯に、命を燃やして生きていたミサトさんが本当に本当に大好きです。



そしてまた最後に自分語り。
旧作はシンジくん、特にミサトさんに自己投影していたけれど。新劇の序や破から、ミサトさんにはただ憧れだけが募っていっていたなと改めて思った。自己投影なんてできっこない。新劇のミサトさんは間違いなく「大人のかっこいい女性」だったから。ミサトさんらしい不器用さもあったりはしたけれど。
自分も28歳になって、今ではある程度親とも折り合いつけられて、親相手にぶつかることもできるようになってきたし、人との関わりもそうこじらせることも少なくなって、何となく前に進めているとは思っていたけれど。
ミサトさんはずっとその先を行っていて。
特にシンエヴァでミサトさんが母親になったって知った時、寂しかったっていうか。
私は母親じゃないし、親と上手く関係を築けなかったぶん子供をちゃんと育てるなんて自分には難しいだろうし、だから母親にはならないだろうなってずっと思っていたから。
あー遂に私じゃ本当に分からない、遠いところに行っちゃったなって。
でもそうやって決めつけることもないのかも、って最近は思える。シンジくんやミサトさんのように変わることができるかなって。かつて自分と同じような目線で世界を見ていた2人が、人との関わりの中で大人になっていたように。
どういう形でかは今はまだ分からないけれど、いつか母親となったミサトさんの想いを、心から分かるようになれる日がきたらいいなって前向きに。

ミサトさんからもらった小さな槍を大切に胸に抱いて、昨日と変わらない今日をがむしゃらに生きていきたい。

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