【祝GT30周年】JGTC初期の幻のマシンを調べてみた
2024年は全日本GT選手権が始まって30年の節目の年となりました。これまでさまざまな車種が参戦し、その中でもランチア037ラリー、シボレーカマロ、三菱ミラージュ、ルノースポールスピダーなんかが珍車として知れ渡っていますが、ここでは参戦計画がなされたものの、実現しなかったマシンを紹介していこうと思います。なお調査した結果、参戦の噂があったもの、参戦があったかもしれない…?というのもございますので、その辺はご了承を。
柿本レーシングスカイライン
1994年開幕前の練習走行のみ参戦。オレンジのR32スカイラインで、独自のエアロパーツを装着していたものの、開幕戦にはエントリーせず、30年経った今も柿本の参戦は実現していません。
フナキレーシングF40LM
かつて日本に存在したフナキレーシングが、フェラーリF40の強化マシンF40LMで参戦を予定し、シェイクダウンも行ったようですが、参戦はありませんでした。
ユーロレーシング残党のF40
ユーロレーシングの一員だった白阪正之が中心となってF40を製作していたそうですが、JGTCの歴史でF40のマシンを使用したのはタイサンのみなので、結局実現せず。ちなみに前述のフナキの項目でF40での参戦検討中の他のチームはこのユーロ残党のほかにランチア037ラリーを走らせたロッソもその一つだそう。
GMジャパンのカマロZ28
GMジャパンもかつてはJGTC参戦に前向きで、94年か95年もしかしたらカマロZ28で参入するのではないかと予想されていました。しかし、残念ながら眠れる巨人は起きることはなかったようです。現状カマロのGT参戦は1997年にプライベーターがスポット参戦したのみに留まっています。
外国屋フェラーリ348
1994年と95年はスカイラインを駆りJGTCを戦った外国屋の石橋義三ですが、94年の開幕頃に夏にはフェラーリ348にマシン変更を計画していたそうですが、実現はしなかったようです。ちなみに95年にはポルシェへの乗り換えが報じられ96年にようやく実現しました。
WESTコルベットZR-1
94年開幕戦の練習走行のみ参加。
第3戦にカーナンバー18を背負い関谷正徳、星野薫の豪華布陣で参戦予定でしたが出走せず。1995年は服部尚貴がコルベットで参戦するとのことでしたが、こちらも実現しませんでした。
なお、この18号車は現存しているそう。
スリーテックMR2
イーストサリーレーシングが第3戦にエントリーしたウィングレスでテールは大幅に改造されたMR2。カーナンバーは99でダン・フジサワがメインドライバーとして出走予定でしたが、直前の第1回十勝24時間耐久でクラッシュしマシンが損傷。出走を取り止めることとなりました。
NGP東京工科世田谷校MR2
チームはESR with 東京工科専門学校。おそらくESRはイーストサリーレーシングで、ESRと東京工科専門学校がジョイントし1995年の第4戦にGT1としてエントリー。カーナンバーは20でダン・フジサワと藤川元造のコンビでしたが、予選からタイムがないので出走していない模様。
後々のスーパーGTの記録だと「トヨタ・MR-2」としてGT2クラスに参加したこととなっています。このマシンはスリーテックMR2を修復して持ち込んだもの…だと思うんですが、一切記録も画像も無しなのでなんとも言えないのが現状です。
テストアンドサービス三菱GTO
打倒GTRを目標に開発されたGTOは、三菱のレースチームを担当したテストアンドサービスが1994年のSUGOにGTOを持ち込む予定でしたが、N1耐久でGTOに深刻なトラブルが発生したため、エントリー先送りとなりそのまま幻に…。
アムゼレーシング ユーノスコスモ
1995年全日本GT選手権公式登録されたものの、出走しなかったマシンの一台。GT1クラスに静岡マツダことアムゼレーシングからカーナンバーは13で出走予定でしたが、残念ながら実現せず。アムゼレーシングは1995年GT2クラスにマイクロロン・RX7として参戦しています。なお、以下のサイトではこの車の予想スケッチが描かれています。
シムス スバルSVX
1995年のGT2クラスにJTCCにインプレッサワゴンで参戦していたシムスがマシンを製作していたそうですが、実現せず。
ザムスタック・アベント
横浜に存在したストリートチューニングショップ。1995年シーズンにメルセデスのマシンで参戦とのことでしたが、結局音沙汰無しに。クラスは不明。
アルピーヌA610LM
1995年頭にJGTC参戦準備をしているマシンのなかにアルピーヌA610があると報じられていました。
グリフィス、パンテーラは一切不明でしたが、アルピーヌA610に関しては、ワイズコーポレーションがGT用に購入したとのことでした。しかし、出走することはありませんでした。
なお、このA610は現存しているそうです。
エイメイオート三菱FTO
95-96年に魔改造したミラージュでJGTCに参戦していたエイメイオート。そのエイメイオートはFTOを製作していたそうですが実現せず。1998年から参戦したFTOとは別物のようです。
Rank up PORSCHE
1995年5戦のGT2、および1996年3-4戦のGT300クラスにトウメイスポーツからエントリーだけした911ポルシェ。ドライバーは中田雅久とコボちゃんこと桂伸一。3戦にエントリーしているもののどういうわけか出走しておらず、マシンの姿は一切不明。N1ではアルティアのスカイラインを走らせるなど、記憶に残るドライバーでもあるコボちゃんのJGTC参戦歴はこれっきりなので、JGTCエントリーだけで出走したことがないという珍しい経歴となっています。
チーム国光のポルシェRSR
1995年のJGTC第2戦にGT1にエントリーしたのみで出走しなかった99号車のチーム国光ポルシェ。Racing onによれば準備不足による参戦見送りだそう。ドライバーは長島正興。その後第4戦から道上龍によってKANEKO PORSCHEとして99号車が参戦しますが、開幕前に高橋国光自らがゲームのテレビCMの撮影のためにフジにて99号車をテスト走行させていることから、開幕前にはKANEKO号が完成しているのはほぼ当確。すなわち長島のマシン=KANEKO号は確定と見ていいかもしれません。
R.F REYJUN MR2 GT500
1997年のJGTCにGT300でポルシェを走らせていたコブラレーシングがMR2で参戦すると報じられ、第2戦のエントリーには「32号車 R.F.LEYJUN-MR2」との記載が公式サイトに掲示されました。しかし残念ながら出走はなし。ちなみに中島修選手は後々レイジュンのチームドライバーとして活躍したOSAMU選手です。
サードMC8R
MR2をベースにルマンに参戦したサード・MC8R。そのMC8RもJGTCへ参戦することが、1997年のJGTCホームページに記載されてはいたものの、実現せず。
GST・KKDルノー
カーナンバーは888でエントラントはTEAM KKD with JAPAN。ドライバーは山梨順一と滑川健のコンビでした。2000年の最終戦にエントリーだけして出走はせず。ルノーといえばルノースポールスピダーが有名で、最初はこのスピダーで出走予定だったのかと思いきや、ルノークリオだったそう。シェイクダウンにて全損のクラッシュを起こしたため出走叶わず。そのため走っている画像すらありません。
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