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もやもや

改めて東京は刺激的で大好きな街の1つだ。

色々な人やお店、カルチャーが入り交わり、
暇を潰すどころか積極的に時間をつくり、
効率よく1日を過ごさないと一瞬で時間は過ぎ去り、
むしろ罪悪感さえ覚えてくるほどだ。

そんな刺激的な東京に住んでいながら、
なんだか今のまま毎日を過ごしてはいけないような
モヤモヤを感じている。
そしてようやくその正体がわかってきた。

日々嵐のように降り注がれる情報に
自身で処理できるキャパを超えているのにも関わらず、
そのことに気づかず刺激的な要素で
上から隠してしまっている気持ちに気づいた。

普段の食から感じた問題意識


私はある時期からほとんどお肉やお魚を買わなくなってしまった。
スーパーで売られているパンはほぼ買わない。

スーパーに並ぶお肉やお魚は全て綺麗に部位ごとにカットされ、
プラスチックの容器に包装されている。カット野菜も同様。
パンもどこかの工場でつくられ、輸送期間を考慮して製造される。

いまは当たり前の光景だし、
ここに対してあまり疑問を感じないのは
自身が誰かの仕事に頼りに支えられて生活している張本人だからである。

カットされたお肉は、そのまま焼いて塩胡椒で味付けをすればそれだけで立派なごはんができる。何より「便利」なのだ。

それが悪いと言っているわけではない。
改めて便利と引き換えに何かを失っている感覚を忘れてはいけないと思うのだ。

「人は食べたものでできている」という事実を改めて考え直した時、
『何を食べるか(無農薬、less白砂糖、no化学調味料)』に加えて 、
『誰とどのような状況(自分自身のメンタル)で食べるか』のバランスが 
最も重要なのではないか気づいたのである。

きっかけ

趣味が山登りであることから発展して、
環境問題、気候危機への関心が高くなり、
食べ物に対する意識も変わった。
そして自分の幸せにし、健康に生きるための食べ物という視点から、
今では地球、未来の人の活動を守るための、
という視点に変わってきているというのが
ここ最近の大きな出来事である。

今思うと自分の中だけでは処理してしまってはいけないような
人間全体の問題なら気がしたため、
処理能力を超えてしまったのだと思う。

消費を促す広告、たいしていらないけどなんとなく買ってしまう、、、
は、よくある話だがこうした「買い物は投票」であるはずの一人一人の行動が、受け身になり続けていると昔は5個入りのだったはずのミニあんぱんが4個入りになっていても気づかないかもしれないない。(これはあくまで冗談だが笑)

今後生まれてくる子供たちには、食糧危機や栄養不足にはなってほしくないし、栄養のあるきちんと美味しい食べ物を、感覚的に美味しいと思って食べて育ってほしい。
自然との関わりを深め、パックされた魚やお肉の加工過程をきちんと知り、その上で何をどう食べるかを選択できる大人になってほしい。

そしえその社会の土台は20-30代世代の私達が作るべきだと思う。
まとまりのないモヤモヤはまだまだ続く、、、。

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