ジャニーズ問題とエプスタイン事件 vol.2〜フロリダ検察のスイートハート・ディール
前回のブログで、日本のジャニーズ性加害問題とアメリカのジェフリー・エプスタイン性的人身売買事件の違いとして、加害者が生前に起訴されたことを挙げました。
ジャニー喜多川はその87年の生涯で、ただの一度も刑事責任を問われることはありませんでしたが、エプスタインの場合は2000年代後半にフロリダ州で、そして2019年にニューヨーク州で、計2回、刑事事件化しています。フロリダで事件化した当初、エプスタインはまだ50代。この世で刑罰に向き合うのに十分な時間が残されたうちに、捜査機関が動いたことになります(最終的には本人が自殺したことでうやむやになりましたが)。
もちろん起訴されたからと言って「さすがアメリカ正義は勝つ」という話ではありません。むしろ1度目のフロリダの事件の時は検察がエプスタイン側に丸め込まれたとしか思えない結果に終わってしまいました。ただ、そこで抱えた被害者や一部捜査関係者の無念が、約10年後、再び問題がクローズアップされる火種となったことは確かです。
今回は、その発端となったフロリダの事件の経緯を見ていきたいと思います。
※ジャニーズとの比較はvol.3以降で後々していく予定ですが、今回は出てきません。今回はエプスタイン事件の経緯に終始しますのであしからず。。。
2005-2008年 フロリダで事件化
事件のきっかけは、2005年にフロリダ州パームビーチで「14歳の娘が性被害に遭った」と親が告発したことです。地元パームビーチ警察は加害者がエプスタインであることをつきとめ、早速捜査に乗り出したのですが、その直属機関であるパームビーチ郡検察がエプスタインの起訴に極めて消極的。「売春の勧誘」という1つの罪状しか上げず、しかも肝心の未成年者が被害者だという点には触れていませんでした。不審に思った警察は郡検察との連携を諦め、連邦捜査局・FBIに捜査を依頼するという、異例対応を取ります。
ここでアメリカの捜査組織について軽く整理したいと思います。アメリカには州法に基づき捜査する州の捜査機関と、連邦法に基づき連邦の捜査機関とがあり、原則、互いの管轄に踏み込むことはありません。
事件解決は、以下の流れがスタンダードです。
州の捜査機関:
①州法に基づき各自治体の警察が捜査、送検
②州検察(通常、郡ごとに設置)が起訴
③州の裁判所(地裁→高裁→最高裁)で裁判。有罪か無罪かが決まる
連邦の捜査機関:
①連邦法に基づきFBIなどが捜査、送検
②管轄地区の連邦検察(全米に93カ所)が起訴
③連邦裁判所(地裁→高裁→最高裁)で裁判。有罪か無罪かが決まる
ただ、実際には州をまたぐ犯罪は連邦組織が主に捜査しますし、凶悪犯罪など州と連邦どっちの法律にも引っ掛かる場合は、両方の機関がそれぞれ独自に捜査に乗り出すことも多々あります。また、州当局がFBIの持つ専門的技術やネットワークを借りたい場合、反対にFBIが地元当局の持つ地の利を生かしたい場合などは両者協力して捜査にあたることも少なくありませんので、ケースバーケースです。ちなみに州にも連邦にもそれぞれ司法省があり、こちらも検察を介さず独自に立件する権限があります。
さて、フロリダの件に話を戻すと、いくらケースバーケースとはいえ、パームビーチ警察が、直轄のパームビーチ郡検察を差し置いてFBIに捜査を求めるのは、やはりかなりの異例対応と言えます(それほどまでに郡検察が怪しかったということでしょう…)。一方のFBIは、未成年者に対する性的虐待容疑は当然連邦法にも触れるため、連邦が関与する相当の理由があると判断して捜査を開始。その結果、少なくとも36人の被害者が特定され、起訴するに十分な証拠が集まります。捜査結果は管轄のフロリダ州南部連邦検事局に上げられ、ついにエプスタイン起訴か…と思ったところで、今度は連邦検事局が怪しい動きをし始めます。
マイアミヘラルドによると、FBIの捜査を元に53ページに及ぶ起訴状の準備ができていました。その裏で何やら動いていたのが、当時検事長を務めていたアレクサンダー・アコスタ氏。エプスタイン側の弁護士と接触し、司法取引に向けて話を進めていたのです。
その結果、フロリダ州における罪状を認めエプスタインを性犯罪者として登録すれば、連邦検察は捜査を終了するという取引が成立。そして2008年6月30日、エプスタインは売春の勧誘と未成年者への売春の斡旋で有罪を認め、18カ月の禁錮刑に処されることが決まりました(実際には13カ月で出所)。
まとめると以下のような図になります。(一般的に、赤い矢印のような動きはしないのが普通です)
もともと警察が地元のパームビーチ郡検察に不信感があるから連邦にバトンタッチされたはずの捜査でしたが、結局遠回りして、その郡検察の手に戻ってしまいました。
「もし連邦法で起訴されていれば、エプスタインは終身刑間違いなしだった」というのが、専門家の通説で、この司法取引は「スイートハート・ディール」と呼ばれました。激甘の要素には、18カ月の禁錮刑という量刑以外にも明らかにエプスタインが優遇されている点が多々あります。
ざっと挙げると以下です。
郡の刑務所ではなく、警備が最も薄く快適なパームビーチ郡留置施設に収監。もちろん個室
週6日、1日12時間、留置施設を出て自分のオフィスで仕事が可能な「ワークリリース」権を取得
フロリダ州法では従来、ワークリリースは性犯罪者には適用外
36人も被害者がいることが捜査で分かっていながら罪状が1つにまとめられている
すでに賠償金を求める民事訴訟がたくさん起きていたのに、司法取引が進んでいることを関係者である原告(被害少女たち)に明かさなかった
あまりにも不自然な内容だったため、被害女性の一人の民事訴訟を担当した弁護士は次のように述べています。
アコスタ連邦検事がエプスタイン側とグルだったとの話もまことしやかに飛び交いましたが、噂の域を出ることなく、刑事事件としてのエプスタイン問題は一旦幕を閉じました。
スイートハート・ディールの“真相”
アコスタ氏の癒着に関する疑惑は、後に2020年の米司法省の調査で「エプスタイン側と癒着していた事実は無かった」との結論が出ています。ではなぜこんな激甘な取引に合意したのか。本人は公聴会で、「司法取引をせず州検察に任せれば、確実にエプスタインはただの1日も収監されることなく自由の身になっていた。それだけは避けなければと思った」と供述。司法取引はあくまで、エプスタインが犯罪者として刑務所に入ることが確約される方法を取った結果だと主張しました。
当時のエプスタイン側の弁護団は、金にものを言わせて強力な弁護士を複数雇って結成した、いわゆる「ドリームチーム」。そのメンバーには、O.J.シンプソン事件をはじめハーベイ・ワインスタインのハリウッド性的暴行事件、トランプ前大統領の弾劾裁判など全米を揺るがした事件で被告側の弁護士を務めたアラン・ダーショウィッツ氏、そしてクリントン元大統領の弾劾裁判にも繋がったホワイトウォーター疑惑の特別検察官を務めたケネス・スター氏などがいました。(ダーショウィッツ氏には、エプスタインの被害少女から「ダーショウィッツとのセックスを強要された」との証言がありますが、今のところ立証されていないようです)
司法省の調査結果と状況から読み取る限りでは、強力な弁護団と彼らの法の目をくぐる巧みな取引にアコスタ氏は打つ手がなく、丸め込まれざるを得なかった、というのが本当のところのようです。(司法省は、癒着は無かったとしている反面、アコスタ氏の取引の進め方には「不手際」があったとも指摘しています)
ところで、事件序盤からグレー感満載だったパームビーチ郡検察に対しても、2019年にデサンティス州知事がエプスタイン側との裏取引や不正の有無について調査を指示しました。が、こちらも不正や癒着の証拠はなかったとの結果が出ています。
ただこういった調査は物的証拠や証言に決定的な矛盾がない限り「不正の証拠はなかった」で終わるのが常。口約束や忖度程度では「不正があった」とは言えないので、限りなく黒に近いグレーだとしても大抵お咎めなしで終わります。これは司法省の調査も然りです。
そんなわけで、最初に事件と立ち向かったパームビーチ警察は、なんとも腑に落ちない結果を目の当たりにすることになりました。
無念は10年後の再捜査の布石に?
ところが2018年、10年の時を経て、マイアミヘラルドのジュリー・K・ブラウン記者が、2007年の司法取引の背後にあった事情を探った調査記事を次々と世に送り出し始めます。中には「アコスタ氏とエプスタインの弁護士がホテルのレストランで朝食を取りながら密会した」といった記述や、フロリダ南部連邦検事局の内部メールなども掲載されました(信憑性は立証されず)。
また、エプスタインが収監された2008年以降、被害者たちが次々と訴訟に乗り出すというアクションを起こします。中でもイギリスのアンドルー王子との性行為を強要されたと写真証拠付きで訴えたバージニア・ジュフレさんの供述は衝撃をもって受け止められました。
こうした行動が、後にニューヨークでの2度めのエプスタイン起訴へと繋がっていきます。
vol.3ではニューヨークの事件について捜査の推移を見ていきます。