「人より時間がかかるなら、かければいい」 ディスレクシアがギャビン・ニューサムに教えたこと
前回のブログで、11月30日に行われたフロリダ州のロン・デサンティス知事(共和党)と、カリフォルニア州のギャビン・ニューサム知事による討論会について書きました。たびたびヒートアップした激論の中で、ニューサム氏が放ったこんな一言がありました。
「私は耐えられるよ。bully(いじめ)には慣れているからね」
いわゆる“マイノリティー”に属する人たちに対してデサンティス氏が圧力をかけている、と批判したものですが、ニューサム氏の“事情”を知っている人なら、意味深に響いたかもしれません。
バイデン大統領が幼い頃に吃音に悩まされ、よくいじめられたというエピソードは有名ですが、実はニューサム氏も似たような境遇で幼少期を過ごした背景があります。ニューサム氏が悩まされていたのは、「ディスレクシア」という学習障害です。
ディスレクシアは文字の認識が困難で主に「読み書き」ができないという、先天性の障害です。ディスレクシアを公表している著名人にはトム・クルーズ、オーランド・ブルーム、ウーピー・ゴールドバーグなどハリウッドセレブのほか、ジャーナリストのアンダーソン・クーパーや実業家のリチャード・ブランソンなど、専門性の高い知識が必要とされる人もいます。知能とはまた別の次元の脳機能の障害で、アルバート・アインシュタイン博士もディスレクシアだったと言われているようです。
症状は人によって微妙に違いますが、ニューサム氏の場合は文字の読み書きに加えて数字も苦手だったそうで、高校時代の数学の授業は「いつも仮病を使ってサボっていた。とても耐えられなかった」とのこと。
一方で、先日の討論会の資料は税率や人口統計などそれこそ数字だらけでしたが、もちろん分からないまま喋っていたわけではありません。どうやって克服したのでしょうか?
「ハンデを言い訳にさせない」 母の教育方針
ニューサム氏は1967年、サンフランシスコ生まれ。3歳の頃に両親が離婚し、1歳違いの妹とともに母親のもとで育てられます。ディスレクシアのために学校を転々とした幼少期を経て、野球推薦でサンタクララ大学に進学。卒業後、23歳でワイン販売事業をはじめ飲食業などを手掛けたのち、地元サンフランシスコ市の役員として政界に進出し、2003年、史上最年少の36歳でサンフランシスコ市長に当選。2011年まで市長を務め、同年にカリフォルニア州副知事に就任。2018年には知事に当選し、2019年より現職知事…と、何だかんだ順風満帆としか見えないキャリアですが、内実は自分との熾烈な戦いの連続で、それは今も続いているようです。
幼い頃から読み書きが苦手で、どんなに頑張っても宿題が出来ず、妹は難なくこなしているのになぜ自分だけ…と劣等感に苛まれていたギャビン少年。実は5歳の時点でディスレクシアと診断されていたのですが、「障害を言い訳にして努力を怠る子にさせたくない」という母、テッサさんの方針で、本人にはずっと隠していたのだそうです。
本人が事実を知ったのは、小学校5年生のとき。テッサさんの部屋で書類を盗み見していると「ディスレクシア」と書かれたものが何枚もあったので、「ディスレクシアって何?」と聞いて、初めて本当のことを伝えられました。その瞬間、長年心の中で渦巻いていた「なぜ自分だけが」という疑問が、すべて一本につながったとニューサム氏は話しています。
学校では周りの生徒から「スローな奴」と呼ばれてバカにされ、いじめられることもしばしば。特に朗読は地獄でした。どう頑張っても拾い読みになってしまうので、皆に笑われます。そうなるのが嫌で授業中「先生当てないで、当てないで」と念じながら息をひそめるのですが、結局当てられて、読み始めるとやっぱりクラス中が大笑い…。そんな日々の繰り返しでした。
それでも周囲の助けもあって大学まで進学し、ポリティカル・サイエンスを専攻したことで、政治の面白さに目覚めます。それまで「読む」という行為には極力関わらず、学校の読書レポートも本の巻末の推薦文を書き写して提出したほどだったのですが、新聞やノンフィクションなら時間をかけつつも興味を持って読めるようになり、成績もぐんと上がったそうです(小説は未だ読んだことがないそうですが)。
卒業後は、ワイン販売の会社を設立。父親が石油で有名な富豪、ゲティ一族の資産管理をしていた関係で、ゲティ家から初期投資などの助力があったこともあり、事業は飲食業など複数の会社を手掛けるまでに成長します。その頃、チャールズ・シュワブやリチャード・ブランソンなど、ディスレクシアを抱える経営者の存在を知り、障害があることを前向きにとらえ始めていましたが、それでもまだこの頃は、自分の能力に自信が持つには至っていませんでした。
「35歳までは、自分をsmartだと思うことは出来なかった」と、ニューサム氏は語っています。35歳と言えば、サンフランシスコ市長選を戦っていた頃ですが、一体どんな変化があったのでしょうか。
自分にしかできない戦い方がある
ロサンゼルス・タイムズは2021年の記事で、ニューサム氏のディスレクシアとの付き合い方を、詳しく紹介しています。
カリフォルニア州知事として、ニューサム氏は毎朝6時頃に一人でオフィスに入り、スタッフが用意した資料を2度、3度と繰り返し、2時間以上かけてじっくり読み込みます。ただじっと読むのではすぐに集中が途切れてしまうので、下線を引いたり丸をつけたりして書かれた文章とインタラクティブに向き合いながら内容を理解していきます。大事なポイントは単語カードに書き出し、移動中の車の中でも見返して、記者会見やスピーチに備えます。
これが、最初に政界入りした20年以上前から変わらないニューサム氏の日々の仕事の取り組み方です。ニューサム氏のサンフランシスコ市長時代に広報担当を務めたピーター・ラゴーン氏によると、他の政治家と違ってニューサム氏の場合は資料を渡すだけではダメで、渡した後は内容についての長い質疑応答の時間を設けるとのこと。「書かれた事実や政策やロジックを根底から理解するために、本当によく勉強する」とニューサム氏を評しています。
準備にかける時間と労力は、ニューサム氏本人の言葉で言えば「ばかげている」ほど。資料を読んだらリサーチを混じえながら内容をまとめてノート数ページ分くらいに落とし込み、さらに最重要点を絞って単語カードに書き出し…といった作業をすべてのトピックについて行うので、勉強したノートやファイルが山のように溜まり、それだけで自分のオフィスが埋まってしまったこともあるのだとか。
これほど並々ならぬ努力をする理由は、「そうすることが、自信を持つ唯一の方法だから」。スピーチ、討論、記者会見など人前に立つ時は、十分すぎるくらいに準備をして内容を完全に消化してからでないと、心配すぎて仕事にならないのだそうです。これまで多くの政治家たちがスピーチの直前にスタッフから原稿やポイントメモを渡され、ステージに上がるとまるで自分の言葉のように完璧に読み上げる姿を何度も見てきたというニューサム氏。そのたびに畏怖と尊敬の念を抱きますが、「5〜6分のスピーチに6時間費やす」のが自分にできる唯一の方法で、そんなのは自分だけだろうと言います。
それでも、それをハンデではなく自分の強みと考えるのが、「ニューサム式」です。
2003年、サンフランシスコ市長選で35歳のニューサム氏が戦った対立候補は、緑の党のマット・ゴンザレス氏。ニューサム氏曰く「自分とは真逆の、ものすごく頭の切れる人物」でした。そのゴンザレス氏と討論会で直接対決したとき、初めて自分の中に、自分の能力に自信を持つという感覚が芽生えたのだそう。「ディスレクシアがあるために身も蓋もない地道な努力をすることが自信に繋がる実感が持てた。こんな自分には誰も敵わない、専門分野では自分は誰にも負けないと、心から思うことができた」と、ニューサム氏は語っています。
非営利団体「understood」のウェブサイトに、ニューサム氏がディスレクシアを抱える13歳の少年とビデオ対談をした動画があります。その中で少年から読み方のコツを聞かれたニューサム氏は、こうアドバイスしています。
「人が1回読めば理解できる内容を、2回、3回と読まなければいけないかもしれない。でも3回読んだとき、それは自分のものになる。ものにできるということは、非常に大きな強みだ」
慣れはしないけど、補いながら付き合っていく
昨年カリフォルニア州知事に再選された中間選挙では、共和党の対立候補に20ポイント近い大差で勝利し、ニューサム氏は全国区での知名度を不動のものにしました。私の周りにも、大統領選でニューサム氏が出馬するのを望む人が何人もいて、「彼は実績もあるし、スマートだから」と口にします。
「スローな奴」と呼ばれた幼少期から、今や「スマート」と呼ばれ大統領に推されるまでになったわけですが、それでもディスレクシアを「克服した」というのは、少し違うようです。
カリフォルニア大学サンフランシスコ校の研究所「ディスレクシア・センター」でディレクターを務めるロバート・ヘンドレン医師は、ロサンゼルス・タイムズの取材で、こう話しています。
先月のデサンティス氏との討論で出た「私はいじめに慣れている」発言も、ニューサム氏が幼少期、ディスレクシアのために周囲から時にいじめられ、劣等感を抱き続けた経験あってのことでしょう。
前回のブログで、討論の冒頭、ニューサム氏が司会者の質問に答えず自分の準備した(と思われる)オープニング・ステートメントを披露した一幕について書きましたが、これは“準備魔”ニューサム氏の努力が思いがけず裏目に出た、ある意味「落とし穴」だったかもしれません。ですが、アウェーな環境で初っ端から対戦相手にあからさまに笑われても、動じずあくまでマイペースを貫いた鋼のメンタルは、子供の頃から笑われながらも日々をやり過ごした経験の賜物とも言えそうです。
先述の少年との対談動画で、「いつ頃からディスレクシアに慣れた(comfortable)の?」と聞かれたニューサム氏は、「慣れたと感じたことはないよ」と答えています。「慣れたことはないけど、他のスキルを磨くことで障害をovercompensate(埋め合わせ、補填)している。僕は記憶するのが非常に得意だけど、それはそうせざるを得なかったからだ。子供の頃は全く読むことができなかった。だから聞いて覚えるしかなかったんだ」。
子供の頃からディスレクシアと付き合い、「どんなに頑張っても自分にできないこと」があると分かっているので、前に進むには、他の人とは違ったやり方を見つけて身も蓋もない努力をしなければいけないーー。これはディスレクシアに限らず、何らかのカテゴリーで“マイノリティー”に属するすべての人に当てはまるセオリーでもあります。これを実践し前進してきたニューサム氏ですから、マイノリティーの支持の厚い民主党にとって希望の星となるのは当然かもしれません。
本人は「大統領選には出ない」と繰り返し主張していますが、これからも大統領に推す熱い声が止むことはなさそうです。
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今回はディスレクシアの話に特化してお伝えしましたが、ギャビン・ニューサムという人はサクセスストーリーからワイドショー的ゴシップネタまで、なかなか色んな角度の話題をお持ちです。とりわけ「なぜ?」感が強いのは、元嫁が前回の大統領選のトランプ氏の応援演説で強烈なインパクトを残したドナルド・トランプ・ジュニア氏の現婚約者、キンバリー・ギルフォイル氏というところでしょうか。他にもゲティ家との関係や、ハリス副大統領と上司・部下だった頃の話など、掘れば面白いネタがいくつもありそうなので、今度はまた別の視点からニューサム氏を掘り下げてみたいと思います。