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安全ピン


生温い題材は嫌いじゃない。
男と女、酒とセックス、女子大生とパパ活、ホストと風俗嬢、生理中の女とやり目の男、なんとなく生温さを感じる、人によっては嫌悪感を抱く様な、そんな生温い題材は嫌いじゃないし、むしろ好きだ。どれも対になるように切り離せないし、切り離しては面白くない。ある意味美徳として存在意義を有している。悪とは思わないが、一種の必要悪といった所だろうか。絶対押すなと言われたボタンの様な物で、絶対押したくなる。ワクワクともドキドキともソワソワとも違う、なんとも押し寄せては引いていく、波みたいな物だと私は思っている。もし、私の精神世界の中からそういった必要悪が無くなってしまったら、もう書くものなんてひとつも無くなってしまうと思う。

それとは、全く関係の無い話かもしれないが、もしも私がいつか大先生の様な、誰からも認められる作家になったとして、
「先生、締め切りが」なんて言われた日には、何も書けなくなると思っている。何かに縛られては、表現する事は難しいのではないか、と。
悪は時として悪なんかじゃ無いし、善も、時として善では無いと思う。結局の所は、受け取る人間の価値観なのだろう。私に全く悪意や、否定的な気持ちが無くても、受け取る人間によってはとびきりの嫌悪感で返してくる時もある。誰しもが見えない刃を持っているのだ。言葉とゆう刃を。それを振り翳し、平気で突き刺してくる。何度も。何度も。そうやって、私の心は繰り返し刺され、簡単には修復出来ない所まで来てしまった。
そういった経験からか、私は外に出ると、人の刃がはっきりと見える。この目で。見えてしまうのだ。正直見たくないのだが、見えるからこそ私自身の刃は常に小さい物である様に心掛けている。安全ピン位の様な物だ。本当は手放したいが、人間である以上、自分の身を守る為にも全く手放す事は不可能の様なので、私はいつもこの理不尽な世の中で、大きな剣の様な刃に、安全ピンで戦っている。そうゆう世界なのだ、この世は。

今の時代、SNS、メール、LINE等様々な言葉とゆう暴力で、愛で満ち溢れている。
どうか言葉が、文字が、誰も傷付けず、誰にも優しく、癒すものであって欲しい。暖かい光、愛情であり続けて欲しい。そう心から願っている。

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