仲良しのナントカちゃんと、なんちゃらカフェでパンケーキを食べ、映える写真をこれでもかと撮り、Instagramに羅列する。
Instagramも、女子も、パンケーキも、否定してる訳じゃない。するつもりも無い。何が言いたい訳でも、何でも無い。ただ、空虚な気持ちです。と、言いたい。
最近は、世の中の人の自己顕示欲と、承認欲求とゆうものが、いよいよ目に見えて暴走をし始めたんじゃないかと感じている。
その形が様々なソーシャルネットワークサービス、いわゆるSNSなのだが、時代と共に、自己の自己による自己の為の表現。しかし、これはもうその過半数が、自己では無く、事故の様なものだ。単独事故でも、正面衝突であっても。
時として言葉は暴力なのかもしれない。どんな言葉であっても。垂れ流しても。誰かが受け取ってくれたとしても。
しかし、そんな事ない。優しい言葉だってあるじゃないか。と、思う事ももちろんあるけれど、しかしながら、言葉自体ではなく、誰もが発信出来る、出来てしまうとゆう事に、少なからず一種の危機感を感じてしまう。
ことゆう私もその中の1人だ。この様にここで、自己の気持ちを吐露するのは、もしかしたら読んでくれた誰かを傷付けてしまっているかもしれないと、恐怖心に苛まれる時もある。
相変わらず既読になっても返信のないLINEを眺めながら、またメッセージを送ってしまう。最近はもう既読すら付かない。いよいよ私の自己顕示欲と承認欲求が暴走し始めた瞬間を感じた。
心の整理がついたら、彼のLINEは削除しようと思っている。削除される前に。繋がる、繋がれるものが無くなったら、諦めがつくのだろうか。
しかしながら、まだこの気持ちが枯渇する気配もない。無意味な愛で溢れているのだ。こんな事は悲劇のはずなのに、なぜか私の心は、今も愛と希望で満ち溢れている。