近刊『終末期ディスカッション』序章その2
まもなく刊行となる『終末期ディスカッション』から,序章(その2)のご紹介です。医療従事者,非医療従事者,すべての方へ。近い未来のあなた自身かもしれません。「もし自分だったら」と想像しながら読んでください。
その2
あなたの母親は認知症が徐々に進行しており,2年前から介護老人保健施設で暮らしています。本当は家で面倒をみてあげたいのだけれど,自分の生活も大切なので,施設で暮らしてもらっています。まだ何も親孝行ができていません。せめて週末には面会に行って,遠い目をして車いすに座っている母の体をさすってあげています。
1年前まではあなたの顔を見たら笑顔になっていたのですが,最近は笑顔が少なくなりました。食べ物が間違って肺に入っても咳があまり出ないらしく,「誤嚥性肺炎」を繰り返すたびに,抗菌薬で治療されているようです。以前,母は「延命はされたくない」とか,「畳の上で死にたい」と言っていたのを覚えています。
でも母にとっての延命とは何かがよくわかりませんので,病気になったらしっかりと治療をしてもらいたいと考えています。
仕事中に母の施設から電話がありました。食事中に食べ物で窒息しかけたので病院の救急室にいるとのことでした。あなたは仕事を早退してすぐに母のいる救急室に駆けつけました。母は人工呼吸器につながれていました。「ビクッ,ビクッ」と目や口のまわり,そして手足が細かく動いています。「母は助かるのでしょうか?」と救急医の先生に聞くと,「命は助かるかもしれませんが,脳に酸素が足りない時間が長かったので,意識は戻らないかもしれません」と言われました。その後は集中治療室で「脳を守るために体温を管理する治療」が続けられました。
自分の家で母が笑っています。
「あれ,お母さん治って退院できたんだ!」
すごくうれしいですが,何か違和感を感じます。
「あー,これは夢かもしれない。でも現実であってほしい…」
目を開けると自分の寝室でした。最近は毎晩のように同じ夢を見ます。
集中治療室の担当医から電話があり,病状説明を受けるために病院に行くことになりました。主治医から話を聞く前に母に面会しました。人工呼吸器につながれており,まだ顔や体が「ビクッ」と時々動いています。
「頭のCTを再度撮ったところ,残念ながらお母様の脳は重度のダメージを受けており,もとには戻らないことがわかりました。おそらく目が覚めることはないでしょう」
鼓動が激しくなり,胸が苦しくなるのを感じました。同時に耳が熱くなり,涙がこみ上げてきました。
「それではこれからどうしたらよいのでしょうか?」
あなたは担当医の先生に聞いてみました。
「今のお母様の状態ですと,人工呼吸器がないと,喉が詰まって呼吸が止まってしまうので,気管切開という,喉に直接呼吸の管を入れる手術が必要です。あと栄養も必要なので,胃に直接栄養を入れることができるような手術も必要です」
この時点であなたは確信しました。おそらくこれからしようとしていることは「延命」なのだろう。お母さんはこれを延命と考えるに違いない。最後くらいはお母さんにしっかりと親孝行をしなくてはいけない。
「母は延命治療をしてほしくないと言っていました。苦しくないようにして人工呼吸器を止めてもらえますでしょうか?人工の栄養もやめてください」
担当医の先生は驚いた表情をして言いました。
「人工呼吸器を止めると死ぬということがわかっていて人工呼吸器を止めることはできません。栄養も入れないと死んでしまうのでやめることはできません。それをしてしまったら大きな問題になります」
あなたは納得がいきません。
「なぜやめられないのですか?畳の上で死ぬというのはそういうことではないのですか?母は多分これ以上の延命を望んでいません」
主治医は答えました。
「病院の規則なのでそれはできません。あと,この状態でも引き受けてくれる施設をどこか探さなくてはなりません」
あなたはまだ納得がいきませんが,主治医は取り付く島もなく,人工呼吸器と人工栄養が続けられることになりました。
お母さんがかき氷を作ってくれています。あなたの大好きないちごシロップをたっぷりとかけてくれました。
「お母さん,良くなったんだね‼」
「…そんなわけないか…また夢だよな…」
寝室で目を開けると母に対する申し訳ない気持ちで涙が止まらなくなりました。
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本書は,意思決定のジレンマについて,経験と知識が豊富な医師Aと,自分なりに解決方法を日々模索しながら診療を続けている医師Bという2人に登場してもらい,その対話を通して,患者とその家族が「これでよかった」と思うことができる意思決定支援をどのように行っていくかについて解説します。「患者中心の医療」のために,正しい悩み方を一緒に考えていきましょう。
則末泰博
(東京ベイ・浦安市川医療センター呼吸器内科部長/救急集中治療科集中治療部門部長)
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