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大学院生の苦笑と、分からないって面白い

大学院生だった頃,近くの研究室に所属する同じく大学院生の人と立ち話をしていた。

彼は当時,予測と全く違う実験結果が出てしまい途方に暮れていた。それを指導教官に相談したところ,「分からないって面白いね!」という反応が返ってきたのだと苦笑しながら私に言った。

生物学は学説が頻繁に更新されていくタイプの科学だと思う。一度証明されたかに思えた説明に修正が必要になるケースがまま見られる。何も適当に仮説が立てられているわけではない。その時々の技術で出来る限りの証拠を集めてもまだ足りていなかったことが後でわかるのだから致し方ない。

そもそも,最初からすっきりと道筋が見えた状態で研究をしているわけではなくて,色々な要素が複雑に絡まり合い,一見,混沌としている中に一抹の秩序を見出そうとしている。それはまるで何万ものピースからなるジグソーパズルに挑戦しているようなものだ。隣のピースにぴったりハマるか,あるいは,絵柄が繋がっているか,といったことをヒントに,正しいピースを探し出そうとするように,一つ一つ実験をこなしながら、合理的な結論を得ようと試行錯誤している。それも相当にピースが多くて,同じような絵柄が連続しているような難易度の高い作品を想像してほしい。一度に最後まで完成させるのは不可能だから,相当に範囲を絞り,関係がありそうなピースを選別し,出来るだけ丁寧に調べ上げる。その結果,ジグソーパズルのほんの一部分を完成させる。実際に,例えば神経科学系の論文やレビューのタイトルは,「脳の運動機能に関係するある神経回路が,体のある動作に指令を出すときの特定の状態について明らかにしました」というように,調べた範囲や明らかにした内容を宣言したものになっている(これでもかなり範囲が広いと思うが)。

生物学は,数学をはじめとする,細部まで精緻で論理的な分野と,歴史など,全てを調べ上げるのがそもそも無理な学問とで比べると,後者に近いと思う。日本史でも,鎌倉幕府の成立年が変更になったり,士農工商という身分制度が改められていたりするように,生物学も10年単位で学説が変わっていく。

神経科学分野で私が思いつく例として,動作を修正する脳の仕組みを挙げてみよう。

最近では,あらかじめ脳内で行われるシミュレーションが大きな役割を果たすと言われている。たしか昔は,視覚情報などから得られた手とコップとの距離や角度をもとに動きを修正すると考えられていた。それが今では,視覚などのフィードバック情報は使われているものの,それだけでは間に合わないから,動作の予行演習のようなものが脳内で行われていると考えられているらしい。

既存の説を少しずつ修正しながら生物学は進歩してきた。より広く科学の進歩とはそのようなもので,そこには生物学の一分野である神経科学も含まれる。当然,一つの修正にも時間がかかるから,日々の研究では分からない状態がかなり長く続くことを意味する。私は,この分からない状態に耐えるのが得意ではなかった。そもそも研究を始めたての頃は,分からないことに付き合わなければならないことすら認識していなかった。すごい研究者とはスルスルと正解を見つけて論文を発表していくものだとさえ思い込んでいた。本当はそういう人たちも試行錯誤を繰り返しているのだけれど,そのサイクルが速すぎて見えていなかっただけだと思う。もちろん,正しい方向を見つけるのが上手い人はいる。それを勘が良いとかセンスが良いなどと表現する文化も存在する。そういう感覚・経験的な部分はあるにせよ,いずれにせよ一足飛びに何かが進むものではない。

「分からないって面白いね!」という言葉は私の中にずっと残り続けているが,その印象は今と昔では全く違う。聞いた当初は,大学院生の彼の苦笑と研究の難しさに共感する気持ちが強かった。それが今では,指導教官の先生が発した,研究に対する理解と覚悟の言葉のように思える。

2022.11.5   牧野 曜(twitter: @yoh0702)