光遺伝学の光
10年以上前,神経科学の研究室にいたポスドクのNさん(仮名)と知り合いになった。Nさんと私がそれぞれ所属する研究室は同じ研究棟にあって,廊下で頻繁にすれ違ううちに話すようになった。年齢や立場が近くてお互いに話しやすかったからかもしれない。一度だけ一緒に旅行に行った記憶がある。
光遺伝学という言葉を初めて聞いたのは彼の口からだった。その時は,どのような実験手法なのかよく理解できていなかった。ただ一つ,Nさんが数ヶ月たっても実験のセットアップを続けていたことを鮮明に覚えている。光遺伝学は,光を当てるとその部分の神経細胞が活性化したり,逆に抑制されたりするように遺伝子改変を施したマウスを使う実験手法のことだ。それまでは脳の調べたい場所だけを自在に活性化させたり抑制したりすることはできなかった。光遺伝学は,現在進行形で多くの新しい発見を生み出している画期的な実験技術だ。編集部に問い合わせたところ,『カンデル神経科学』の第一版では「光遺伝学」の単語が一度も登場していないにもかかわらず,第二版では30箇所以上で使われている上に,第5章のBox(欄外コラム)にも取り上げられている。光遺伝学はこの10年間で,輝かしい成果を神経科学にもたらした。
その輝かしい光遺伝学の実験系を立ち上げるためにNさんが苦慮していたのは,マウスの脳にファイバーを刺す方法だった。意外に単純なことだ。しかし,脳は場所ごとに機能が割り当てられているので,自分が調べたい脳の部位にピンポイントで光ファイバーを挿入しなければならない。マウスの脳は大きさが1センチメートル,重さは0.5グラムほどだ。想像するに,1ミリずれたら実験が台無しになってしまうのではないかと思う。もっと繊細かもしれない。「想像するに」と書いたのは,同じ生物学といえども分野が違えば実験の詳細を正確に理解することはできないからだ。研究成果は理解できても現場の細かいところまでは分からない。だから,雑談混じりに研究の様子を聞いても芯を食った質問をできるわけではない。ボーリングに例えれば,ピンを何本か倒す程度の質問はできても,見事に真ん中のピンを倒してストライクを取ることは難しい。
「あー,ちょっと違うっす」
とか,
「まあ,大体そうっすね」
みたいな答えが返ってくることはよくあるし,相手の微妙な反応で「今のはガターだったな」と思うことはたまによくある。各分野に蓄積した知見や経験,ノウハウを知り,かつ実際に手を動かして実験をしないと詳細は伝わりにくい。説明できなさそうな領域に踏み込むと面倒だから,雑談程度であればしばしば話題ごと流してしまったほうがお互い気が楽だ。
現代の生物研究では,高性能な顕微鏡や,大量のゲノム情報が一度に得られる次世代シークエンサーなど,一台数千万もする高価な機器を頻繁に使う。しかし,ただボタンをポチッと押せば使えるわけではない。最適な条件で実験ができるようにするための,一見地味なセットアップ作業がついて回る。Nさんの話を聞いて,ずいぶんと大変な実験に手を出しているのだなと思った。神経科学は他の分野に増して手間のかかる実験が多い印象を受ける。脳や神経というとびきり複雑で繊細な臓器を相手にしているのだから当然なのかもしれない。おまけに光遺伝学は登場したばかりの手法だったから,細かいノウハウが十分に蓄積していなかったのだと思う。しかしそれでもNさんがずっとセットアップを続けていたのは,その労力を差し引いてもなお素晴らしい結果が得られる予感があったに違いない。
彼が一生懸命セットアップしていた頃からしばらくして,一流の学術雑誌に続々と光遺伝学を用いた論文が発表されるようになった。専門外の私でも気づくほど華々しかった。一流の研究室,それこそノーベル賞受賞者やその弟子たちが立ち上げたような研究室は,潤沢な予算と人材,そして芯を外さない戦略のもとに新しい技術を取り入れて,素晴らしい成果をあっという間に出してくる。Nさんの研究は,そこからさほど遅れることなく数年後には実を結び,これも一流の雑誌に掲載された。その頃はもう,私とNさんは同じ研究棟におらず,連絡も取り合っていなかった。彼が筆頭著者を務める論文が映ったモニターの画面を見ながら,私は小さく「おおっ」と声を上げた。
Nさんは論文の中で,ファイバーが目的の位置に刺さっていることをいろいろな方向から確かめていた。その様子からしても光遺伝学は新しい実験技術だった。通常,研究成果をまとめた論文は,同分野の研究者数人から査読を受けた後,学術雑誌に掲載される。数ヶ月から,長い時は1年以上かかる査読過程によって,論文中の実験方法や結果,導き出される結論が妥当かどうか厳しく審査される。多くのケースでは,データ不足を指摘され追加で実験をしなければいけない上に,期限も決められているので大変だ。SNS上でも査読の段階でのたうち回っている研究者をよく見かける。日常風景と言っても過言ではない。なにせ査読者のツッコミは細かい。もちろん,見当外れのコメントに苛立ちを覚えることも多々あるのだが,ここでは触れない。
きっとNさんの論文も,
「ねえ,ファイバーは,本当に,目的の場所に,ちゃんと刺さってる?」
「刺さってるとして,正しく働いてる?」
「脳の別の部分に作用しちゃってない?」
「光が強すぎて変なことになってない? ねえ? ねえ?」
などと責め立てられたに違いない(全て想像)。細かいツッコミは,研究者が正確性にこだわっているが故であって,意地悪をしているわけではない。そういう場合もあるが,ここでは触れない。実際,後々になって,「やっぱり違う物を見ていました」となることがある。そういったことを科学の歴史の中で繰り返した結果,面倒なくらい厳密にやってちょうどいいか,まだ足りない,と考える文化が出来上がった。要は痛い目を見た記憶の蓄積が,研究者をして異様に細かいツッコミを入れさせる。この細かいツッコミは,手法が確立されノウハウが共有されるに従い洗練されていくもので,ツッコむ側もここさえ押さえておけば大丈夫というツボがわかってくるのだろう。光遺伝学に対するコメントも,きっと今は少し楽になっていると思う。それも最初に実験手法に取り組んだ人たちの功績だ。
光遺伝学は,神経科学の分野ではすっかりお馴染みの手法になった。広く使われる普遍的な実験手法になったということは同時に,光遺伝学を使うだけではもう目新しさを演出できない。そうなってからが本領発揮だろう。光遺伝学を使えば,新しくて面白いことを証明できる。だから,あっという間に多くの神経科学研究者が用いる手法になった。流行る手法にはいくつか共通点がある。
——その手法でなければ証明できないことがあること。
——その手法によって,多くの研究者が興味を持つ対象にアプローチできること。
——その手法が,現実的な予算と時間で実行できること。
少なくとも生物研究では,斬新な理論や仮説が切り開く局面より,新規の実験手法によって頻繁にブレイクスルーが起こる。
「この,ここの,この部分を実験できる方法ないかなあ」
と研究者は頭のどこかでずっと考えている。良い仮説があっても実験で証明できなければ意味がない。だから,常に新しい技術にアンテナを伸ばしているし,自分の仮説やアイデアを証明できる新しい手法を求めている。そもそも,実験で証明できない仮説は良い仮説ではない。科学の歴史を扱った本に,「それぞれの科学的な課題には解決されるべき時期がある」と書いてあった。科学者の関心が集まり,かつ解決できる手段が登場する。その時期をうまく捉えた人が,革新的な業績を生み出す。ジャンプすればぎりぎり届く高さの課題じゃなければ努力が報われないと言い換えてもいい。
Nさんはあの時期,目一杯ジャンプするための新しいトランポリンを手に入れていた。その感覚は,今から光遺伝学を使う人には味わえない。最初に取り組んだ人たちの特権だ。
2022.7.19 牧野 曜(twitter: @yoh0702)