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大学生が考える『怪談とは何か』

こんにちは、medienlienのライターのけんたろうです。

もう夏ですね。

いや、遅いか。もう夏の終わりが始まってしまったのでしょうか。

でもなんだかんだここから暑さが続いたりするんですよね。

というわけで、今回は暑さも吹っ飛ぶ「怪談」の話をしようと思います。

とは言っても、怪談そのものを話すのではありません。『そもそも怪談とは一体何なのか』ということについて、私なりの見解を皆さんに提示していきます。

そのために、まずは私が考案した二つの対概念を紹介していきます!

①「畏し(かしこし)」「怖い」

畏しとは自分よりも上位の存在に対する敬意を含めた恐れのことです。

一方、怖いとは上記の敬意を持たないような単純な恐れのことです。

この二つの概念は敬意を持つか持たないかという点で対義的な概念になります。私は後でも紹介する『雨月物語』を読んでこの対概念を考えるようになりました。

「妖怪」「幽霊」

妖怪と霊魂の区別は、妖怪が「人間ではない何者か」であるのに対し、幽霊が「元は人間であった何者か」であることをイメージするとわかりやすいと思います。

幽霊には人間関係のドロドロなども含むような「恐さ」があったりします。

これで概念紹介は終わりです。次に、これらの概念を使って怪談の起源について考察していきます。

そもそも怪談とは何でしょうか。私は、怪談の起源は「人間の力を超えた、世界の掟や神などに関する神秘的で恐ろしくもある話」だと考えています。つまりは、「超人間的な」話だということです。

だから、怪談はもともと「畏し」と結びつきが強い

例えば、江戸時代の「雨月物語」。

(こちらは青空文庫で読むことができます。https://www.aozora.gr.jp/cards/001271/card60609.html

雨月物語は短編からなっているのですがそのどれもが仏教や儒教などのメインカルチャーが背景にある物語になっています(例えば、下画像は西行が崇徳院の怨霊と対決する場面です)。ですから、恐いというよりも不思議だなぁという印象を受ける物語が多いです(吉備津の釜という物語も恐いですが最後は神意の尊さで締められています)。

(青空文庫、雨月物語、一之巻『白峰』より)

しかし、江戸時代には「東海道四谷怪談」のように現代の怪談の元祖的なお話も生まれています。

これはまさしく「怖い」話です。

さて、一方で「怖い」話は江戸時代には妖怪などの文化としても広く親しまれるようになりました。

これが現代に入っていくと「ゲゲゲの鬼太郎」や「妖怪ウォッチ」など世にも不思議な「キャラクター」として受け入れられていきます

妖怪が「恐い」ものであるというイメージは現代においては薄れていき、人々の間で恐いものとしてではなくある種のキャラクターとして消費されるようになったのです。

それでは人々が今現在、恐いものとして消費しているのは何かといえば、まさしく「怪談」なのです(今回は物語や話に関する文化に焦点を当てているので、ホラー映画は除外します)。

怪談は「妖怪」ではなく「幽霊」を扱っています。その代表例として挙げられるのが稲川淳二の怪談ではないでしょうか。


稲川淳二の怪談はSpotifyでも聴くことができます。
https://open.spotify.com/intl-ja/artist/3Ld5elASLBFWvK0VRoCFIa?si=lwxbmQV4SWe2CJIOSNKd7w&nd=1&dlsi=06f83b1eb6f4452f


ここからは、こうして出来上がってきたサブカルチャーとしての現代における「怪談」がそもそもなぜ怖いのか。この点を考察していきたいと思います。


怪談はなぜ怖いのか?

怪談が怖い理由は単刀直入に『私たちの想像力』にあると言えます。

以下、その説明をしていきます。

この話をするに当たって、今まで何気に使い分けていた「恐い」「怖い」の言葉の区別をしたいと思います。

恐いとは客観的な対象に対するおそれを表し、怖いは主観的な対象に対するおそれを表します。

ですから、人間が本能的に持っていたのは危険な動物に対する「恐れ」だと考えられます。

しかし、人間は言葉を持つに至って想像力を働かせるようになります。そこで目に見えない死者に対する怖れを持つようになったのでしょう。

当初はそれが信仰などの文化の中枢と密接に関わり合いながら「畏き」話として語られていたわけです。それが現代に入ると怪談という独立した文化として定着していったのです。

したがって、怪談が怖い理由は私たちの想像力にあると考えられるのです。

例えば、

話の中で、人間や動物ではない「何か」が襲ってきたり、「訳のわからない出来事」が起こったりしてそれらに対する聴き手の想像を掻き立てるのです。

特に稲川怪談は、この人間や動物ではない「何か」や「訳のわからない出来事」が実際何だったのかについての言明が曖昧になっていると思います。

というのは、「ここでは昔〜みたいなことがあってねぇ…」のように暗に仄めかす最後になることが多いのです。

さて、怪談が怖い理由が私たちの想像力にあるという説に納得していただけたでしょうか?

ぜひ、実際に稲川怪談を聴いて、私の仮説が合っているのか否かを確認して欲しいです!

稲川淳二の怪談ナイト
(稲川淳二さんの怪談公演もおすすめです!)

稲川淳二メモリアル「遺言」 - YouTube
(YouTubeでもぜひ!)

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