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「氷山に咲く大輪の花」第4話 開いたとびらの向こう側

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そしていよいよ独立開業。
とりあえずは自宅の一室を使って整体サロンを開くことにした。
まずは簡単なパンフレットをパソコンで作った。そして、印刷したものを自宅の周りからポスティングをし、またホームページを即席で仕上げるなど、少しずつ広告をしていった。
開業当初は、気持ちも大きくなっていて、やる気満々だった。しかし、半年が経つころには、実際に経営の難しさを目の当たりにするようになっていた。
まったくお客さんが来ない日が続くと、不安がどんどん表出してくる。事業が波に乗るまでは本当に時間と手間がかかるものなのだろう。この先どのようになっていくか、自分が向かっている方向が正しいのかどうか、よくわからなくなっていた。

しかし、頼るのは自分しかいない。一人の時間が多くなり、自分自身とごく自然に向き合うようになっていった。
こうして部屋の中でただ独り、研究が始まったのだ。あるときは自分の内側から浮かんでくるものを、ひたすらノートに書きつづっていくこともあった。最初は、わけのわからない言葉を書きつづっていたように思うが、半年、1年、そして2年と経つごとに、少しずつ自分がやりたいことを明確にしていくことができた。

たとえば、ハートに意識を合わせていくことによって、エネルギーを生み出す手法。エネルギーといっても目に見えるものではないから、言葉で表すのは難しい。
ハートとは、愛そのものでもあり、胸の中心辺りに存在しているチャクラ(球体のようなもの)のことでもあるのだが、当時はそのことを言葉を使って明確に説明することもできなかった。

その当時は、胸の内側の中心に意識を合わせて、その状態を保ち、エネルギーがどのように体内に発生していくかを観察するなど、研究を重ねていた。
また気功法もよく試していた。たとえば、胸の前でソフトボールくらいの大きさにして、手で透明の球体を形づくる。そして、その透明の球体が手をどんどん押し広げていくイメージをしていく。そうすると、両手の間におのずと手を押し広げていくエネルギーが生まれ、手の中の球体は実際に手を押し広げるかのように大きくなっていくのだ。
これは気功法の一つだが、目に見えないエネルギーが、イメージの持ち方や意識の使い方によって生み出されることを証明しているようでもある。

当時は、整体や気功の療法を用いた施術によって主に収入を得ていたが、少しずつ気功教室も開催していた。私が好んで案内していたのは、静かな呼吸とともに気功の型に合わせてポーズをとる、または手を動かしていくやり方だ。それにより、体内におのずと気のエネルギーが発生してそれが体内をめぐっていく。

数年後には、埼玉県の坂戸市が運営する企画でも気功教室を開催することになって、その教室では、熱心に通い続けてくれた方が何人もいた。私自身は2年ほどで講師をやめたのだけど、そのあとも有志で集まって、私が伝えていた気功の教室を何年にも渡って続けてくれていたようだ。

独立して4年が経ったころには、私の研究の中心は「ハートの意識について」に的がしぼられていった。しかし、実際にそれが事業経営に結びつくまでには、7年以上の歳月が必要だった。
「ハートの呼吸法」という手法が生み出されたのはちょうどそのころで、整体やカウンセリングの技法と組み合わせ、いくつかの講習を開催するようになっていった。
そのいっぽう、自分の中にあるものだけを頼りに研究を進めるのは、常に不安と隣り合わせでもあった。奥底にある怖さみたいなものがふつふつと湧き上がり、それに押しつぶされそうになることも多かった。

声楽の楽しさを味わう

ちょうどそのころからだったか、不思議と、いい声ですね、と人からほめられることが多くなっていった。最初のころは言われてすぐに、「そんなことはないですよ」と否定することが多かったけど、あまりにもそういった機会が増えたため、そう言ってもらえることを拒否せずに受け入れるようになっていった。
子どものころ、カセットテープに録音した自分の声を聞いたとき、その声に対して自分の中で即座に拒否反応が浮かび上がってきたことがある。なぜそういう反応をしていたのかはよくわからなかったけど、こんなに人から声のことをほめてもらえるということは、それを自分で受け入れることが大切だからだろうと思うようになったのだ。

そして、30代の後半になると、私は声楽のレッスンに通うようになっていた。人前で話すときにもっと声を出せるようになったほうがいいと思っていたし、何よりも当時知り合った人にすすめられたからだ。
まさかこの自分が声楽のレッスンに通うことを決めるなんて……。それは勢いというか、少々唐突なことでもあった。

そして、最初のレッスンに向かう途中、こんな歌が心の中に流れてきた。

君のーゆくー道は~
果てしーなくーとおい~
だのにー、なーぜー
歯をくーいしーばーりー
君はーゆくーのーか~♪

今でも当時のことをよく覚えている。車を運転中に心の中に響いてきたのだ。
この歌詞の内容は、何を私自身に訴えているのか。声楽はやらなくてもいいことなのか、という考えも浮かんだが、そのままレッスンに向かうことにした。

最初は簡単に考えていた。声がもっと出せるようになればいいなと。
だから、声楽の先生には、はじめに伝えていたはずだった。「ボイストレーニングになればいいなと思って」と。

しかしレッスンでは、毎回のように新しい楽譜をもらい、先生のピアノの伴奏に合わせて歌う、という流れがいつの間にか定着していった。
先生は以前、ヨーロッパに留学した後、現地で声楽家として活動していたことがあるらしい。それを考えれば、声楽を学んでいく流れも、自然な成り行きだったかもしれない。
「今日はこれを歌ってみましょう!」と、クラシックの楽譜を手渡されると、音痴だった私にとっては腰が引けてしまうことも多かった。それでも、声を出すことは気持ちよかったし、少しずつ歌を歌えるようになっている気がして、うれしくもあった。

しかしその反面、なんとなく心の内側には、苦手意識というか怖さみたいなものが渦巻いていて、もう次にはやめてしまおうかと、毎回のレッスンのたびに心のどこかでそう思っている自分がいた。

音痴を完全に克服した人生の物語。毎週月曜日に次の話を公開予定。


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