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「氷山に咲く大輪の花」第3話 人生の舵を切る

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首や肩のコリをゆるめるには、ただ首や肩に施術をすればいいわけでもなく、肘から指先にかけてのツボを効果的に押していくことで、首や肩のコリが、よりゆるみやすくもなる。
腰やおしりにかけての痛みや張りに対しても、その部位から少し離れたところにある、膝の裏やふくらはぎのツボなどを好んで使っていた。
たまに、腰が痛いのになんで足のほうを押すのかと、文句を言う人もいたけど、それもその通り。施術の受け手からすれば、痛い箇所を重点的にやってほしいと思うものだ。まだ経験が浅いときは、そんな受け手のニーズに応えられないときもあったけど、3年が過ぎたころには、相手のニーズにも合わせながら、短時間でなるべく効果を上げていく整体の手法を少しずつ確立していた。

これが専門学校に通い始めてから5年が過ぎたころのこと。結婚生活にも別れをつげ、ようやくやりたいことを仕事にできている感覚を得られ、自分に自信が持てるようになっていた。人生の歩み方を変え、やりたいことに意識を向けて一心に進んできていたのだが、納得できる結果が少しずつ現れていたのだ。

ちょうどそのころだったか、同僚と仲良くなったお客さんが、職場のスタッフをカラオケに連れていってくれた。20人くらいは座れそうなカラオケルームに、8人くらいの同僚とともにそのお客さんを囲んだ。
カラオケに行くのは久しぶりだった。選曲をするタイミングになると、どんな曲を歌おうかやっぱり迷ってしまう。なんとなく、大学時代に味わった沈み込む思いがにじみ出てくるようでもあったけど、思い切って自分の歌いたい曲を歌ってみた。
ちゃんと歌えているかどうかなんてわからなかったけど、ちょっとした驚きもあった。森山直太朗の「さくら」を歌っているときのこと。私が歌っていると、心地よさそうに聴いている人の顔が目に入ってきたのだ。
音楽に関しての私の実力は大学時代とそう変わっていないように思えたけど、自分に自信を持てるようになってきたことが、歌うという表現に対して良い影響を与えていたのかもしれない。

新たな悩み

ちょうど33才になったころ、私はさらに人生の舵(かじ)を切ることにした。5年間勤めたクリニックを退職し、独立して整体サロンを開業したのだ。
独立するといっても整体だけでは心もとなかったから、その半年くらい前から、ある気功師のもとに週一回通っていた。施術に生かせる確実な気功の技術(気功の治療みたいなもの)をさらに身につけたかったのだ。
しかし、その気功師の先生は、なんとも怪しい風貌(ふうぼう)で、最初に出会ったころから、かなりのインパクトがあった。年齢不詳で、見たところは当時65才というところか。もじゃもじゃの髪は耳の下まで垂れ下がり、まゆ毛がやたらに濃く、目ヂカラが強い。マンガの中で描かれそうな特徴的な、いで立ちをしていた。

体外の気を集め、それを人のために扱えるようになるには、まずは自分の内側にある気の通り道を太くすることが大切らしい。そのために、先生が教えてくれたいくつかの気功法(特殊な動作)を、一日に数十分、家でくり返し実践してみた。
今となっては詳細をほとんど思い出せないけど、おそらくその気功法によって効果が現れたのだろう。独立するころには、少しずつ気を扱う施術ができるようになっていた。でも、その先生が気の施術の仕方を直接教えてくれたわけではない。多くの人に施術をしていくうちに、自然と自分のやり方を見いだしていったのだ。

また、その少し怪しげな気功の先生は毎回通うごとに、私にとってはどうでもいいような小技を披露してくれた。割りばしをのどに垂直に当てて「ハッ!」と大きな声をあげ、割りばしを折って見せてくれたけど、私は思わず目をそらしたくなってしまった。

ちょうどそのころ、私の首に激痛が現れていて、当時の同僚に整体をしてもらったり、思いつく限りの施術を自分でも試したりしたけど、いっこうによくならなかった。
そしてこれは、先生に首の激痛の件を伝えたときに起きた出来事である。
「よし、じゃこれを試してみよう」と先生は言って、私の後ろに立った。そして、私の首の位置まで、両腕を伸ばしたまま上げて、そこから下に向かってスーッと腕を下ろしていった。
「どうだ?」
先生は心細いとも自信があるとも言えない声で聞いてきたが、痛みはまったくとれていない。数回くり返してもらったが、痛みの度合いはまったく変わらなかった。

私はこのときに心の奥のほうで何かを察知したようでもあった。気功のようにエネルギーをただ体内に流すだけでは、今回の痛みはとれないような感覚があり、当時の私の首には何か芯のようなものが詰まっていると、そんな感覚を自分の中で捉えていたのだ。
この体験ができたのも、気功の先生が気のエネルギーを私の身体に流してくれたからなのだろう。
しかしいっぽうで、こういうときに結果が現れないから、先生のことを人に伝えるときは、つい「怪しげな」という言葉を使ってしまう。

当時、私は整体サロンを開業する場所を決めていて、もう少しで賃貸の契約をするところまできていた。しかし、首の痛みが日に日に増していき、何をしてもいっこうに痛みが引かない状態が続いていたとき、ふと思ったことがあった。
「もしかしたら、その場所で開業することが自分にとってはよくないのかもしれない」と。

最終的に私は、信頼できそうな気学の占い師に見てもらうことにした。そして思っていたとおり、自分にとっては「時期や場所が最悪である」ということを告げられたのだ。
首の痛みは尋常(じんじょう)ではなかったから、気学で見てもらって、内容がよくなかったらその場所での開業は素直にやめようと決めていた。
契約寸前に取りやめたものだから、オーナーの方に少し文句を言われたけど、あのときは決断して本当によかった。そして、首の痛みはというと、2日も経つと何事もなかったように消えていたのだ。

この体験も私にとって、大きな授業の一環だったかもしれない。「痛み」というものは、気のエネルギーを流すだけではとれないこともあって、その痛みから気づきを得て行動を変えることで痛みがとれることがあるのだ。
気功の先生にはけっこうな大金を払ったのだけど、この体験はのちのち私の研究に大きな意味をもつことになり、結果的には良い体験となったのだ。
結局最後まで、先生に対する怪しさを拭(ぬぐ)い去ることはできなかったが、秘伝の書みたいな気功術の冊子はのちのち役立ったし、気を扱った施術を身につけるという目的を達成していたことには満足していた。


音痴を完全に克服した人生の物語。毎週月曜日に次の話を公開予定。


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