「氷山に咲く大輪の花」第9話 謎が解ける
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そのいっぽうで、ピアノのレッスンでは何がきっかけかは忘れてしまったけど、新たな展開が生まれていた。一回のレッスンごとに、一つの調について学んでいくことになった。
ピアノには白と黒の鍵盤がある。まずは、白の鍵盤だけを使い「ドレミファソラシド」と弾いていくハ長調について学んだ。
そして次に、対(つい)になる短調を学ぶ。基本的に長調と短調は、それぞれに12種類あって、一つひとつが対になっていると教えてもらった。
ハ長調の対になるのはイ短調。回を追うごとに、「へ長調・二短調」「変ロ長調・ト短調」というように進めていった。楽譜の五線紙の左上に書かれている♭(フラット)や ♯(シャープ)の記号によって、その曲がどんな調なのかがわかる。
♭や ♯ の記号が5個も6個も並んでいる楽譜をはじめて見たときは、目がくらみそうな感じがした。この記号が多くなればなるほど、黒の鍵盤を使うようになり、弾くときはさらに上級のテクニックが必要となる。
毎回それぞれの調について説明を終えると、先生は、その調の曲を選んでピアノを弾いてくれた。ハ長調を学んだ日は、ハ長調の曲というように。
最初に、先生がハ長調の曲を弾き始めると、私の内側からはっきりとした言葉が浮かび上がってきた。はじめは少しとまどったけど、その言葉を書き留めたほうがいいと直観的に思った私は、先生にそのことを打ち明けた。
そして、仕切り直して、先生がハ長調の曲を弾いている最中に、私は自分の内側から湧き上がる言葉を素早く書き留めていった。
このときが最初ではないけれど、先生がある曲をピアノで弾くと、私の身体が反応することがよくあった。ピアノの音が私の肩や首のあたりで振動しているようにも捉えられ、曲を聴き終えたころには、なんとなく私の身体が軽やかになっている。
なんだかおもしろい。書き留めた内容を弾き終えたばかりの先生に見せてみる。
先生は、感心しているようでもあり、不思議に思っているようにも見えた。
基本的に長調は明るく、短調は暗めの曲調と言える。おもしろかったのは、曲の調ごとに私の内側から現れてくる言葉が変化していくことだった。
とくに頭で考えて、言葉を作り出しているわけでもなく、内側の泉のようなところから瞬間的に湧き上がるものをすっと拾い上げて書き留めたような感じだった。
変ロ長調:
「和やかな声や音楽が派生していく。流れゆく心を作りたいときや、いつくしみの心を忘れた人、地獄の心を味わった人にも良い調」
ト短調:
「ゆれ動く心、戒めを受けた過去。そこへ意識をつなげていき効果を出すことが大切。昼間から飲みに行く人の心をないがしろにしない。フラットな心でさまざま拾い上げる調」
調ごとに言葉を書き留めていくと、それぞれの調には独特の波長があるのだなと、自分なりに受けとめるようになっていった。とくに短調は、人の内側にある暗い感情と反応しあう特性があるようにも感じて、場合によっては、人の奥深くにある感情を癒やしていくためにこの特質を応用できるかもしれない、と推察するようにもなっていた。
最初は音楽を学ぶことにかなり腰が引けていたけど、調ごとにその印象を書き留めていくうちに、これは自分の深い部分にある、もともと持っていた音楽的な特質というか才能のようなものだろうかと、密(ひそか)かに感じてもいた。
思わぬあと押し
そして、一通りの調について学び終えようとしていたころ、私は印象的な夢を見た。
私は中学校の教室のようなところにいる。誰かがピアノで伴奏をしてくれて、私は楽譜を手にしながら自分で作った曲を歌っていた。そして、私が歌い終えると、周りで聴いていた人たちは拍手をしてくれて、私が心温まる感覚を体感するところで夢は終わった。そして、その心温まる感覚はしばらくの間、私の内側に生々しく残っていた。
この夢は、明らかに私に向けたメッセージであると思えた。詩を書いて一つひとつのフレーズに曲がついているにもかかわらず、お蔵入りになってしまいそうなあの曲について。
そのままにしないでほしいという、心の深い部分から声だと、私には感じることができたのだ。
いつだったか、整体を習いに来ていたある受講生の方が「自分で作詞作曲した歌をたまに友達と歌っているんです」と言って、手書きの楽譜を見せてくれたことがあった。
これも私に向けての、現実感をもった後押しだったように私は感じていた。
だからこそ、日常のすべてのことは自分のために起こっていると思える。自分の内側で気づいてそれを受け入れていくまで、ときには行動に移していくまで、日常はどこまでも追いかけてくる。
どうしたらいいかわからないまま日常を過ごしていたあるとき、家でピアノを弾いていると、胸の内側にはっきりとした言葉が響いてきた。
「この350余年、悲惨な思いをしてきた……」
私はこの言葉を自分の内側で聞くと反射的にピアノから離れた。それが、大きな意味をもっているであろうことを瞬間的に捉えたからである。
何を意味しているのか、その答えを探らずにはいられない。約350年前ということは、1600年代の後半ということになる。
私は、いてもたってもいられなくなって、ハートの呼吸法を始めた。そして、自分自身に問いかけていった。「あの言葉は何を意味しているのか」と。
時間をかけてゆっくりと呼吸を重ねていくと、ある光景が自分の内側で映し出されてきた。
多くの人の前で、私は自分で作詞作曲した歌を歌っている。自分の伝えたい言葉を確実に伝えられるように、遠くにいる人にも届くように、歌い方(唱法)を意識して身体全体を使い、声を響かせている。
人通りのある誰もが歌声を聞ける場所で私は歌っていて、当時の私は男性のようだ。場所はドイツ(当時のプロイセン)であることがわかる。
そして、人影から現れてきた人が私をナイフで刺し、私は地面に倒れ、そのまま息絶えていく映像が見えてきたのだ。
なるほど……。
ある意味、自分の内側で捉えた内容は衝撃でもあったが、今までのことがすべてつながるような感覚がこみ上げてきて腑(ふ)に落ちた。
だから、自分の作った曲を前面に出すことが怖かったのだ。
現代では、自由に自分の曲を作り歌うことができる。しかしあの時代は、教会音楽がより大きな影響力をもっていて、自由に歌う人を心よく思わない厳格な人がいたようだった。
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