「氷山に咲く大輪の花」第14話 人生の春
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人生の流れを変える
この年は、大きな変化がいくつもあった。
数年前から、新たな人生のパートナーに出逢うことを感じるようになって、時間をかけて自分の内側を整えてきた。その努力が実ったのかどうか、待ちに待った人生の春もやってきた。
20代前半からはじまった結婚生活は非常に窮屈で、自己犠牲のかたまりだった私は、人の不幸を無意識のうちにかなり引き込んでいた。相手の不安定さを自分の中に無自覚のうちに引き入れてしまい、自分の精神状態が、不安定な日々が続いていた。いつのころからか、独りになりたいと思う気持ちを心の中で強く訴えるようになり、実際に30才手前で別居、そして離婚を体験した。
そして自分がやりたいことに集中しはじめた30代。しかし、相手の中にあるものを自分の中に引き込んでしまうという体質は変わっていなかった。
一緒にいるうちに、価値観の違いに気づいて長くは一緒にいれないと思っていたけど、自分の心に正直になれず、5年、6年と時間はあっという間にすぎていった。
しかし、30代半ば過ぎになってようやく、同じことをくり返している自分に気づき、少しずつそのことに向き合うようになっていった。そして、女性との関わりを通して自分が本来望んでいない状況になってしまうのは、自分自身に原因があることに気づいていったのだ。
まずは、母との関係を見つめていくことにより、母のことをかわいそうな幼少期をすごした人として、私の中で低く捉えていることに気がついた。
そしてあるとき、一つのことが腑に落ちた。自分の母に対して抱いている印象そのものの人が、今まで自分のパートナーになっていたのではないか。もしかしたら、自分の意識が今までの現状を引き寄せていたのかもしれない、と捉えることができたのだ。
母がかわいそうな人という捉え方は、私の思い込みであった。見方を変えれば、実際の母は素晴らしい人だったのだ。母は自分の親と一緒に暮らせない戦後の大変な幼少期をすごしながらも、自分の3人の子どもには愛を注いで育てたのだから。
このような経過をたどり、私はそれまで自分の中に植えついていた母に対しての古い価値観を、意識して変えようとしていった。
そしてもう一つ、本当に基本的で大切なことを捉える必要もあった。それは、私自身が小学生から高校生のころ、母からの愛を心から受け取ろうとしていなかったということだ。
そのころは、自分の容姿のことで心ないことを人から言われることがあり、無意識のうちにも心が沈み込むことが多かった。だからこそ、親に対して心苦しい気持ちをわかってもらいたい、自分のことを認めてもらいたい、という思いがあったはずなのに、親の愛を受け取ろうとしない自分がいたのだ。
ちょっとした卑屈な感覚を当時から持ち合わせていたのは、そのためだったかもしれない。
このような子どものころの癒やされていない感情は、大人になった自分の中で無意識のうちに動き出すこともある。母からもらうはずの愛を、他の女性に求めるようにもなってしまうのだ。
とくに男性の場合、母親との間にコンプレックスを抱えることも多いみたいだ。母親からの愛を子どものときに十分に受け取っていればよいのだが、それが欠けていると、男性は自分の結婚相手に対しても同様に母親からもらうはずの愛を求めるようになってしまう。
結婚生活となると、この部分は繊細であり、非常に難しい問題でもあるようだ。夫にとって相手の女性は妻であり、母親ではないから、二人の関係性がぎこちなくなってしまう可能性が大いにある。
夫が無意識のうちに、母に対して求めるような愛を妻に求めると、女性にとっては、ある意味、拒否反応みたいな感覚が現れてくることもあるようだ。
私は仕事で多くの人にカウンセリングをしていくうちに、このの内容を捉えるようになったのだが、私自身にとっても、同じように当てはまる部分があると感じるようになった。
そのため、私は必要なときは足しげく実家に通い、母と(もちろん父とも)話をする時間を多くもち、子どものころに受け取れていなかった母からの愛を再認識していった。また、そのころに思いをはせることにより、意識の中で、その当時母が私に向けていた愛を自分の中に取り入れることにもしていた。
このようにして、私は時間をかけ、母との関係性を見直していった。
また、もう一つ並行しておこなっていたことがある。自分の幼少期からの心の傷は、母の愛だけでは癒やされきれないことを知っていたから、大人になった自分から過去の自分へ愛を送っていった。簡潔に言えば、それは自分の内側にある「女性的な質をもつ愛」である。
過去の苦しかった気持ちは、大人になった自分に深く影響を与えていて、それは日常の中で何度も浮上してくる。悲しい気持ちにさいなまれると、それを埋めるために自分の外に愛を求めるようにもなってしまうが、いくら他の人に、自分の心の傷を癒やしてくれるものを求めても、いっこうに解決にはいたらない。
だからこそ、何かしらの感情が自分の内側に現れてきたときは、見てみぬふりをするのではなくて、そこに意識を向けてあげる、そのことをただ受け入れてあげるという、女性的な愛の質が必要になったのだ。
「そうだよな……、あのときは本当に大変だったよな」と。
今を生きる自分が過去の傷ついた自分に気づいて、心から理解してあげるだけで、過去の癒やされていない自分の気持ちは少しずつ安らいでいく。
私は実際に、このように自分自身を見つめ、過去の自分に愛を送っていくことによって、心身ともにより安定するようになった。
そして、自分の幼いころの感情が癒やされていくごとに、生涯のパートナーと出逢う、という感覚が自分の中にさらに力強く定着していった。もちろん、母への印象が変わったことも大きく影響していたのだろう。
そして、40才を過ぎて、私は人生の大きな変換期を迎えることになった。まるで人生の霧が晴れてきたようでもあった。
これはちょうど歌のワークショップが終わりを迎えたころのこと。友人が、同じ職場の女性を私が開催している講習に誘ってくれて、この機会が私が心待ちにしていた出逢いへと進展していったのだ。
出逢った当初は、講習を受ける一人の生徒だったから意識していなかったけど、なんというか、二人の流れは唐突でもあった。その当時は、私の家によく遊びに来ていた男性とブログに載せる動画を作っていたのだが、ふと一つの企画を思いついて、その女性に参加してみないかと誘ってみた。
それは、自然の中に出かけていって、あるテーマについて話をしていく企画だったのだけど、彼女は迷う様子もなくやってみたいと言ってくれた。
そして、その企画が始まる少し前くらいになると、私は、この人が心待ちにしていた女性だと強く感じるようになり、そう思えば思うほど、自分の気持ちを抑えるのが大変になることも多くなった。
しかし、企画が進み出すと、おのずと連絡を取り合う機会が増えて一緒に出かけることも多くなり、これをごく自然な流れと言うべきなのか、数か月後にはお付き合いをするようになっていった。
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