米国における「体外受精」の今の現実。 布施信彦 医師
米国における「体外受精」の今の現実。 布施信彦 医師
日本と米国、というよりも、日本と世界との大きな違いは何か。
様々な違いがあるけれども、一つ大きな違いは
日本人は細かいことを気にする。
自分の仕草も、他人の仕草も、小さな違いでも、「普通と違う」という観念が強い。
一方、米国の人は「違い=個性は最も大切なものであり、違っていても気にしない」
なぜ、そう違うのか。
それは、人間社会が「動物園」の中だと考えるとわかりやすい。
日本人の容姿はみんな似てる。
髪の毛は黒、目の色も黒。鼻の高さも似たり寄ったり。身長もだいたい似てる。
一方で
米国では髪の毛の色は黒だったり、グレー、赤茶、
目の色も鼻高さも高すぎるような人が沢山いて全然違う。身長差も全然違う。
動物園でいうと、日本人は全部「カメレオンコーナーの中だけ」
表現が、可愛くないので、日本人は全部「パンダコーナー」にしましょう。
いーつも、パンダのコーナーにしかいないので(他の動物を見たことがあまりない)
体は白と黒でないと「おかしい」
目の周りは「黒」と決まっている。
熊さんみたいのが混ざってたら大騒ぎになる。
でも米国は違う。
初めから、背の高い首の長い「キリン」さんや口が巨大な「かば」さん、足がやたら細すぎる「ダチョウ」さん。。。。。。
それが一つのコーナーではなく、大きな動物園の中で一緒に生活している。
この状態で、もはや、キリンさんが「あなた、首がちょっと長すぎるのでは?」
ダチョウさん「あなた、足、細すぎて大丈夫ですか?」
など、もはや「どうでもいいこと」なんです。
本当に「どいうでもいいと、みんな思っているんです」
日本人は世界をTVを通して知っているけれど、体感では世界がわかっていないのです。
長話になってしまいましたが。
今回タイトルの「米国における体外受精の現実」です。
アメリカにいると、最近よくみる風景があります。
ベビーカーを押しながら、楽しそうに喋っている、パパとママ。。。
なぬ?
いや、違う。
ベビーカーを押しながら、楽しそうに喋っている、パパと「パパ」だ。。。
私も慣れているので驚きもしませんが、そう、
パパとパパの間に生まれた赤ちゃんなのです。
こんな風景をよく見ます。
もうお分かりかと思いますが、
「卵子提供」、あるいは、「受精卵提供」を受けて、「代理母」によって産んでいただいた、赤ちゃんなのです。
日本ではもちろん法的に不可能なのですが。
世界の最先端では、このような方法で、「不可能」を「可能」にしています、という話でした。
ポイントは、遺伝子上、自分と同じものでなくても良いのではないかと、私は思っています。そこにこだわると、年齢が高くなってくると「不可能」だったりするからです。
もう一つ米国の現実をお伝えしますと。なかなか子供ができない場合、「adoptation
」つまり、小さな子赤ちゃんや子供を養子にする人たちも多いです。
このお話はまたの機会にしましょう。
日本の中で「こうじゃないとダメ」ということでも、世界の中では「意味があまりない」こともあります。
子供が欲しくても、どうしてもできない場合、「視点を変えれば」、選択肢はまだまだあるということです。 そこで人生絶望する必要はありません。
医師 布施信彦