忘備録 日本では個人が開業する「個人医院(クリニック)」の状況・課題
日本では個人が開業する「個人医院(クリニック)」が数多く存在し、都市部から地域まで幅広く医療サービスを提供しています。これは他国と比較しても大きな特徴の一つと言えます。以下では、他国との比較・歴史的背景・現状の課題・今後の展望など、多角的に解説します。
1. 日本に個人医院が多い背景
医療制度(国民皆保険制度)の影響
日本は国民皆保険制度により、全国どこでも一定の自己負担率(原則3割負担)で医療サービスを受けられます。
医師側としては、患者が自己負担額を大きく心配せずに受診できるため、開業リスクが比較的低く、地域にも患者が確保されやすい土壌があります。
病院もクリニックも同一の公的医療保険制度下で診療報酬を得ることができるので、独立開業しても収入面の安定が得やすい側面があります。
医師の独立志向・文化的背景
医学部卒業後、一定期間の研修や勤務医を経たのちに、地元や都市部などで開業するケースが歴史的にも多いです。
開業資金に関しても、金融機関が医師向けに比較的低金利で融資を行う例が多く、開業しやすい環境が整っています。
「家業として代々医院を継承する」文化も一定数あり、とくに地方では親子二代、三代での開業医が珍しくありません。
大病院との役割分担(病床規制など)
日本では病院の新設や病床増設に制限(病床規制)があるため、大規模な入院施設を持たない外来中心の医院(クリニック)が機能してきた面があります。
大病院は高度医療・急性期医療を担い、一次医療・プライマリケア領域は個人医院が担うという役割分担が進みやすい構造があります。
2. 他国との比較
アメリカとの比較
アメリカは大規模な病院チェーン、営利企業・非営利組織が運営する統合型医療機関が多く、医師個人の単独開業は減少傾向と言われています。
専門医がグループを組んで開業する形態や、病院が外来部門として多数のクリニックを抱える形が一般的で、「個人医院」が日本ほど多くはありません。
ヨーロッパとの比較
イギリス(NHS)や北欧諸国など、公的セクターが医療提供を大きく担う国では、**公的機関に属するGP(General Practitioner)**がプライマリケアを提供する例が多いです。
個人開業医がゼロではないものの、日本のように保険医療報酬で生計を立てる独立形態が主流というわけではなく、公的機関や地域の医療ネットワークの一員として働くケースが多いです。
アジア諸国との比較
韓国や台湾なども国民皆保険制度を導入しており、クリニック形態の医療機関は存在します。しかし、大病院の外来力が強かったり、医療ツーリズムや大規模総合病院志向が強かったりなどで、日本ほど「街中に個人医院が多数」という状況にはなりにくいです。
中国は公的病院の割合が依然として高く、私立の小規模医院(診療所)は増えつつあるものの、十分に普及しているとは言い難い面があります。
3. 個人医院のメリットと課題
3.1 メリット
地域密着・アクセスの良さ
自宅や職場の近くで、気軽に診察を受けられる。
かかりつけ医として継続的に診療を受けやすい、患者との信頼関係が築きやすい。
診療の柔軟性ときめ細かさ
大病院に比べ、院長(医師)の裁量で対応が早く決まりやすい。
個人医院ならではのアットホームな雰囲気で、患者との距離が近い。
地域医療を支える大きな役割
地域の高齢者や慢性疾患患者などにとって、身近な医療資源となる。
医療費全体の効率化に貢献する(重症化を防ぎ、大病院の混雑を緩和する)。
3.2 課題
後継者問題・世代交代
地方の個人医院は後継者不足が深刻化。医師の子息が医学部に進学しなかった場合、閉院に追い込まれるケースもある。
都市部でも院長が高齢化し、リタイア後に医院を継承できず廃業する事例が増えている。
急性期・高度医療の対応限界
個人医院は外来診療中心で、設備やスタッフが限られるため、重症患者への対応が難しい。
患者の紹介先として大病院と連携する必要があるが、連携体制が不十分だと患者が混乱したり、受け入れまでに時間がかかったりする。
経営と医療サービスの両立
個人経営ゆえに、医療面だけでなく経営判断(人事・財務・リスク管理など)を院長が担わなければならず、負担が大きい。
診療報酬改定や社会保障費抑制の影響を直接的に受ける。
非医療業務を効率化するIT投資も進みにくい傾向がある。
デジタル化の遅れ・ITインフラ不足
電子カルテ導入率は上昇しているものの、大病院ほど進んでいないクリニックもある。
遠隔診療など新しい診療形態を実践するには、設備投資やスタッフのITリテラシー向上が必要だが、院長一人で判断・導入しきれないケースも。
4. 個人医院が今後直面する大きな変化
地域包括ケアシステムとの連携
日本は高齢化が進行し、要介護高齢者や慢性疾患を持つ患者が増加。
住み慣れた地域で医療・介護・福祉をトータルに受けられる「地域包括ケア」の仕組みづくりが推進されている。
個人医院は在宅医療や訪問診療に取り組む場合が増え、看護師やケアマネージャーとの連携強化が不可欠となる。
医師不足・偏在問題
地域によっては医師が都市部に集中し、地方ではクリニックの維持が難しい事例が多発。
厚生労働省の医師偏在対策や地域医療支援策の強化が期待されるが、抜本的な解消は容易ではない。
グループ化・ネットワーク化の潮流
個人医院同士が連携してグループを作り、共同で事務管理や医療情報システムを導入する動きが見られる。
法人化や医療モール化(同じ建物内に複数の診療科・薬局などを集約)によって、スケールメリットを生かす試みも。
病院側が周辺地域にサテライトクリニックを展開し、病院と連携しながら共同で診療する形態が増える可能性もある。
オンライン診療・デジタルヘルスへの適応
新型コロナウイルス感染症拡大を機に、オンライン診療や遠隔医療の需要が高まり、一部規制緩和も進んだ。
個人医院にとっては患者と対面しない診察のノウハウやIT環境構築が課題となる。
一方で、遠隔診療の普及は受診しにくい地域住民や在宅患者にとってメリットも大きく、ビジネスチャンスでもある。
後継者不足とM&A
後継者がいない場合、医院を第三者に譲渡(M&A)する選択肢が徐々に増えている。
企業や医療法人、異業種から医療界に参入するプレイヤーがクリニックを買収・再生する動きが出始めている。
法的・規制的にハードルはあるが、都市部の好立地医院や診療圏が豊かな地域では注目されている。
5. 今後の展望
個人医院の役割は依然として重要
高齢化社会で多くの慢性疾患・生活習慣病患者が増加する中、かかりつけ医としての個人医院は地域医療の根幹を支え続ける存在。
大病院がすべての患者を受け入れるわけにはいかず、一次医療の門番(ゲートキーパー)の必要性は高まる。
ネットワーク化・ICT化で経営基盤の強化
医療法人やクリニック同士のネットワーク化を進め、経営・人事・IT導入を共同で行うことで、業務効率や診療品質を高める動きが広がる可能性。
電子カルテの標準化や、在宅診療・遠隔診療の拡充も進み、患者の受療形態が多様化していく。
専門特化型の個人医院も増加
一般内科などの総合診療だけでなく、漢方・美容医療・痛みクリニック・高齢者リハビリなど、特殊ニーズに対応する個人医院が増えつつある。
オンライン診療と組み合わせて、全国から患者を集めるモデルも考えられる。
地域医療との一体化、在宅医療ニーズ
医師自らが訪問診療に積極的に乗り出し、患者宅での看取りや緩和ケアに注力する個人医院が注目されている。
診療報酬面でも在宅医療は評価が高まっており、地域包括ケアシステムの要となっている。
6. 個人医院のさらなる展開と再編の可能性
日本の個人医院はこれまで述べたように、国民皆保険制度と歴史的背景、文化的な要素から全国に広く根付いてきました。一方で高齢化や医師不足の深刻化、医療ニーズの多様化などを背景に、今後は以下のような新たな展開や再編の動きが進む可能性があります。
6.1 法人化・グループ化の加速
共同経営・グループ化
複数の個人医院が連携して1つの医療法人を立ち上げたり、医療モール形態を取るケースが増えています。これにより、受付・会計などの事務機能を共通化し、経営の効率化を図るとともに、医師同士が情報を共有しながら地域医療を支えるメリットがあります。病院によるサテライトクリニック展開
大病院が「外来機能を分散化」し、周辺地域にクリニックを設置し、そこに勤務医を派遣するモデルも考えられます。患者は日常的な通院はクリニックで行い、必要な検査や入院治療が必要な際は本院(大病院)に紹介・搬送されるという仕組みです。
6.2 異業種参入やM&Aによる再編
事業承継問題の解決策としてのM&A
後継者が見つからない個人医院を、医療法人や異業種企業が買収して継承・リニューアルする動きが徐々に広まっています。病院や調剤薬局チェーンがクリニックを取得する例もあり、医療機能の一体化を図ることで相乗効果を狙うケースがあると考えられます。ヘルステック企業の進出
近年はIT企業やスタートアップが「オンライン診療」「健康管理アプリ」「訪問看護システム」などの領域に進出しており、クリニックを運営する・または提携する形で事業拡大を検討する例が出てきています。
6.3 バリューベース医療(Value-Based Care)への転換
量から質へ
従来の日本の診療報酬制度は「出来高払い(Fee-for-Service)」が中心で、診療行為ごとに報酬が支払われます。しかし世界的には、患者の健康状態改善や治療効果に応じた「バリューベース医療(Value-Based Care)」への移行が注目されています。アウトカム重視の診療体制
個人医院でも、患者の合併症予防や生活の質(QOL)向上、再入院率低下などのデータを評価し、医療の質と経営の両面を高めることが今後の課題となるでしょう。電子カルテや健康データの活用が進めば、個人医院でもアウトカムを可視化・共有しやすくなります。
6.4 デジタルヘルスとオンライン診療の普及
遠隔医療のさらなる整備
オンライン診療が一部で普及し始めたことを受け、在宅医療や慢性疾患フォローなど、クリニックが担う領域でオンラインを活用する可能性が増しています。高齢者や子育て世帯など、来院が難しい人への診療機会拡大にもつながります。AIやIoTの活用
高血圧や糖尿病など、生活習慣病の管理にはウェアラブルデバイスや家庭用測定機器が普及しつつあり、診療所と患者宅がデジタルで繋がる環境が進み始めています。個人医院でもデータを取り込み、リアルタイムのアドバイスや早期介入が可能になる時代が近づいています。
6.5 予防医療・健康増進へのシフト
“診療”から“健康管理”へ
日本は超高齢社会に突入しており、慢性疾患の予防や健康寿命の延伸は重要なテーマです。個人医院も従来の「病気になってから受診する」スタイルだけでなく、健診や健康指導、栄養指導など予防的なケアを提供する機能の拡充が期待されます。自治体や企業との協働
地域住民や企業の従業員の健康管理を受託し、集団検診やメンタルヘルス対策を担当するなど、新しい形の連携モデルも考えられます。
7.展望
日本の個人医院は独自の強みと文化をもつ
国民皆保険制度に支えられ、地域に密着して患者を診る「かかりつけ医」としての存在意義は大きい。
他国にはあまり見られないほど多様で身近なクリニック形態は、医療アクセスの良さに寄与している。
一方で課題も山積
後継者不足や経営負担の増大、デジタル対応の遅れなど課題を抱えており、医療ニーズや制度の変化に合わせた改革が必要。
地域包括ケア、訪問診療、オンライン診療など、担うべき役割が拡大する中で、人員不足やノウハウ不足が顕在化する可能性がある。
再編やネットワーク化がカギに
個人医院同士が法人化やグループ化を進める、もしくは大病院やヘルステック企業と連携することで、経営体力・IT投資余力・医療連携の質を高められる。
こうした動きが地方医療の維持や新陳代謝にもプラスに働く可能性がある。
今後も「かかりつけ医」としての重要性は増す
高齢化や慢性疾患増加に伴い、「日常的な健康管理を身近な医師に相談したい」というニーズは拡大する。
その際、オンラインや在宅診療を組み合わせた「ハイブリッドなクリニック運営」が求められる。
患者・地域コミュニティ・医療機関が協力して地域医療を支える時代へ
病院中心の医療から、地域全体で健康を守る体制へとシフトする中、個人医院のフットワークの軽さと、患者との近さが大きなアドバンテージとなる。
医師の独立性を維持しつつ、多職種連携(看護師・薬剤師・介護職・管理栄養士など)や自治体との協働がさらに不可欠になっていく。