「神戸市立医療センター中央市民病院 新型コロナウイルス感染症対策マニュアル」序文全文公開
好評発売中の新刊「神戸市立医療センター中央市民病院 新型コロナウイルス感染症対策マニュアル」につきまして、病院長木原康樹先生による序文全文を公開します。
神戸市立医療センター中央市民病院というと、「あのコロナ感染クラスターになって散々だった病院でしょ」との応えが多くの市民や医療者から返ってくると思う。映像のほんの一瞬を切り取り、それをいやというほど繰り返し拡散するマスコミの手法の前では、受け手の市民はそうならざるを得ない。事実、近づいてはいけない感染の巣窟のように扱われ、94%を誇った病床利用率は30%以下にまで急降下し、上四半期で35億円もの医業収益減少(対前年度)を被った。腕に自信のある医師の中には、このまま推移するのであれば、見切りをつけて出ていきたいというものも現れた。令和2年4月、院内の空気は張り詰め、新米病院長の私はあぶら汗をかきながら日毎の対応に追われた。
一方で、大半のスタッフが方向性を支持してくれたので、思い切って実行できたことが3つあった。一つ目は、第1種・2種感染症指定病院として自信満々であった自分たちの感染症対策が今回の新型コロナウイルス感染症には役に立たなかったことを潔く認めること、二つ目は、隠し事をせず徹底的に院内感染巣を同定すること、そして三つ目は、感染症病棟勤務者もそれ以外も、医師も看護師もその他非医療職も全体が一丸となって対コロナ戦争を正面から戦うことであった。「神戸市民最後の砦」と呼ばれる当院がこのパンデミックに臨んで取るべき役割と使命を、職員誰もが忘れてはいなかったということだ。そこを避けては前に進めないということを。
院内感染調査は昨年7月末にかけて行われた。36名の院内感染者、300余名の自宅待機者を中心に聞き取りを繰り返し、ウイルス遺伝子多型も含めて多角的な解析を進めた。報告書は8月7日に病院ホームページ(http://chuo.kcho.jp/)に公開し、神戸市会にも報告した。調査の詳細には立ち入らないが、特定個人の不作為や逸脱ではなく、新型コロナウイルスの想像を超える突破力と、当時はその大半が未解明であったにせよ、それらを想定した対処を取ることができなかった私どもの医療・看護体制に院内感染の原因があることを示すことができた。したがって調査は、私たちの体制を根本から見直し、正直にやり直すしかないことを明らかにしてくれた。
院内調査と並行して私たちは診療体制の見直しに着手した。自分たちの体制が不十分と分かった瞬間から、外部評価の導入と批判的意見の受容が欠かせないことを意識した。それを進めるには、まず自分たちの現状を曝け出すこと、弁解をせず批判を受け入れること、言葉だけではなく改革を厳に実践することが求められた。神戸市保健所、厚生労働省クラスター対策班、その他さまざまな先進的な医療施設や学術機関のエクスパートに現場を検証してもらい、対策について細かなアドバイスをいただいた。幸いなことにすべての評価者から、基本的な誤りはないので、そのまま対策の強化を進めなさいとポジティブな評価を得た。この開放と検証のプロセスは私たちが自信を取り戻す契機となった。
さて、感染症診療体制の再構築とは私たちにとって如何なることであったのか。感染者を収容する現場においては、感染防御に対する構造面と機能面の構築がそれぞれ必要であった。構造の構築とは直接的には感染対象のより完璧な隔離・遮断を実現することである。もっとたくさんの患者を収容する事態が近い将来に訪れることを考えると、既存の施設で高度医療を継続しながら隔離を完成することは困難であった。ゾーニングを徹底すると、当院の最も重要な機能である救命救急センターは停止せざるを得ない。その他の部分改修を進めるにしても、手術室やICUなど中枢機能への影響は計り知れず、徹底分離の獲得には困難が伴った。さまざまな検討を行ったが、熱い議論は次第に職員駐車場スペースを利用しての臨時隔離病棟の新規建設という最も単純で分かりやすい提案へと収束した。幸い病棟建設については神戸市の特定事業として全面的な支援が得られ、3カ月間で突貫工事を進め10月23日に竣工、11月9日に運用を開始した。前例のない事態に対しては前例のない対処法も許されるということだ。バラック建てではあるが全国初の重症感染症患者特化型の隔離病棟が動き始めた。この病棟はその後怒涛のごとく患者が押し寄せた第3波から第4波において私たちの期待以上の働きをしてくれることになった。
もう一方の問題は機能の構築である。端的に言えば、誰がどのような任務でこれらの収容された新型コロナウイルス感染症患者の診療に当たるのか、ということである。以前よりICTチームは活発に活動しており、感染症科には4名の専門医が常勤していた。感染症指定病床(10床)を有する病棟には1名の感染症専門看護師を含め38名の有能な看護師が配属されていた。他の医療機関からすれば申し分のない体制が揃っている病院に相違なく、誰もが信頼していた。しかし、新型コロナウイルスの甚大な感染力と急速な地域への拡大に当たり、その布陣は突破され患者を巻き込んだクラスターに陥ってしまった。当時の病院職員の驚きと恐怖は計り知れないものがあったが、この時の体験は誰もがプライドを捨てゼロからの再出発を決意するのに大きな効果をもたらした。
院内感染調査報告に記載したように、感染防御破綻の重要な局面は、重症化しつつあった1人の感染患者を4:1看護の病棟に収容したことにあった。そのことからすれば、新型コロナウイルス感染症患者の看護度は2:1あるいはそれ以上にすればよい、という結論は容易である。しかし、その余分の看護力をどこから案配するのか? 隔離病棟を運用するための莫大な医療者をどう捻出するのか? 3つの市民病院群で看護師を融通し合うシステムは紙の上には書かれてはいたが、3病院とも新型コロナウイルス感染症に対応している最中にひとの貸し借りをする余裕はなかった。集中治療や呼吸器管理に携わる看護師あるいはその経験者のリストアップはすでになされており、感染者の収容が増えるにつれてその全員を感染症病棟へ投入したが、まだまだ不足していた。誰かが当たらなければいけない、でも人員に余りはない、質量を落とすと感染リスクが襲う。そのため、兎にも角にも感染病棟管理を優先させ、既存の病院機能を削いでゆく対応を断行した。解のない連立方程式に挑み続けた。
一般診療に制限を施し相当部分を犠牲にしつつ病院全域を巻き込んだシフトを実施すると、感染症病棟だけではなく一般病棟も強く緊張した。ICUなど中央部門が極端に機能を制限しているため、普段であれば不安定な時期を中央部門で管理していた術後患者などが直接病棟に帰ってくる。長期呼吸器管理を要する感染治療後の重症患者もそれらの一般病棟に移動してくる。普段頼りにしていた中堅はすでに招集されて不在である。そうすると、ひとの異動だけではなく機能の流動化も病院全体を巻き込んで進んだ。随所で真剣な対応がされる中、うちでは呼吸器付きはみないとか循環管理はやらないとか、そういった言葉が消えた。思いもよらない余剰効果が出てきたということである。危機感を病院全体で共有し同じ方向を向いていると、普段の分業分担も可塑化し、さまざまな部署で想像していないカイゼンが生じた。現場がレジリエンスを獲得したということだ。そしてその現場における肝心のツールとして、病院全体の多職種間共有を支えたのが、本書で取り上げる院内マニュアル群にほかならない。
したがって本書でお示しするマニュアルは必要に迫られて生じた産物である。しかし、単に対感染症対策を示すのではなく、同時に、どのように提示すれば重要な行動指針が全職員に行きわたるか、聞いて「確かにそうだね」と理解してくれるか、変化に追従できるのか、そして無理なく実践し連帯感を深めることができるのかなどの観点が盛り込まれて、多くの職員の手で育まれ成長を重ねてきた私たちの子どものような存在である。まだしばらくは安心・安全に程遠い感染状況が続くことを想像しなければならない今日において、この間の学びを多くの医療者と分かち合うことも、私たちの大切な使命であると信じ本書を企画した。
本書のPart 1は進化変貌を続ける新型コロナウイルス感染症のただ中において、正確でバイアスのない情報を院内で共有するために、感染症科 黒田浩一君を中心に随時作成・改訂されてきたパワーポイント群を分かりやすい文章としてまとめた。Part 2では前述のマニュアル群の中で主要なものを掲示し解説を付した。マニュアルや指示書あるいは調書などについては、必要により原本ファイルをダウンロードし素材として使っていただけるように工夫した。言うまでもなく何ら完璧なものはなく、今後の感染症の推移に応じて、またそれぞれの施設に応じて変更を加えてゆく必要があるものである。批判や意見をいただくことでまた私たちも成長することができる。本書の素材はすでにおおかた揃っていたわけではあるが、それらを短期間で編集するために労を惜しまなかった職員諸氏に深く感謝している。その作業を迅速にご支援いただいたメディカ出版の皆さまにも頭が下がる。最後に、困難に遭遇していた当院へ多大な寄付、さまざまな支援、心からの声援を送り続けていただいたすべての市民の皆さま、関係者の皆さまに厚く御礼申し上げる。
2021年8月 第5波への備えの中で
神戸市立医療センター中央市民病院 病院長 木原康樹