なぜ今「男性学」なのか
第4回ゲスト 関口洋平さん
放送レポート301号(2023年3月)
メディア総研所長 谷岡理香
第4回はアメリカにおける男性性について、フェリス女学院大学助教の関口洋平氏による講座です。関口氏の専門はアメリカ研究で、中でも家族の歴史的な変化及び文化的にどのように描かれてきたのかについて考察を深めています。今回は、メディアで表象される「イクメン」をキーワードにアメリカにおける父親の描かれ方、そして新自由主義との関連について話をしていただきました。
以下は講座の超要約です。
「イクメン」という言葉は日本社会では育児をする父親を指す言葉として理解されることが多いが、もともと「イケメン」という言葉をもじっているので男性の育児はかっこいいというニュアンスがあり、育児をする父親を特別視する言葉でもある。
アメリカでは、1970年代以降父親の子育てがしばしば映画やテレビドラマのテーマとなった。日本でも人気となった『クレイマー・クレイマー』『スリーメン&ベイビー』『ミセス・ダウト』『ベイビー・トーク』等多くの映画がその年のランキング10位内に入り、興行収入面でも成功している。
20世紀後半にアメリカで量産された男性の家事や育児をテーマとした映画には共通点がある。1つは母親がしばしば悪役に近い存在として描かれる。次に男性の主人公が職場で不当な扱いを受けるが、最終的には職場と家庭を両立する。そして新しい時代の男性として肯定的に描かれているという点である。典型的な例として1979年に公開された『クレイマー・クレイマー』は年間売り上げでナンバーワンとなり、5部門でアカデミー賞を受賞した。父親が子育てをする日常をリアルに描いた映画が当時はなかったからだ。商業的に大きな成功を収めたことも画期的な出来事だった。母親の育児は当たり前すぎて絵にならないが、父親の育児は絵になるわけで、それどこ
ろか売れるということが分かった。これは最初に話した子育てをする男性だけが「イクメン」という名前を付けられて特別視されることと似ている。映画の中では子供を愛する「良い父親」と、フェミニズムにそそのかされて子供を捨てキャリアウーマンになる「悪い母親」という対立が強調されている。父子の絆が美しく描かれていて最後に父親のテッドがフレンチトーストを用意するシーンは感動的である。しかしそう見えるのは父子の絆が母親によって脅かされているという感覚があるからではないだろうか。
アメリカ研究の領域では、『クレイマー・クレイマー』のような映画が前提としている男性中心的な視点は公開当時から厳しく批判されてきたが、日本のメディアの中ではこうした批判が十分に考慮されていないようだ。ハリウッドにおける父親の子育て映画は、日本の新聞や雑誌においては批判的な視点から考察されることがほとんどなく、むしろ父親の辛さとか大変さに共感して女性の視点を排除する傾向があるのではないか。このことは、日本における男性学という学問領域の1つの問題点を示唆しているようにも思われる。
ここからは「イクメン」と名付けられた男性が、日本社会あるいは日本文化の中でどのように位置づけられているのかを検討してみたい。2000年代の日本では父親の育児をテーマにした雑誌が次々と創刊され、2010年前後からは父親の育児をテーマとした単行本も多く発行されている。「子育ての経験が仕事力を高める」「育児は21世紀のビジネススキル」「仕事ができる男の子育てのコツを網羅」等の謳い文句はすべて仕事に関連している。タイムマネジメントや段取り力、時間あたりの生産性の向上、言語化能力等、ビジネス書の読者にはお馴染みの言葉がいたるところに出てくる。育児書であると同時ビジネス書でもあり、育児を頑張る男性は仕事でも優秀であるというメッセージがある。
こうした本が提示しているのは、アッパーミドルクラスの男性のライフスタイルであろう。「イクメン」は出世するのか、あるいは出世するから「イクメン」になれるのか、その問いにここで答えを出すことはできないが、少なくとも近年の日本における「イクメン」本がホワイトカラーのエリート男性を主なターゲットとしていて、育児は出世の第1歩という幻想を生み出しているのではないか。原点に立ち返って考えると育児というものは本来全ての男性がその収入の多さに関わらず積極的に取り組むべきことであるはず。
メディア関係者に対しての提案としては、ワークライフバランス系の報道をする時に、どういった男性のどのような働き方について焦点を当てるのかは重要だと伝えたい。デフォルトとして中流階級のエリートに近い男性が想定されてしまうことには注意が必要ではないか。報道の現場に色々なタイプの女性が必要であり、男性が普段から女性の視点に興味を持ってそれを理解しようと努めることが重要だと考える。
以下はメディア総研メンバーとの質疑応答から抜粋
【50代元民放】『クレイマー・クレイマー』に対して批判があったにもか
かわらず、その後も同様の映画が作り続けられ、興行成績がよいことをどう解釈すればよいのか?
【関口】アメリカでの80年代はフェミニズムやジェンダー問題ではバックラッシュの時代。60年代70年代に勢いを増していった第二波フェミニズムに対して、男性中心的な視点から反撃するような動きがあった。レーガン大統領の時代だったのでそういう声が一般的には強く、男性の育児に関する映画もそうだし、キャリアウーマンがその後不幸になって最終的には家庭に戻っていくといった映画が量産された時代でもある。働く女性を悪のように描くのは間違っているのではないかという声は多く上がったものの、アメリカ社会の中で十分に反映されなかったというか、少なくとも主流にはならなかったのが80年代・90年代の現実だ。
【50代元民放連】今の若い学生に『クレイマー・クレイマー』を見せるとどのような反応をみせるのか?
【関口】普通に感動する学生が多い。女子学生であっても、女性がフェアに描かれていないことに危機感を感じておらず男性の視点で共感してしまう。それはメディアが無意識のうちに植え付けている価値観が男性中心主義的なので、それを女子学生たちも内面化している部分もあるように思う。ジェンダーについて学ぶ時間が日本では大学が初めてという若者がほとんどだという課題もある。
【70代元新聞記者】私が新聞社で婦人面を作っている時に男女雇用機会均等法ができたが、今から考えるとエリートの平等みたいな記事が多かったように思う。パートタイマーや派遣社員の問題は解決されずにきた。なぜ「イクメン」の雑誌がアッパークラスだけにシフトしてしまうのか。読者がそうなのか、作る側の意識なのか?
【関口】出版社の特徴などもあるが、育児をする男性がアッパークラスとか、仕事にも役立つというメッセージが目立ち始めたのは21世紀に入ってからだと思う。20世紀後半以降、労働組合を母体として男性にも育児時間をと主張する運動があった。育児が仕事に役立つという話ではなく、仕事だけで生きていくのは幸せな生き方ではない。男性も家庭や育児を大切にした方が良いというメッセージが強かった。21世紀になって育児がビジネスに役立つという雑誌が出てくるというのは、やはり新自由主義的な価値観が浸透していったからではないだろうか。
アメリカにおける男性性の話を聞くことで、日本の状況が逆照射された時間ともなりました。日本社会はゆでガエルのように、男性中心の新自由主義的価値観に染まっているのかもしれません。