メディアのグランドデザインを考えよう  インタビュー・境治さん

放送レポート295号(2022年3月)
ききて・放送レポート編集部

放送局が動かなかった

――  民放キイ局が昨年、インターネット同時配信を始めました。こうした状況をどうご覧になっていますか?
 やっと、ですね。裏返して言えば、ずいぶん遅かった。民放は、ローカル局を含めて、NHKの同時配信に反対している場合じゃなかった、と思っています。それでNHKも民放も遅れました。遅れた分を取り戻すべくがんばってほしいと思いますが、ちょっと遅すぎたんじゃないか、と思っています。
 1つの象徴として、去年の『NHK紅白歌合戦』は、史上最低の視聴率になりましたが、これは同時配信が遅れたことが大きいと、僕は見ています。もはや高齢者もテレビを見なくなってきたということで、これからあらゆる番組の視聴率が落ちていくことの象徴になると思います。地上波で時間通りに見るという行為が下がっていくのはもう以前から目に見えていて、だからそうなる前に同時配信をすべきだったのに、先に視聴率が落ちてしまったのです。
――  番組がインターネットで見られることになると、地上波の 視聴率をさらに引き下げることになるのでは、という不安も強いと思います。また、著作権やCMなど、クリアしなければならない問題もまだまだ多いのではないでしょうか?
 視聴率は、いずれ下がるに決まっていたのです。だから、早くインターネットでもテレビ番組を視聴できる状況を作らなければならなかったのに、間に合わなかった。
 たしかに、営業的な問題はハードルが高いですね。ただ、最近になってライツ(著作権)の問題も動き始めて、権利者団体も寛容になってきた印象があります。それは、ネットでも番組が見られるようにしなければいけないのかな、という空気を権利者や文化庁などが感じ始めたからだと思っています。
 そのハードルを、放送局側が権利者側などを説得して乗り超えなければならなかったのに、そちらに回らずに、ネットに出したらテレビの視聴率が下がるだろう、という側に立って、誰もその説得をしようとしなかった。放送局側が、いずれはやらなければならないのだから、早くやらないといけなかったのです。
 総務省の「放送を巡る諸課題に関する検討会」でも、2018  年ごろ、ネット同時配信を進めなければ、という空気になって、権利処理の問題を検討する分科会をつくったのですが、そこがまったく動かなかった。放送局側がまとまって権利者側を説得していこうという機運にならずに、みんなで顔を見合わせている状態のままだったのです。
 僕は、放送局が覚悟を決めなかったから、権利関係の整備も遅れたし、スポンサーへの説得も遅れたのだとみています。
 やっと始めた、と言ってもまだまだ全然で、たとえばNHKプラスと民放のTVerで分かれて同時配信をやっていますが、どちらも自分たちの論理でやっていてユーザー側に立っていないから、不便極まりない。僕は両方を取材していますが、お互いに「あの人たちは僕らのやり方をどうしたらわかってくれるのかな」って言っているだけなのです。
――  そこは、どうしたら乗り越えられるのでしょうか?
 話し合って進めるしかないでしょうが、これもすでに結論は出ている、と僕は思っています。NHKも、TVerにまとまったほうがいい、とわかっているはずです。少なくとも、民放側はそこにまとまっているのだから、もうそっちにつくしかない、という感じです。それはみんなわかっているはずなんですが、それでぐっと進める、というふうにならないんですよね。

日常的に見られて初めて

▲民放公式ポータルサイト「TVer」

――  では、ネット配信時代のビジネスモデルはどうしたらいいでしょうか?
 これもはっきりしているのですが、同時配信だけで語っていてはビジネスにはなりません。現状ではたいして見られていないわけですから。いつも堂々巡りで結論が出ないようになっていますが、英国のBBCが10年以上前から運営している「アイプレイヤー」では、テレビの同時配信と見逃し配信をしていて、そのうち同時配信の視聴は2割程度、見逃し配信の視聴が8割程度です。10年経っても同時配信が8割にはならないことははっきりしているわけです。
 同時配信はサービスの入り口としてやっているわけで、配信だけを取り出して、たくさん見られるようになってビジネスになるのかと言えば、それはなりません。でも、入り口として同時配信は重要なのです。それは、「テレビはネットでも見られるよね」と誰でも思えるような環境をつくることがいちばん大事だからなのです。
 たとえば、いまTVerはかなり多くの人がその存在を知っていますが、TVerのサービスを何度も利用した経験のある人に「日本のテレビはネットで見られますか 」と聞いても「いや、見られませんね」と、たぶん答えると思います。なぜかと言うと、常時同時配信をやっていないからです。
 好きなドラマがTVerで見られるのは知っていても、それはテレビがネットで見られる、というのとはちょっと違う。一部の見逃し配信だけではなく、テレビ番組をテレビ受像機で簡単に見られるのと同じような環境がインターネットでも整うということが大事なのです。BBCのアイプレイヤーのように、それができたら見逃し配信でビジネスが成り立つかもしれない、という順番なのです。
 ネット同時配信でテレビの視聴率が減らないのか、同時配信にニーズがあるのか、とそこだけ取り出して議論するのではなく、プラットフォームが丸ごとネットに移行しているかどうかというのが大事なのです。それができていない限り、テレビはネットで見られるとは多くの人は考えないでしょう。
 その環境を整備することがなぜ大事かと言うと、外出中にスマホでテレビを見よう、何か事件が起きたみたいだけどテレビは何を伝えているんだろう、というような使い方にならないといけない。気軽にいつでもどこでも、テレビ放送と同じものがネットでも見られて、しかも見逃し番組も見られるようにしないと、みんな日常的に見てくれないのです。日常的に見られるようになって初めてビジネスになる、という話なのです。
 僕はメディアのグランドデザインの議論が必要だと思っていますが、全体としてこうならなければならない、ということを議論しないまま、同時配信がビジネスになるのかどうかという話をしても、進みません。こういう点が、実はあまり気が付かれていないのかもしれません。

NHKがインフラ構築を

――  キイ局は遅ればせながらネット同時配信に着手していますが、ローカル局はこの状況下でどうしていったらいいのでしょうか?
 それは、現場でも明確に答えがつくれていない状態で、だから僕はグランドデザインを議論していこう、と言っているのですが、電通メディアイノベーションラボの奥律哉さんは同時配信に関して「何も足さない、何も引かない」と言っていて、それを僕は、ローカルでも同じにしなければならないということだと考えています。
 たとえば、僕は福岡出身ですが、福岡でも電波と同じ環境をネットでも作らなければならない、ということです。キイ局だけ同時配信をやっていればいいということでは絶対にありません。福岡の人が、ネットでもテレビを見られるということでニュースを見て、東京の火事のニュースをやっていたら怒るでしょう。福岡でたいへんなことが起きているのに、なんでネットのテレビではそれをやっていないのか、という話になる。インターネットでも、各エリアごとの放送はやらなければならないことです。
 キイ局が同時配信を具体的に考え始めたときには、もうローカル局は不要になるとでも思ったのかもしれませんが、最近はそうじゃないことに気づき始めているように、僕には見えます。キイ局は、絶対にローカル局と力を合わせなければならない、と考えていると思います。そこから先の具体像までは描いていないと思いますが、ローカル局が置いてけぼりでキイ局はネットワーク費が要らなくなる、という話ではありません。
 ネット上のテレビというのは結局、放送と同じような形を作らざるを得ない。ただ、ローカルで同時配信をやろうというときに、インフラ整備やその資金をどうするのかという問題が出てくると思います。僕が勝手に考えている構想では、ローカルではNHKが音頭を取るのがリアルではないか、というものです。
 小さいエリアでは、民放だけが力を合わせても、それだけではちょっと無理で、NHKがインフラを構築して民放がそれに乗る形がいいのではないか。NHKと民放という今までの確執を乗り越えて、テレビのネット配信全体も含めて、NHKが中心になってインフラを構築し、そこに民放が乗っかっていくという構造を、ローカルから先に作ったらいいのではないか、と思っています。そうしないと具体的に進めないのではないでしょうか、とくに技術的、資金的な問題をクリアするためには。
 インフラというのは、ある種の公共財ですから、そこにNHKの受信料という公共料金を使うというのは合理性があるのではないでしょうか。いろいろなハードルを乗り越えていかなければならないという中で、NHKがメディアのインフラをがんばっています、というのは、国民から見ても、それも含めての受信料ならいいか、という話になる可能性もあるのかな、と僕は思っています。

ネットのいいところを学ぶ

▲英BBCの「iplayer(アイプレイヤー)」

――  テレビがネット進出するにあたって、インターネットにおけるコンテンツの質をめぐる問題をどうお考えでしょうか?
 ネットのいいところを吸収して、悪いところを学ばないようにする、ということでしょう。新聞や雑誌は、今やネット版が当たり前になっていますが、質が下がりつつある面があるのではないでしょうか。朝日新聞などでも、ネット環境に巻き込まれてしまって、ネット版でひどい釣り見出しを出してページビューを稼ごうとして炎上してしまったりしているので、それは真似しないようにしなければならない、というのはあると思います。
 ただ、一方でネットの番組作り、例えばユーチューバーの番組の作り方を見ると、わりとイージーに作っている。スマホやパソコン編集で番組ができてしまう。テレビ局で番組を作るとなると、プロとしてちゃんとしたカメラで撮影して編集機で編集して、というこだわりがあるんじゃないかと思いますが、そういう部分は捨てていく、ということをしたほうがいいのではないか、と思っています。つまり、作り方より、何を言いたいのか、何を伝えたいのか、が大事なわけで、今までのやり方や予算がハードルになって伝えたいことが伝えられないのだったら、パソコン編集でもいい、というようなことを意識的にやっていくべきではないかと思います。
 いま、僕は仕事でネット向けの番組に関わっていて、テレビ番組を制作していた人たちと現場で一緒にやっているのですが、予算的にも制作のペースとしてもこれでは回らない、という中で、だんだん彼らも「これだったらアイフォンでいいよね」というようなことを言い出しています。ネットで作る、ということになったら結構変わっていくということで、そこはむしろ積極的に取り入れていけばいいんじゃないかと思います。
 ローカル局の人たちが、自社制作はたいへんです、とよく言いますが、ユーチューブ的な番組作りにしてしまっても、結構できるものがあるのではないでしょうか。夕方のワイド番組でも、本当にスタジオを使わなければならないのか、ネクタイを締めたキャスターがしゃべらなければならないのか―― そういう部分まで考えた方がいいのではないか、と僕は思うのです。
 アメリカの放送局は、ローカルも含めてかなりネットに進出していて、ネットオリジナルの番組も作っています。それが若い人たちに見られているということです。だから、テレビ番組と同じ作り方ではなくて、スマホを利用して若者目線に合わせて作ることで、それが若者に見られているということです。若い人のやり方を積極的に取り入れたほうが、若い人も楽しいのではないでしょうか。ネットのいいところを取り入れるということを、もっと考えるべきではないかと思います。

考査がますます大事に

▲JICDAQ(デジタル広告品質認証機構)

――  コンテンツの質という点では、放送局は必ず番組やCMを考査にかけてチェックしています。
 ネットでも、考査はむしろ大事になると思います。いまネットメディアもターニングポイントを迎えているようなところがあって、やはりコンテンツの質を上げていかないといけない、という認識があります。そうしないと、広告主から拒否されてしまう。ネットワークに広告を出してもらったとしても、広告主から「あのメディアはひどいからうちの広告は外してほしい」と言われるようなことが起こりかねない。
 そういう動きが業界団体の中であるのです。デジタル広告品質認証機構(JICDAQ)というところが、インターネット広告市場の健全な発展、社会的信頼の向上のために、広告の品質認定などの活動を行っています。そうすると、そこに加盟する広告主は、このガイドラインをクリアしていないメディアには広告を出さないでください、そういうメディアに広告を出してしまうような代理店さんとは付き合いません、ということになる空気が、いま徐々にできつつあるのです。
 だから、審査や考査がますます大事になってくる。そこは、もともとのマスメディアの強みになる可能性が高いと僕は思っています。ネットに行くんだから基準を緩くしよう、というのではなく、ネットにおける考査の基準がどうあるべきか、ネットも含めた新しい考査の基準をつくるということが、重要になると思います。

働く人たちが議論を

――  そうした点も踏まえて、境さんが考えるメディアの「グランドデザイン」について、お聞かせください。
 まず、放送とネットのバランスを、多少は強引でもいいから、10年後、20年後にどうするかということを決める、ということがあります。もはやネットで稼ぐしかないのですが、僕は、放送はなくならないと思っていて、今後のテレビ局は放送がメイン、ネットが補完、というようなことになると思います。いまはその比率が1万対1くらいのレベルで大きく放送に寄っている。それを、たとえば20年後には7対3、とか6対4、とかに持っていく、というようなことです。そこに向けてビジネス、営業を変えていく。未来を先に決めて、そこまでにどうすればいいかということを組み立てるのです。
 経営の考え方というのは、本来そういうものであるはずです。放送局の経営者は未来なんか考えてなくて、来年の予算を今年の予算から決める程度のことしかできていないところもありますが、それは経営とは言えません。10年後に7対3にすると決めたら、そこに向けて会社全体を引っ張っていくのが経営です。
 この議論でいつも絶望を感じるのは、現場の人たちはこういう議論で納得したとしても、トップが変わらない。放送が王様だという感覚が変わらないのです。だから、放送局は優秀な営業マンをネットの担当につける、ということをしなければならないと思います。むしろ、スポンサーのほうがいまどんどん変わっています。
 もう1つ、放送のネットワークについては、もう誰もがこのままの形が残るとは思えない、と認識していると思いますが、その形を決めていく必要があると思います。大きく言って、大都市圏以外で4局は無理だと思うので、ローカル側が主体となって、うちのエリアは3局にするか、2局にするか、という話し合いをしなければならない。減らしたほうが楽になるはずですが、なかなか決断できないでしょう。総務省で始まった「デジタル時代における放送制度に関する検討会」は、もしかしたらそれをやろうとしているのかもしれませんが。
 放送はなくならない、と僕は言いましたが、ローカル局も絶対なくならないと思っています。そのエリアにおける人々の情報へのニーズがあり、経済があるからです。ローカルがなくてもいい、というのは、ローカル経済をあきらめることで、それは日本のためになりません。東京中心を是正して、ローカル主導に日本の経済を変えないといけないと僕は思っています。
 でも、それを残すためにはどうするか、どう減らすかを当事者の間で具体的に議論しないわけにはいかないと思っています。ぜひそこに向き合ってほしいし、僕はそういう議論を民放労連がリードしてもおかしくない、と思っています。民放連は経営者の団体だから、音頭を取りにくいと思います。でも、民放労連で、働く人たちどうしで、自分たちがこのエリアのためにどう残っていけるのかを労働組合が議論するというのは、すごく前向きな話ではないかと思います。
 紅白歌合戦の視聴率があれだけ落ちたということを、みんなもっと真剣に受け止めた方がいい、という話をしましたが、これからあらゆる番組でこういうことが起きます。
 日本の人口ピラミッドの話で言いますと、これから団塊の世代はどんどんいなくなっていくし、団塊ジュニアの世代もコア層をどんどん抜けていきます。だから、テレビの視聴率は今まで以上に、格段に下がっていくことになりますし、もう視聴率に基づいたビジネスはできなくなる、小さくなる、ということがはっきりしています。もう既得権の守りようがなくなっていくということなんですね。
 一定の世代の人々は、これから年齢が高くなったとしても、もはやテレビ回帰はないということで、もういまの30代まではこれからテレビは見ない、というふうに考えていいと思います。
――  ありがとうございました。

(1月11日収録)

さかい おさむ
コピーライター/メディアコンサルタント
1987 年、広告会社I&S に入社しコピーライターになり、93 年からフリーランスとして活動。その後、映像制作会社ロボット、ビデオプロモーションに勤務したのち、2013年から再びフリーランスとなり、メディアコンサルタントとして活躍中。近著『嫌われモノの広告は再生できるか』 (イーストプレス刊) 。有料マガジンMediaBorder 発行。 ( http://mediaborder.publishers.fm/ )  

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