ファクトチェックをチェックする 〜立岩陽一郎さんに聞く〜

放送レポート304号(2023年9月号)
吉永磨美(放送レポート編集委員)

政府も対策を強化する中で

 日本政府は今年に入り、海外発の「偽情報」の収集を強化し、首相官邸直属の内閣情報調査室(内調)が情報を分析することを発表した。報道によると、政府は、昨年末に改定した国家安全保障戦略で、情報戦の対応を強化するため「偽情報の集約分析・対外発信の強化、政府外の機関との連携の強化の新体制を政府内に整備する」としている。
 さらに7月には、外務省内の「偽情報対策チーム」が、福島第一原発にたまる水の放出計画について、韓国のインターネットメディアが誤った情報を流しているとして反論したことが報道されている。外務省として、今後もAI=人工知能を使って情報収集を行って、事実に基づかない情報を見つけた場合、削除を求め反論するという。
 一方、韓国メディアが、韓国で福島第一原発放射能汚染水に関する虚偽情報は19件に達することが分かったことを報じた。こちらは、「公正言論国民連帯」「正しい言論市民行動」「社会正義を望む全国教授会」「新全国大学生代表者協議会(新全大協)」という4つの市民団体が先日フェイクニュース選定会議を開いて選定したものだという。
 日本の場合、公権力である政府が偽情報、フェイクニュースかどうかを見極める「ファクトチェック」が行われることが、懸念点を含めた論議もなく導入されようとしている。
 日本ではもともとファクトチェックについて、誤情報/偽情報や真偽不明の情報が拡散し、社会的分断への懸念が高まる中、ジャーナリズムの重要な役割の1つと位置づけられ、普及が始まった。
 ファクトチェックに関する著書を多数執筆しているジャーナリストの立岩陽一郎さんに本来の意義や国際的原則を踏まえ、公権力が行うファクトチェックについて憂慮される点について聞いた。

権力の言説をチェックする

―― ファクトチェックの本来、どのような理念の下で始まったのでしょうか?
立岩 日本におけるファクトチェックの歴史については、いつが始まりかについては議論が分かれていて、かなり前からあったという考え方もある。例えば、戦前の日本の情報局は、当時、ファクトチェックという言い方ではないですが、「誤った情報に気をつけるように」ということは言っていました。とはいえ、明確ではありません。
 一方、日本にいる我々がファクトチェックについて、注目し始めたのは、2000年代に米国で始まったファクトチェックの流れですね。米国のフロリダにある地元新聞が、大統領選挙を報道している最中に、「候補者が言った話を伝えるだけでいいのか」という議論を始めました。選挙報道について、テレビも新聞も同じような内容で、候補者が話した内容をそのまま伝えていました。しかし、当時から問題になっていたのは、候補者が話している中身は事実なのだろうかということでした。
 フロリダの地元紙が最初に、我々はその候補者の発言を伝えることばかりに力を入れるのではなくて、「候補者が語った中身について、ファクトチェックをする」と言い出したのです。この動きが、大きい反響を呼んで、しかもピューリッツアー賞を受賞したんですよ。
 政治家、候補者も含めて政治家と考え、そういった影響力のある人が言った話をメディアは伝え聞いてそのまま報じるだけではなく、その内容を検証していく。中身が誤りであれば「誤りだ」と指摘する動きが、ファクトチェックである、という動きや考え方が社会的に認識されました。それが世界に広がり、その後ドナルド・トランプ大統領が登場し、米国大統領選やフランスの大統領選挙でも注目されました。フランスでも、選挙に絡んでメディアが団結して、候補者の言ったことをそのまま垂れ流すのではなく、話した中身をチェックしようっていう機運が高まってきました。
 ネットメディアの言説を事実かどうかについてチェックすることも重要ですが、我々が今言っているファクトチェックの源流は、選挙、つまり人々の生活に直結する有力な人物があたかも事実のように語った内容が本当なのかどうかということに注目し、それを調べることなのです。ある種、権力を持つ人の言説をチェックする、これがファクトチェックのもともとの理念なのです。
―― 権力チェックの一形態なのですね。国家がやれば、検閲になりかねないこともあるということでしょうか。
立岩 戦前からあった流れについては実際にそうなっています。検閲というのは、ファクトチェックの先にある行為です。
「誤った情報に惑わされないで」という段階は、まだ問題はないですが、「何が誤った情報なのか」というところについて、権力から恣意的に判断される可能性があります。実際にかなり恣意的に判断するとなると、検閲になりかねない。つまり、戦前のファクトチェックについて考えるにあたり、為政者は今現在、日本政府が言っていることと同じようなこと言っていた、ということでもあり、私たちはそのことを肝に銘じたほうがいいです。

事実を確認する取り組み

―― フェイクニュースの定義や見分け方など、基準があるのでしょうか?
立岩 フェイクニュースについては、国際的なファクトチェックのネットワークがあり、そこで議論されています。大まかな概念として、誤った情報を流しただけで、即フェイクニュースということではなく、「誤った情報を、政治的、あるいは経済的な利益を目的に、意図的に流す」ということがフェイクニュースになります。まず、政治的な勢力が自らのストーリーを作るため、逆に敵対する政治的勢力に対してネガティブキャンペーンを張るために、意図して嘘をついて、情報を流す、これがフェイクニュースです。
 また、特に米国のトランプ政権時にあった現象ですが、トランプさんは良くも悪くも、この人を使うことによって、ネットコンテンツにものすごいアクセスが得られることが分かりました。あくまでアクセス稼ぎ、経済的な利益目的でトランプさんを利用して誤った情報を意図的に流したという現象となりました。これもフェイクニュースだと言われています。
―― 裁判などでは当たり前ですが、考え方や立場が違う者同士で見解が食い違う場合がありますが、双方、相手側の主張をフェイクニュースだと思うかもしれません。
立岩 そもそも、ファクトチェックを行うにあたり、考え方の違いを最大限排除しなきゃいけないという原則があると私は考えます。ファクトチェックは原則として、個別の意見はチェックの対象になりません。
 例えば「日本は世界でも最も優れた国だと私は思う」という言説について、ファクトチェックしません。個人の認識によるものだからです。別にその人が日本は最も素晴らしい国だと言っても、それは意見でしかなく、その事実はないと言って、チェックする意味がない。
 一方で、日本でファクトチェック活動が定着しない理由の1つとして、事実と真実を分ける考え方が根強くあります。日本語で事実と真実は明らかに意味が違います。ある著名な方から「立岩さんが言っていることは、事実はそうかもしれない。だけど立岩さんが、ある事実を積み上げても真実にはならない」と言われたことがあります。だから、ファクトチェックをして、重箱の隅をつついて事実を確認しても、真実はこうなので、と言われてしまう。
 これは政治姿勢と関係なく、割とリベラルな人がそういうことを言います。例えば安倍政権が悪いということを主張したい人にとって、ファクトチェックをすると、その主張を続けることについて不都合な事実も出てくることもある。
 割と真っ当な政策をしているケースもあるので、事実としてこういうことをやっています、と言うと「いやそんなファクトチェックは意味がない。なぜなら安倍政権を批判することに意味があるから」と反論される。ファクトチェックというのはそうではなくて、真実かどうかは置いておいて、目の前にある事実を確認する取り組みなのです。
 例えば(新型コロナウイルスの)ワクチンで、多くの人たちは救われたわけです。そのような客観的事実があるかもしれないし、ワクチンが新型コロナの問題を解決するという大きな命題があるわけです。しかしその一方で、そのワクチンによって被害が出ているケースが、仮に小さかったとしても、ファクトチェックをして、客観性のある事実が確認されれば、このような事実だとして指摘しなければいけないということです。
 ワクチンが、相対的に見て、確かに多くの人たちを救ったという事実はあったとしても、ワクチンによる被害があったことがファクトかどうかチェックすることは、客観性を持ってしっかりとやらなければならない。ファクトチェックをする主体は、第三者性を持つことが大事です。

特効薬でなく社会構築を

―― 政府が今年に入り、国外からの偽情報をファクトチェックする方策を整え、内閣官房、政府外と連携して対外発信すると発表しています。7月に入り、福島原発に溜まった水の海洋放出計画について、韓国のネットメディアが偽情報を拡散としたことについて、外務省が抗議したという報道が出ています。
立岩 戦前の大日本帝国時代の政府は、フェイクニュースやファクトチェックという言葉自体は使っていませんが、誤った情報に気をつけなさいということを言っており、なおかつ、それが様々な法律と相まって、最終的に思想弾圧まで進んでいってしまったわけです。
「フェイクニュースとは何か」ということを考えないといけないでしょう。例えば、誤報はフェイクニュースかどうか、です。特定の意図を持って、例えばその政治的な意図、あるいは経済的な意図を持って、あるいは風説の流布のようなこともありますよね。意図を持って、誤りだと知りながら、誤った情報を流すということがもしあれば、それは確かにフェイクニュースだとカテゴライズされるでしょう。
 私が知る限り、日本の新聞とテレビが、時には取材が十分じゃなくて誤った報道があることは、私も経験があるし反省はするけども、それはいわゆるフェイクニュースなのでしょうか。
 もし、必死に事実を確認し、裏取りして、事実を出していく報道に疑いをかけることになるようなことがあれば、その時には日本の民主主義そのものが問われることになります。その先に、もし、フェイクニュースを流した記者を処分する、あるいは処罰するという流れが出てくるとしたら、それは、フェイクニュースとファクトチェックの本来の議論とは全く違う議論になるでしょう。
―― そういう認定が、報道機関や市民や市民団体、労働組合など発信者を選別され、自粛するきっかけにならないかどうかが懸念されます。ファクトチェックの客観性を担保する社会的システムが必要になってくるのではないでしょうか。
立岩 前提として、ファクトチェックは、残念な言い方ですけど、フェイクニュースをなくす特効薬ではないです。つまりフェイクニュースは、ものの数秒で作れてしまうわけです。だからその気になれば、五万と作り出せます。
 例えば誰かを貶めようとして、嘘つけば噓をつくのは簡単でも、そのフェイクニュースをチェックするには、時間がかかる。少なくとも数時間あるいは数日かかるわけです。フェイクニュースとファクトチェックが同じ数だけ行われるということはあり得ないわけです。私は、ファクトチェックをする重要性について、ファクトチェックをすることで人々が、常にフェイクニュースの問題に対して意識的になれると思います。
 ファクトチェックをすれば、情報の確認が大事だけど、大変だということを認識してくれる人が増える。そういう認識のある人が、日本社会の中でどのぐらいの割合になられるかだと思います。そもそも、特定のフェイクニュースを流す人はいますが、それを拡散しているのは我々です。フェイクニュースが力を持ってしまうのは、拡散する人たちがいるからです。見えない第2の加害者がいるわけですね。ファクトチェックをやって意識を高めることで、拡散を減らせるのです。
 政府など、強制力を持ったあるいはある種の権限を持った組織や人間がそのフェイクニュースを撲滅するという考えは稚拙で不十分だと考えます。どの時代でも誤った情報を意図的に流そうとする人はいます。無くすために、特効薬やワクチンを社会に打ち込むんではなくて、社会がそうしたものに翻弄されないというある種の市民社会を構築していくということが確かではないでしょうか。
 フェイクニュース撲滅の公約を作るよりも、ファクトチェックという取り組みを多くの人たちが経験することで、フェイクニュースに惑わされない社会の構築が効果的で大事だと思います。結局、特効薬は劇薬ですから。向かう方向によっては、それがフェイクニュースを助長する危険性もあることは否定できません。どんなに完璧な制度だと言ったところで、方向性を間違えば、それが実際に弾圧を生んだこともあるわけですし、かえってフェイクニュースを助長することになることもあります。

市民社会のあり方の問題

―― 公権力のファクトチェックが行き過ぎてしまうと、どんな社会になると思いますか。
立岩 熊本地震の時に、ライオンが町に逃げたという情報があって、この情報を出した人が逮捕されたという事件がありました。災害時に誤ったフェイクニュースを流した人間の処罰は国民の理解を得やすい。最初は人々が喜ぶようなことでも、それは返す刀で、今までやってきたことの手のひら返しのようなことだってありうることを注意しないといけない。
 今現在、開かれた形での世論の形成がなされていて、さまざまな議論が保障されています。フェイクニュースは困るけども、開かれた情報の中で人々が判断していくという社会があるわけです。仮に、政府がフェイクニュースだと判断し、摘発する動きが当たり前になる状況になったとしたら、今ある民主主義社会とは少し異なるものになっていくと思います。
―― 市民の見えるところで、ファクトチェックやフェイクニュースの議論が展開されていくのが望ましいですね。
立岩 私もSNSで「メディアについてしっかり考えましょう」なんて発信すると、それはメディアの横暴だ、という批判も多く受けます。こういう話題をしても、メディアが、政府に監視されるのが嫌なだけじゃないのかという反論だって出てくるわけです。そうではなく、市民社会のあり方の問題だということをちゃんと定義して、そういう議論を草の根でしっかりやっていく必要があります。
 市民みんなにとって、民主主義社会にとって、非常に大事な問題なのだということを、みんなで共有できるかどうかが問われています。

▲立岩陽一郎さん

立岩陽一郎たていわよういちろう
InFact(インファクト)編集長、大阪芸大短期大学部教授。NHKでテヘラン特派員、イラク駐在、社会部記者、国際放送局デスクを経て退職。「コロナの時代を生きるためのファクトチェック」「トランプ王国の素顔」「NHK記者がNHKを取材した」(電子)など著書多数。

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