僕たちは救世主を失っているだけなのかもしれない
日本医師会・中川俊男会長の「集団会食問題」が尾を引いている。確かに、政治家を含めた総勢100名という人数で会食を行ったというのは、ニュースとしてはわかりやすいし、耳目を引くには充分すぎるほどのインパクトがあるだろう。
しかし、ここではあえて訴えたいのだ。
「中川会長は、新型コロナウイルス対策の救世主なのではないか」と。
ここ数年、日本でつづく炎上文化の背景には、この国特有のいびつなポピュリズム文化がうかがえる。
リーダーたるもの、つねに民衆と同じ視点に立って判断を下さなくてはならない。民衆が苦しんでいる時はいつでも同じ目線に立って、心に寄り添わなければならない。指導者と民衆はいついかなる時も同じリソースが与えられなくてはならない……。
あえて言う。そんなものは幻想だ。仮にそのような「良心的でやさしい」リーダーがいるとしたら、それはもはやリーダーではない。民衆をただただ不幸にするだけの、沈みゆく泥船の船長である。
このタイプのポピュリズムに無条件に心酔し、「良心的なリーダー」を求める人は結局、未熟なのだ。自分の未熟さ、経験不足を棚に上げて「大人はズルい」と言っているだけの子どもである。
「総勢100名でパーティ」という部分だけを聞けば、確かに今の情勢としてはひどい話だし、常識に欠ける行為だと思う。
ただ、その背景には何があるのか。
中川会長にしても、完全なる私利私欲だけでパーティに参加したわけではあるまい。リモートではどうしても得られない情報があったからあえてパーティに参加したのかもしれないし、その情報が新型コロナウイルス対策において必要不可欠だと信じているからこそリスクを承知でパーティに向かったのかもしれない。
もちろん、すべては想像であり、私の勝手な妄想にすぎない。実際には中川会長自身が誰よりも新型コロナウイルスを甘く見ていた、という可能性も大いにあり得る。
「背景がわからないまま、とりあえず空気だけで批判する」というパターンから、私たちはもういい加減に卒業するべきではないだろうか。
「大人はズルい」的な幼稚な批判は心地よいかもしれないが、結局は泥船を沈ませるだけである。
かしこい民衆に必要なのは、気に入らない権力者の首を一時の空気や感情ですげかえることではなく、視点の違いを理解し、本当の意味での救世主を冷徹に選び取ることではないだろうか。
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