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【ゼミ取材記事】清水喜久先生編:経理財務


皆さんこんにちは。


ゴールデンウィークが過ぎ夏のような暑さがやってきました……

暑さにめっぽう弱いわたしは、先日今年初の熱中症になりました。
皆さん体調にはお気をつけください。


今回わたくし"まる"はサービス創造学部の清水喜久(しみず よしひさ)先生に取材をしてきました!


本当にお話がうまくて105分ある講義も飽きが来ずに聞けるんですよね◎

まだ、清水先生の講義を受けたことがない学生の皆さんはぜひ機会があったらとってみてください。


では、まず清水先生がどのような方なのか紹介させていただきます。


清水先生ってどんな人?


名前:清水 喜久(しみず よしひさ)
職業:千葉商科大学 サービス創造学部 准教授
趣味:本を読むこと・音楽鑑賞・ドライブなど


ほんわか朗らかな表情が印象的な、優しい雰囲気の先生です◎



そんな優しい雰囲気が漂う清水先生ですが、実は、外資系企業や国内の財閥系企業での勤務経験もある超実務派の先生なのです!

わたしも講義内で清水先生が大学に勤める以前のお話をよく耳にしていましたが、人生経験が本当に豊富な方なんだなと感じていました。



まずは、清水先生の経歴について見ていきましょう!



学生時代の挫折とアメリカンドリームを夢見て



出身高校は市川高等学校。その後、専修大学、ビジネス界にいる間に中央大学大学院他でMBAを取得しています。


清水先生は、しばしば「自分自身も中堅大学しか出ていないが、ビジネスの世界で大学名が通じるのは30歳まで。あとは実力次第だよ」とおっしゃいます。


専修大学といえば”日東駒専”と呼ばれる中堅私立大学で、わたしからすると十分すぎるくらいの学校です。

わたし自身、学外プロジェクトで他大学の学生と長期にわたり関わりを持つ機会があり、そこで専修大学の学生の方もいたのですが、頭の回転が速くてめちゃくちゃ優秀という印象を抱いていました。

だから、なんで先生が専修大学に進学したことを挫折と表現したのかが、いまいちピンとこなかったんですよね。


わたしの住んでいる地域が市川市の高校が学区外だったこともあり、あまり馴染みが無かったのですが、調べたところ市川高等学校は千葉県で2番目に偏差値の高い高校なんですね。

当時と今ではまた違う部分もあるかもしれませんが、東京大学京都大学をはじめとする国立大学や、難関私立大学にも毎年多くの方が進学をされています。


そんな中で清水先生ももちろん難関大学を目指して勉学に励んでいたのですが、受験期間に体調不良を患い思うような結果が出せず、また、さして大学に魅力を感じていたわけでもなかったので、そのまま専修大学へと進学をすることにしたそうです。



今ではわたくし"まる"と同じようにマーケティングを専攻する方がいたり、国際系の学部やネット社会に合わせた学部などがある専修大学ですが、清水先生が入学した当時は公認会計士(以下、会計士)を目指す方が多かったそうです。


少なからぬ学生が会計士や税理士を目指す中、「会計士や税理士は地味で面白みに欠けるのでは?」と考え始めた先生は、将来的に大手企業に対するコンサルタント業務をやりたいと思い、先ずは幅広い職種と触れることができる金融機関(信用金庫)に勤務をすることに・・・。
信用金庫を選択した理由は、規模が小さな組織の方が、埋もれずに様々な経験をすることが出来るのではないかと考えたからだそうです。これは就活にも使えそうなアイデアですね!


今でこそ華々しいイメージの強い金融機関ですが、当時は年功序列の社会。
雰囲気は、現在の役所のように堅く、預金や融資、そして為替業務等の商業銀行業務を行っていました。

また、当時の日本の大きな企業は、社内試験をパスし、長期にわたり勤務をすれば自動的に昇格・昇給があり、結果的に生活は安定するというシステムだったそうです。現在の"実力主義"が取り入れられた組織とはかけ離れた世界だったようですね。それでも日本企業は、いまだに"家族主義"で穏やかだとおっしゃいます。


コンサル業務や華々しい世界を目指した清水先生にとって、当時の日本の金融機関はあまり楽しいものでもなく、3年間勤務したのち夢を追いかけて、大手外資系企業の日本法人へ転職したそうです。
ちなみに、当時の日本では、転職、特に金融機関からのそれは"異例"だったそうです。転職活動が、現在のようにメジャーな文化でなかったんですね・・・。


外資系企業での勤務は、清水先生にとって驚きの日々だったそうです。先ずは、仕事の引継ぎが基本的にない!さっとマニュアルが渡されるだけ…。
これは、国内企業ののんびりした環境と違い、人材の出入りが激しいためだそうです。

そして、後になって、自身が上の方にいってから分かったそうですが、とにかく「動け!」「プロセスより結果を出せ!」、あげくの果てに「自己責任!」
当時はあまり話せなかった英語による怒声が時に飛び交うオフィスで、勤務時間が14,15時間というのもしばしばで、よく会社にも泊まり込んだそうです。


就活中のわたしにとってはにわかに信じがたい話です……。


当時の外資系企業は、国内企業と比較してキャリア志向の社員が多く、中途採用中心。キャリアを研鑽するために長い労働時間をさほど気にしない方が多かったそうです。ただ、それに合わせるかのように、報酬は国内企業と比べても高額だったそう。

ちなみに、現在の外資系企業は、(一部の業種を除き)当時ほど過酷な状況ではなくなったそうです。(ちょっと安心)


ちなみに気になる職種はというと、アカウンタント(経理)を手始めとして、トレジャリー(財務)、そしてビジネス・ファイナンス(管理会計)をコアにしたFP&A(管理本部)というセクション。特に、トレジャリーやビジネス・ファイナンスを中心にそのスキル獲得に努めたそうです。


ふぁぁぁぁぁぁ…………聞き慣れない言葉の羅列に頭がパンクしそうです。




私のように、トレジャリーやビジネス・ファイナンスってなんだ?という方に向けて簡単に説明させていただきます。

企業規模や業種、そして本社が属する国によって少し意味合いは変わっては来るのですが、先生が勤めていたようなアメリカの大企業では「財務に関するスペシャリスト」「事業部(”BU”と呼ぶそうです)の部門長や社長をはじめとした役員の補佐」のような立ち位置になるそうです。
ちなみに、現在では国内企業もこぞって口にする"ファイナンス"や"財務"ですが、この当時はほぼ馴染みがなく、なんといっても、国内企業は"経理"中心のオペレーションがされていたそうです。


先生が当時勤めていた会社は、在職している間に、いくつもの企業との買収、合併等紆余曲折を経たそうですが、そのプロセスを経験することで、後のビジネスにおいて役に立つ大きなものを得ることが出来たそうです。例えば、経理や財務、あるいはビジネスの統合(”PMI”というそうです)などの困難さは、私たちの記憶にも新しい、メガバンクの統合の失敗例を見ても分かりますよね。

その後、国内系の製薬会社で、戦略上の特命事項を扱う部門をリード。特に、アライアンスやM&Aを使った成長戦略を模索したり、組織再編、上場申請(”IPO”というそうです)に従事したそうです。その会社は、1年ほどで落ち着いた感じになってしまったので、次なるステージを求めたそうです。

それが、某財閥系企業の役員補佐の仕事でした。先生が勤められたときは、IT業界に少し陰りが出ていたときで、特に、大企業であればあるほど売り上げの落ち込みが収益にネガティブインパクトを与えかねない状況だったそうです。ここでも、特命事項管掌、役員補佐として、主に成長戦略を策定するミッションを担うことになります。

戦略立案のためには、適切なフレームを描き、それを実行フェーズに落とし込むこと。そのためには、経理や財務の知識だけでなく、多くのサービス創造学部の学生が好むマーケティングや戦略、そしてリーダーシップの知識も必要だそうです・・・。あと意外なのは法律知識。皆さん、偉くなると特に、法律知識が絶対に必要になるそうですよ!

また、役員補佐のかたわら、受託資金1,000億超!の年金資金ファンドの運用も担当し、かの”リーマン・ショック”(知らない人はググってください)の語源ともなった米国リーマン・ブラザーズ証券などとサブプライムローンなどのクレジット、レバレッジド・バイアウト(企業買収)やストラクチャード・ファイナンスを使った仕組み債組成、欧米のプライベート・エクイティやヘッジファンドへの投資も推し進めます。

・・・結果的に、通算20年にも及ぶ実務経験の間には、ここでは書けないような、そして皆さんが知っているような大きな経済事案にも少なからず携わってきたそうです・・・。

いやぁ……すごい人生ですよね。徹底的にキャリア志向の働き方に思えます。


転職が当たり前になっている現在でも突飛な経歴なのに、これが私が生まれる前の時代と考えると………いや、考えられないですね…………。

ちなみに、先生が実務において大事にしていることは、”失敗を過度に気にするより、取り合えず、勝率50%でもいいから走り出せ!ダメだったら直せ!”、あとは、”悩むな、笑え!悩んでも笑っても一日は24時間!生きていればなんとかなる!(笑)”だそうです。

「とにかく、結果が求められる米国系企業、その後も実力が問われるフィールドでやってきたからかもしれません。でも、私は良い経験をさせてもらったなと感じています。今はもう、いろいろな意味で厳しい時代になってしまいました。倫理的にも・・・、もちろん法的にもね・・・。」先生は苦笑されていました。


これほどまでに突飛で波乱万丈な経歴をお持ちの清水先生ですが、逆に、学生たちには「地道に、穏やかに、コツコツと進んで欲しい」そうです(笑)。

自分を手本に挑戦し続ける道を勧めるのではなく、しっかりと現実を見据えて「地道にコツコツと進んで欲しい」とおっしゃるのが、とても清水先生らしいなと思いました◎



ところで・・・、

ここまでで「教員になりたい」という話は一切出てきませんでしたが、どのようにして清水先生は大学教員になったのでしょうか?

次は、教員になった経緯について紹介したいと思います。



ビジネスマンが教員になるまで


ビジネスマンとして順調に成績をあげ、企業経営の中枢にまで携わっていた清水先生。その頭の中に"教員"という考えはありませんでした。



教員、その中でも大学教員となれば、学生への指導に加えて自分の専門分野についての研究の日々が始まります。
しかし、ビジネス人材育成には興味があるものの、実務と違って成果が数値化しにくい文系の研究に対して興味が薄かった清水先生にとって、自身が大学教員になっている姿は到底想像がつくものではなかったそうです。
(「もちろん、本当は研究も大事ですよ」とおっしゃっていました!)

なんといっても、結果を求められる世界で20年近くやってこられたわけですから、その真逆の世界をどこか空虚なものとして考えてしまうのは当然かもしれませんね…。


では、どのようにして清水先生は教員になったのでしょうか。


清水先生が千葉商科大学の教員として勤務するようになったきっかけは、同学部の創設メンバーの一人でもある坂井恵(さかい けい)先生でした。

実は清水先生と坂井先生は幼馴染なのだそうです。

坂井先生は、大学教員になる以前は、大手監査法人で会計士としてお勤めだったそうです。なんとあの”エンロン事件”(これもググってください)で有名な米国エンロン社の監査にまで携わったご経験のある国際派のエリート会計士だったそうです!

優秀な成績を収めていた坂井先生は、会計士という仕事に誇りを持ち、また面白さも感じていたそうですが、そのキャリアを生かして大学での研究や教育へと情熱を燃やすようになりました。
その結果、吉田 優治(よしだ ゆうじ)先生が考案した我らの”サービス創造学部”へジョインしたそうです。

(坂井先生について詳しく知りたい方は別の記事をご覧ください◎)



はじめは非常勤講師として1つのコマを担当するだけで、教員として長期的に働くつもりは全くなかったそうです。

教員を目指していたわけでもなく、キャリアと実力で非常勤講師を任された先生は、「何を教えたらよいのか」と迷いながら講義をしました。

すると、教員経験のない先生が初めて行った講義が当時の学生にとても受け、少しずつ、教員として後進を養成するのも悪くはないな、と思うに至ったそう。


この段階でもやはり大学教員として働く気持ちは半々くらいだったそうです。が、最終的に同学部の初代学部長であった吉田先生や、若くして鬼籍に入られた中村秋生(なかむら しゅうせい)先生らの熱いお話しもあって、千葉商科大学サービス創造学部の正教員になることを決めたそうです。


ちなみに現在では、大学教員としての仕事にやりがいを感じているそうで、そこには「お金以上のものがある」そうです。


講義の中では毎回必ずゼミ生が話題にあがり、自分のゼミ生を"教え子"としてではなくまるで"子供"の様に親身に接している様子がうかがえます。


ちなみに清水先生のゼミに所属する学生は毎年優秀な方が多いそうで、そんなゼミ生の事をいつでも誇りに思っているそうです。
「企業ではしばしばあることですが、社長がダメなら、部長は優秀!」という感じかもしれません、と笑っておられました。




では、最後に清水ゼミのカリキュラムをご紹介したいと思います◎
優秀な学生がそろう清水ゼミ、そんな学生を育て上げるゼミのカリキュラムとはいったいどのようなものなのでしょうか。



学年の壁を越えた幅広いゼミ活動


まず、清水ゼミはいったいどのような分野について学ぶゼミなのでしょうか?


大学の公式HPを見ると「企業経営における経理財務の役割」と記載があります。
つまり、経理・財務について学ぶゼミとなっています!


経理・財務と聞くと、皆さんなんだかとっつきにくいイメージを抱かれると思います。私も実際そうでした。



しかし、この清水ゼミは違います!!
分かりやすくて楽しい!!!!



わたしは別のゼミに所属をしているため、実際にゼミの授業を受けたことはありませんが、清水先生の講義で経理・財務に関する講義を受けたことがあります。


はじめは難しいイメージが強く自分の興味がある分野ではなかったのですが、実際に講義を受けてみると清水先生の話術で105分間の授業を全く飽きずに聴くことが出来たので、ゼミも同じように楽しい雰囲気なのかなと思います◎


カリキュラムを紹介します!

2年:ディスカッション×授業(座学)
3年:発表メインの活動(プレゼンに慣れる)
4年:卒業論文


カリキュラムは上記のようになっており、最近では2年生と3年生は授業時間を2コマ使って合同でゼミを行っているそうです。
学年を壁を越えた素敵なカリキュラムですね◎

清水ゼミはもともと大学HPにあるように財務の講義が中心でしたが、最近では、学生の意向で”経営諸問題(主として、組織、リーダーシップなど)に関するディスカッション”へシフトチェンジしているそうです!

これは先生が実務におられた時から、「優秀なはずの若手が、どうにも応用がきかない…、自分の意見をうまく発言できない…、はては、他人の意見と調整できない…、などという、そもそも”コミュニケーション能力欠如”な場合が多く、ここをなんとかするのが”実学の千葉商科大学の本分”なのではないか。」と考えたこともあるようです。

また、コロナ禍以前は6限の時間を使って任意のサブゼミのような時間を作りそこで財務の講義を行っていたそうです。
最近はコロナが少しずつ落ち着きはじめ、大学も制限が減ったのでそろそろ恒例のサブゼミも再開しそうですね◎


清水先生の考えるゼミにおける教員は"道しるべ役"で、あくまで学生主体で進めていってほしいとのこと。
"ゼミは学生のもの"が先生のポリシーだそうです。

お話を聞いていると清水ゼミの学生は主体的な方が多く、2年生は積極的に先輩のゼミを見学し、3・4年生は積極的に後輩の指導にあたっていて、学生間での教え合いが盛んな印象を受けました。


人に教えることで自分自身の理解も深まりますし、それが自然に行われているだなんてとても素敵なことですね!



最後に


今回は経理・財務を専門に教えて頂いている清水先生を取材させていただきました。

3年生以降の科目を中心に担当されている先生で、1・2年生との接点が少ないそうですが、この記事を読んで清水先生の講義やゼミに興味を持った方はぜひ一度お話していただきたいなと思います◎

あとは、3年生以上の方はぜひ清水先生の講義を実際に受けてみてください!!


今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。


私事ではありますがこのYellow!のアカウントで記事を投稿するのは、おそらく今回が最後になるかと思います。
2年間拙い文章にお付き合いいただきありがとうございました!

個人アカウントはゆるりと動かしておりますので、引き続き"まる"をよろしくお願いいたします!


"まる"でした今までありがとうございました!
今後もYellow!及び"まる"をよろしくお願いいたします!!

まる|note大学3年生 邦ロックとジャニーズか好きです。 Yellow!の編集部員"まる"でもあります。 Yellow!はこちらからnote.com


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