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死生観への一考察

〈序〉

死生観って、考えたことありますかね~(;^ω^)
「まだまだ死ぬことなんて考えたくないな~」
「死なんて考えても分かんないし、気が滅入るだけだし」
「そんな恐ろしいこと封印します」
そんな風な声が聞こえてきます(+_+)

しかし、❝生あるもの必ず死あり❞
しかも、いつ訪れるかは見当もつきません(*´Д`)
古代ローマでは❝メメントモリ❞ と言って、「自分が必ず死ぬことを忘れるな」という教訓がありました。
良い機会に死生観について考えてみるのも❝あり❞かもしれません。

〈ポイント〉

■人それぞれの死生観がある。
■死生観を思う死にも、一人称の死(自分の死)、二人称の死(身近な人の死)、三人称の死(他人の死)がある。
■死生観を持つことで、生きる意味、生き方を持つことができる。

〈死生観の定義〉

生きることと死ぬことに対する考え方、または判断や行動の基準となる生死に関する考え方や価値観。

〈転〉

でも、以下のような言葉もよく聞かれます(._.)
●人を殺して死刑になりたかった。
●誰でもいいから殺したかった。
●死ぬとは思わなかった。
●死んでしまいたい等々

特に「死んだほうがましっ」という高齢者の多いこと(仕事がリハビリなので~;^ω^)

何でこうなるのでしょうね~
生きることと死ぬことが迷子になっている様子です(*´Д`)

〈死のスタイル〉

色々な死のスタイルがあります。
●流産、死産(お母さんのお腹の中が人生です)
●小児の病気(周産期障害、難病、がん、突然死等々)
●成人の病気(がん、心不全、難病等々)
●高齢者の病気(脳血管障害、心臓病、認知症、がん等々)
●老衰(大往生かな)

加えて

●事故(交通事故、一般事故)
●自然災害
●殺人
●自殺
●死刑等々

それぞれの死に様々な思いが感じられます。突然の死、早すぎる死、理不尽な死、恐怖の死、苦しい死、穏やかな死。

やっぱり考えたくないですね~(;^ω^) でもすべての生けるものが経験することなのは100%確実なのです。

〈死の後〉

死んだあとどうなるのでしょう? よく言われるのが「あの世から帰ってきた人は居ないので分からないよ」。この言葉は❝あの世❞の存在を肯定しているようです(@_@)。現状で根拠のある回答はありませんね。でも、どのような死生観を持っているかで、生き方が変わってくるかもしれません。

死んだのちは
■無い:現代人の3割がこう答えるとのことです。
■有る(魂)
▼別世界に行く:天国・極楽・楽園、地獄、別次元、狭間等々。宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教)に善行を促す死生観が見られます。(歌には)天国良いとこ一度はおいで~(行きたくって行けるところではないようですが)。神道では私たちは分け御霊なので、死の後、神と一体となるそうです。

 *天国に行けるほど、いい事したとは思えませんね~
 *そもそも地獄で肉体的な痛みや苦しみはあるのでしょうか?

天国等で何をしているかというと
●眠っている:安らかに眠り給え。(歌には)眠ってなんかいません~
●私たちを見守っている:じれったいでしょうね~(*´Д`)
●私たちに寄り添っている

▼そのままの世界にいる:悪くとらえると彷徨っているのでは~。でも必要ならばしばらく彷徨ってもいいかも(;^ω^)
▼転生している:時期については様々でしょ~。私としては「もう少し考えさせてください」

〈三つの死生観〉

上記の事柄でも、さまざまな死生観が浮かんできそうですが、最後に一人称の死、二人称の死、三人称の死について考察してみようと思います。

■一人称の死は自分の死です。これに気づいたときは、まだ自分を生きています。でも、年を経て少しづつ意識してくるものかもしれませんし、突然余命を告げられる方もいらっしゃるでしょう。

私は「やりたいことを成し遂げて、人に迷惑をかけずに、苦しまずに死にたい」と思っていますが、まさに欲深いですね~(そんなにうまくはいかないぜ(;^ω^)。でも、自分の死ののちについては、無でも有でも構いません。

■では二人称の死ではどうでしょう。自分の愛する者を見送ることになったら。無になったと諦められるでしょうか? 私は15歳の娘を交通事故で亡くして、それから15年間、学校や地域で命の授業という講和を続けています。そこで語る私と娘の関係は「一緒に生きる」です。ず~っと身近に感じて生きています。だから無であるはずがありません。

■三人称の死(他人の死)は、状況により「残酷だ」とも思うし「幸せだ」とも思うでしょう。多くは浅い感情で終わってしまいます。でも実は、これを深く学ぶことが大切と考えます。できれば多くの当事者の話を聞いて、たくさんの気づきを積み上げていってください。それはきっとあなたの生きる意味や生きる力につながると思います。

〈私の死生観〉

ですので、私の死生観は、無ではないのです。天国や地獄があるとは思いませんし、神がいるかどうかも分かりませんが、故人を身近に感じて生きています。故人をガッカリさせないように生きようと思っていますが、私の中の悪魔は「そんなにうまくはいかないぜ」と脅迫します。そういう悪魔も私の一部でしょうが。



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