見出し画像

それから②

☆15歳のmessenger 奈那のホームページ since2008.4.18 からのリンクページです。

20.2009/1/18 

今日は、今年最初の月命日。通常の日曜日は昼頃まで布団の中ですが、
今日はお坊さんが来るので、なるべく早く起きて、玄関や部屋の掃除をしたりして・・・私が慣れないことをしたりすると・・1月20日までお寺はお休みだとか。がっがりー。月命日は毎月やってきても、日曜日じゃないと居ないんです。旦那って、なんでそこまで仕事しなければならないんでしょうね~。
計画通り、しっかり納骨堂と事故現場には行ってきました。
でも、これも普段は夜なので、真っ暗の中なんです。仕事帰りなもんで。今日は明るい時に行けました。
すると、事故現場の花や飲み物の間に小物が置かれているのを発見。どなたかが、クリスマスの時に持ってきてくれたものと思われます。
可愛らしいガラスのツリー。
宇佐高校のお友達だと思うのですが・・・どなたか分かりません。
また、どなたがお供えしてくれたか分からないプレゼントがまた一つ増えました。早速持ち帰り、祭壇の仲間に入れました。
又聞きですが、毎月、事故現場でお参りしている男の子が居るそうです。私の知らない人が私たちの知らない時に、奈那を偲んでくれています。逢ってお礼を言わなければと思いますが、今は逢う術がありません。今年の秋の講演をいい機会にしたいと思います。

21.2009/3/20~22 生命のメッセージ展 三重大学

生命のメッセージ展in三重大学、義弟の結婚式、京都西本願寺に行ってきました。20日~22日の計画旅です。旅の参加者は私と妻と娘達と義母。
私たちは20日、三重大学に行き津で一泊。義母は21日の次男の結婚式に向けて京都で下車。長男家へ。私たちもの結婚式出席の為、21日に京都入り。
第1話(ドタバタ珍道中)
出発当日、夜中の3時、妻が切符が無いと言い出し、夫婦で捜索。テレビの横で発見。家を出るのが6分遅れ、駅に着くのがギリギリ状態。駅に着くとすでに列車のアナウンスが・・・寧々を先頭に走る。当然のごとく義母が最後尾。「これは間に合わない」と思った瞬間、義母が自動改札機に捕まる。結局乗り遅れる事となり、新幹線の指定席がパー。自由席へ。 
長男が義母のお迎えに来てくれており、すんなり京都駅で受け渡し完了。名古屋駅に着くと、またもや妻が「切符が無い」って言い出したり、私が改札機で乗車券を取り忘れたり、アップアップでようやく三重大学にたどり着きました。
第2話(生命のメッセージ展)
緊張しました。鈴木共子さんや井上郁美さんをはじめ、力強い面々とお会いして、非力な私たちに何かできるのか???はなはだ疑問です。会場には、愛され続けるオブジェたちが寄り添うように立ち竦んでいました。交通事故、リンチ、医療事故等々、愛する大切な命を言われもなく奪われた悲しみが刺さるようです。奈那は皆さんの仲間に入れてもらえるでしょうか?
第3話(義弟の披露宴)
46歳で初婚と、周りには「まさか・・・」と思われたようです。でも、遅ればせながら、至福の時がやってきたようです。しかし、幸せを忘れた私にとっては、自分がそこに居る事自体、場違いな気がして、遠くから遠い目で眺めるしかできませんでした。
第4話(22日はお寺回り)
まず、奈那のご本山の西本願寺にお参りしました。ちょっと奮発して数珠を買いました。清水寺は連休と言う事もあって人人人でした。桜に時期にはちょっと早かったようです。

22.2009/4/12 15歳のmessenger奈那

奈那は生命のメッセージ展 に就職しました。奈那のオブジェを完成させるため、座間(神奈川)の鈴木共子さんちへ行ってきました。
共子さんならびに実行委員の皆さんは、気さくな方ばかりで、すっかり親しみを感じてしまいました。作り終わると皆で昼食。みなさんが用意してくれていました。その後、共子さんちの下宿小屋へ。
これで奈那も生命のメッセンジャーの仲間入りです。ガンバレ奈那ちゃん。そして、みえないちからよ、輝け。

23.2009/4/25~26 生命のメッセージ展 大分

生命のメッセージ展in大分が開催されました。大分では初めての生命のメッセージ展。奈那にはデビューの日。感謝で一杯です。2日あわせて1300人ほどの来展者があったそうです。来展者のオブジェに向かう表情が心に残りました。みなさんの心に何か残せたのではと思いました。
奈那はいち早く生命のメッセージ展に就職しました。仕事は命の大切さを伝えること。私たちはそれを支援・応援していきたいと思います。

24.2009/6/14 奈那の着物

妻が、奈那の成人式にと注文していた着物がやってきました。「着せてあげたかった 」という妻の叶わない望みです。3年後の生命のメッセージ展で着せる事を企んでいます。ちなみに、妻の成人式の時の着物は、告別式のときに奈那にかけてあげて、一緒に天に昇って行きました。

25.2009/7/19 修学旅行のお土産

高校の友達が、遅ればせながら修学旅行のプレゼントを持ってきてくれました。なかなか忙しいし、私たちもうろうろしてるので、期を逸したようです。北海道の熊のぬいぐるみのオルゴールです。ありがとう。

26.2009/9/26

犯罪被害者支援の日(10月3日)を前に、大分被害者支援センターの職員と福徳学園高校の生徒ら約30人がJR大分駅前でコンサートや募金活動で被害者支援を呼びかけた[朝日新聞]。
奈那は隆陸君と一緒にJR大分駅前に並びました。パパは仕事で行けませんでしたが、お母さんとネネと一緒に参加しました。奈那ちゃん、仕事が順調に増えてますね。奈那の未来が膨らんでいくことをこの上なく喜んでいますよ。過去は変えられないけど、未来は創ることができるのです。物語はまだまだ続いているのですよ。

27.2009/10/18 三回忌

今日は別の人生が始まって2年。奈那と逢えなくなって2年。もう2年、まだ2年。私たちには辛い旅の一足に過ぎないような。
今日は当初の計画通り、親族はご遠慮いただいて、奈那の友達と一緒にお経を聞きました。その方が奈那も楽しいだろうし。
奈那の友達はみんな気のいい娘さん&優しい男たちで、「素晴らしいやつらだ」って思います。校長先生や恩師の先生たちも来てくれました。奈那の人となりが解かるようです。でも、来年は卒業。みんなばらばらになっちゃって、寂しくなるんでしょうね。

28.2009/11/13~14 生命のメッセージ展 佐賀

生命のメッセージ展in佐賀で、また、たくさんの方々をお会いする事が出来ました。もちろん奈那のオブジェともお久しぶり。全国を巡る奈那はとても誇らしげです。大分の被害者支援センターの方々が来てくれました。みなさんの日々の活動に感謝です。
マイミクのribakoさんの旦那さんとお会いする事が出来ました。 メッセンジャーのてつや君にとって佐賀は思いの深い場所だったようです。
佐賀から参加のメッセンジャーで、私と同じ職(理学療法士)を目指していた19歳の大学生さんとその家族の方々と会いました。まだお別れから1年と半分くらい。我が家はやっと2年。お互いの辛さが身にしみました。
鈴木共子さんをはじめ、いのちのミュージアムのみなさんに逢えて、メッセンジャーを支援する輪の中に自分が居ることを確認できた2日間でした

29.2009/12/5 ガールスカウト記念行事

ガールスカウト25周年記念行事が開催され、奈那の黙祷をしていただきました。スライドでは奈那の生前のスナップが映し出され、このうえなく存在感を表現していただきました。有難うございました。寧々がケーキのデザインをしました。このようなセンスは長けているようです。

30.2009/12/21~25

福岡の県庁でミニメッセが開催されました。松原さんの声かけで、 奈那も初めての出張です。ほんとは、働く姿を見に行ってあげたかったのですが、仕事の関係で叶わず、アップされた写真にて確認させていただきました。ありがとうございます。そしてお世話になりました。
奈那の活躍がまた一つ増えました。これからも、お仕事頑張ってください。私はこうやってあなたの未来を感じることに喜びを感じます。まだ終わったんじゃない。あなたの未来はこれからですよ。

31.2010/2/4 奈那への手紙

今日、家に帰ってみると、「千の風になったあなたへ贈る手紙」出版に関するお知らせ、というハガキが届いていました。いつだったか、公募ガイドっていう雑誌でみつけたテーマに親近感を感じて、何の気なしに頭に浮かぶ文を載せてメールで送ってみたのです。いつが発表だったかも忘れていました。なんと私の手紙が載せられた本が出版されるとのことです。また奈那のいたずらか。

32.2010/2/26 寧々の誕生日に

今日は寧々の誕生日。この日にあわせて奈那の友達が奈那のバースデイメッセージを持ってきてくれました。本当は奈那の誕生日にあわせてでしたが、多忙な妻の都合上、のびのびになっていました。皆さんから優しいメッセージをいただきました。皆が奈那の友達でいてくれるので、それが一番嬉しいことです。ありがとう。

33.2010/3/3 奈那だけの卒業式

3日13:00に奈那だけの卒業式が校長室で開催されました。 正式の卒業式は2日に終了していたのですが、20人の友達が制服で見守ってくれました。涙と感動の卒業式でした。
2日の正式な卒業式の答辞の中で奈那のことを話してくれたそうです。 宇佐高校OB会会長(前市長)も奈那の話をしてくれたそうです。 宇佐高校OB会副会長さんは奈那の卒業式に是非とも参加させてくださいといって、3日、自主的に参加してくれました。校長は、私の高校での講演以来、「心のリレー」という紙面を発行し始めたとのことでした。
奈那がこんなに皆さんの心の中に居て感動を起こしていることに驚くばかりです。

34.2010/3/5 千の風になったあなたに贈る手紙

「千の風になったあなたに贈る手紙」が1冊届きました。近くの本屋さんを覗いてみましたが、取り扱われてないみたいです。やっぱり田舎なのです。
目次が無いので、妻は捜すのに苦労した様子です。214ページにのってます。

35.2010/3/6 宇佐高校 当時の校長先生

宇佐高校、当時の校長が訪れて、「私の自叙伝の中に奈那の話を書かせてください」とのことでした。事故から卒業式の提案までお世話になったのはこの人なのです。校長は習字の渡辺先生の字を持ってきてくださいました。
先生から字をいただいたのは2度目です。1度目は「ありがとう」。今回は「なな色cafe」。周囲の期待はとても大きいようです。妻は「どうしたらいいの」と焦りと不安がヒートアップしています。

36.2010/4/18 奈那の絵

先週から、奈那と寧々が以前通っていたアトリエに私も通うことになりました。突然だったので、描き始めたのは、カバンの中にいつも入っている奈那の写真。人物画は余り得意じゃないけど、なんとか仕上げました。

37.2010/6/13 千羽鶴完成

千羽鶴がようやく完成しました。半年はかかったと思います。合間を見てこつこつと折り貯めてきました。束ねて持ち上げてみると結構重かったです。さて、これから何をしようかな。またプレゼントになるようなものを考えます。

38.2010/10/23 遊美展

本年度から、寧々と一緒にアトリエに通っているのですが、そのアトリエの発表会である遊美展が10月22日~25日で開催されました。その中で、奈那が小学生の頃描いていて、まだ 提出していなかった作品と学校で描いた自画像も含めて展示していただきました。有難うございます。

39.2010/12/17 甲斐校長先生からのプレゼント

奈那の誕生日に宇佐高校の甲斐校長先生からプレゼントが届きました。フリーズドライの薔薇とメッセージ。今年もまた修学旅行の中で、2年生みんなで奈那の誕生日を祝っていただいたのです。だただた感謝です。こんなにも奈那を生かしていただいて。もう一つ、妻がABCクッキングで手作りしたケーキ。奈那も嬉しい19歳の誕生日になったことでしょう。

40.2011/1/18 保育園の頃のお友達

奈那が保育園の頃のお友達が、昨年11月に行われた生命のメッセージ展in鈴鹿医療科学大学にて、奈那に逢ってくれたました。彼女は当大学の学生さんです。こうやって皆さんが赴いた先で奈那に逢ってくれるのは、とても嬉しいことです。彼女はバイトの初給料で可愛らしいお花を買ってお供えしてくれました。保育園の短い間でしたのですが、覚えていていただいて有難うございます。重ね重ねお礼申し上げます。

41.2011/10/16 4年目の事故の日

今日は事故から4年目。10月16日18:20。1年の中で最悪な時期です。
今日は、お昼に矢口(元)校長先生たち3先生がお参りに来てくれました。渡辺先生が奈那が高校の習字の時間に書いていた書を持ってきてくれました。相変わらず綺麗な字。我が家では一番字がうまいのです。
奈那の書家名は奈那臨。いい名前つけたね~(#^^#)
夜はガールスカウトの親しい人たちがお参りに来てくれました。

42.2011/11/23 

今日はくぼたクリニックの先生の依頼で、透析患者さんのリハビリ指導にいってきました。患者さん宅は山を3つくらい越えた奥で、医療も福祉もまだまだ・・・ましてやリハビリなど新参者に思えました。
ところで、そのくぼたクリニックで、なぜだか宇佐高校生徒の父兄より手紙をいただきました。以前妻が勤めていたからでしょう。「先日の卒業式には、お祝いの品をいただきありがとうございました。」とのことで、2年前の手紙のようです。そういえば、妻が、同級生の卒業式の時に卒業生全員にハンカチをあげたんじゃなかったか?・・・
律儀にもお礼の手紙をいただいていたようです。もしかしたら、その方に成人式で逢えるかもしれません。そのためにも「もう一つの成人式」には辿り着かなければなりません。奈那の人生の続きのためにも。

43.2011/12/1 義母逝去

早朝 病院から電話が入り私が気が付かないうちに妻は病院へ。妻から亡くなったことを知らされました。今年の2月に脳梗塞で倒れ、一度も意識が戻ることはなく、いつどうなってもおかしくない状態でしたが、気丈に(自由に)一人暮らしを続けていた義母の姿が思い起こされます。義母は生前、お坊さんに「孫の奈那と換わってやりたかった」と涙ながらに話していたそうです。義母にとってもこの上ない悲しみだったと思います。
 私は、義母の葬式がこんない辛いと想像していませんでした。でも奈那と一緒に写真に写った義母の笑顔をみると、涙があふれて止まりませんでした。奈那ちゃんと一緒に手を取り合って居てください。私も早くそこに行きたいけど、許しが出るまで我慢します。


ホームへ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?