未来の結果を決定する要因、か。
面白い論題を見たので持論を書いてみることとする。
まず、議論のたたき台を整理してみた。
大まかに言えば意見はだいたい3種類。
1.過去が未来を決定する
2.現在が未来を決定する
3.未来が未来を決定する
これらが見て取れた。
まず、1.について。
人間の「過去」はデータベースのようなもので、それに従って最適化された動きをする。だから、過去は未来を規定する要因であり「今」は既に確定した未来を揺らがせる変数の役割を果たす。
2.について。
人間のニューロンは「今」の思考しか出来ない。
どんな過去があろうとも「今」の決定こそが未来を決定する因子に他ならない。
3.について。
これは、量子力学的な観点で「未来ってのは観測するからこそ目の前に現れる。想像した未来になるように現在は目の前に存在する」というもの。
(若干これは量子論の根底を拡大解釈した論なのでなんともオカルティックになってしまわざるを得ないが…)
↓(以下、弁明)
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量子論、っていうのは未来を決めるからそれになる、っていうオカルト話ではなく電子や原子以下のミクロの世界では「存在する」という事象すら確率で揺らぐ世界線ですよってお話。だから、「在る確率」と「無い確率」が並行して存在するっていう直感に反した状態になる。これを観測することでどちらの状態なのかが確定する。っていう物理学の新力学論だ。
よくある猫の例えだと、箱の中を覗くまで猫が居るか分からない状態の時、中に猫が「居るし、居ない」という平行世界の状態になっている。この箱を覗く(観測)することで自分が「猫の居る」
世界線に来たのか「猫のいない」世界線に来たのか分かる…というもの。
ここで大事なのは「観測の効果」(観測精度や観測の過不足など)で世界が決定するのではなく「観測したという事実」によってどちらかの世界に振り分けられるってこと。けして、猫がいて欲しい!と願ったから猫がいる訳では無い。
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なるほどね。どれも興味深い。
ここまで意見をただまとめてきたが、引っ張って申し訳ない。私の意見を言ってなかった。
持論は2.今が未来を決める、だ。
でもこれは少々難儀な話で順を追って説明しよう。
私は1.と3.の意見を両方支持している。だからこそ、その中間となる「今」こそが決定する要素なのだと思っている。
ここからは1.過去が未来を決定する理由、3.未来が未来を決定する理由、このふたつを支持する視点を述べてから2.現在が未来を決定する理由を述べていきたい。
まず1.過去が未来を決定する、を支持するという視点から。
過去が現在の判断を規定する。これは紛れもない事実だと思う。確かに生きている上で過去を参考に現在を全て確定させている、という実感を持つことは極めて難しいだろう。他人の意見を排斥出来ないからだ。
わかりやすい例を頑張って考えると、恋愛が分からりやすい例えになるのかもしれないと思う。
家族や元パートナーというデータ(過去)があって、好きになるタイプや性格が決定する。その後、誰とも付き合わない状態で好きなタイプが変わることなどあるのだろうか?いや、変わらないと思う。よくある「拗らせ」や「過度な恋愛観」などがちょうど良い具体例としてあげられるのでは無いだろうか。あれらも、自分の過去を反復することで自分の中でルールが決まって、現在の判断が確定していると言える。
しかしながら、「現在」という不確定な要素の中で新たな出会いがあり、そのデータが「自分の過去」になることで確定した自己ルール(自分のタイプ)が変わっていく…そう思うと、妙に納得できる所があるのではないか。
<ここまでの結論>
過去は現在の判断(自己ルール)を確定させ得る
次に、3.未来が未来を規定するについて話していきたい。
じゃあ、さっきの話を聞くと、ここで疑問が出る。
「それならば、偶発的な変数の変更以外で人生の方針は変わらないのか?能動的に変わらないのか?」
自分の結論は「ノー」だ。十分に変わり得る。
別に量子論的なオカルト話をして時間が過去から未来に流れる、とか過去は変わる、みたいな話がしたい訳では無い。
全ての物事は「事象」と「解釈」にわけられる。これは間違いないだろう。
雨が降った。(事象)濡れてやだなあ。(解釈)
喧嘩した。(事象)あの子は嫌い(解釈)
気圧が低い。(事象)モヤモヤするしなんも考えたくないな(解釈)
人間は解釈することからは逃げられない。
何も考えていない瞬間さえ、無意識では解釈をしている。判断をしているとも言えるかもしれない。
解釈から逃げられるとしたらお釈迦様やキリスト様の域だ。
(よく宗教学では悟り、と表現されるありのままうけとること)
人間が「過去」と呼んでいるのは「解釈」の事だ。
過去に起きた「事象」は変わらないが「解釈」は変わりうる。
(元パートナーにされた事象自体は変わらなくても時間がたつにつれて解釈が変化し、思い出になるようなもの)
加えて、人間は「過去」をデータベースとして保管しているのではなく、その都度記憶をニューロンの電気信号経路を頼りに再構築してるのだそうだ。だからもちろん過去自身も再生する毎に欠落、補完、変容していると考えるのもおかしくは無い。
そして、「解釈」の変容よってどの過去を想起するのかも変わってくる。全ての過去は平等に保管されいる訳ではなく重み付きで保管されていると考えるのが妥当だろう。(楽しい誕生日や惜別のシーンはしばしば思い出す一方で日常のひとコマはあまり思い出さないのとおなじ)
では、どのように重みをつけられて過去は想起されるのだろうか?その結論は『目的に従って』だ。
目的とはなんだろう?
それは、「将来(数秒先でも構わない)こうなりたい」という願いだ。無意識であっても、思考パターンは人によって様々であっても、なにか目的を持って思考をしている。(それが『今は何となく寂しいから寂しいこと思い出そう』という瑣末な目的であっても)
楽しいと思った時は、その当時楽しかったことばかり思い出す。
何故か悲しい時や絶望した時は、その当時は気にならなかったことまで気になってきて悲しくなる。
喧嘩をすれば別に気にしてなかった瑣末なことまで腹が立つ。
そうやって、人は無意識の目的(このあと悲しくなりたい、このあと嬉しくなりたい、このあと自罰的になりたい)に従って過去にあった「事象」の「解釈」を変更していく。さらに言えば、その目的に合わせて「過去の解釈」を寄せ集めて回帰直線的な「自己ルール」を生み出している。(過去にこんなこともあったし、きっとこの先もこうなるんだろう)
この話をする時によくつかう例えがある。
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広がった空には星しかなく、星座なんてものは無い。それでも人は星と星を繋げて物語を生み出す。初めから、そこに星座はあったんだと言う。
過去は星のようなものだ。体験した「事象」に確定した「解釈」なんてない。それでも人は、過去と過去を繋げて、解釈を生み出す。これが、僕の人生なんだと言う。
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上記のことより、人は「未来の目的」のために
過去の「解釈」を変更し、「自己ルール」を生み出す。といえる。逆に言えば「未来の目的」が「過去の解釈」を選んで変更しているとも言えるのではないだろうか。
<ここまでの結論>
未来は過去の「解釈」を変更し得る
話が堂々巡りになって来たようだが結論まであと少し。
ここまでの結論は
・過去は現在の「判断」(自己ルール)を確定させ得る
・未来は過去の「解釈」を変更し得る
となっている。ここでは語られていない(まだ規定されていない)現在の思考について話していこう。
思考することは、自由だ。
たとえその思考の善悪や価値を「判断」する自己ルールのは確定したとしても、思考すること自身は何にも縛られていないはずだ。なぜなら「現在」という時間は不確定な変数が大量に存在する次元であり、確定したものが不確定になる時間軸たからだ。
今まで、楽器に触れたことがない人でも、外からの刺激(ギターの音や音楽の広告)を感知して「楽器いいな」と思うかもしれない。
変数が多すぎて不確定だからこそ、現在の思考は、未来の「目的」を変更できる可能性がある。
現在の「思考」が未来の「目的」を変える
未来の「目的」が過去の「解釈」を変える
過去の「解釈」が現在の「判断」を変える
現在の「判断」が現在の「行動」を変える
現在の「行動」が未来の「結果」を変える
よって、
現在の「思考」が未来の「結果」を変える
と自分は解釈している。
こんなにも雑な文章を読んで頂いてありがとう。
あくまで、これは私の解釈であり持論なので様々な派閥があることは理解している。自分はマジョリティでは無いのを理解した上で書いているので多くの人に角が立つ表現もあるかもしれない。それでも、あなたの思想を否定している訳では無いということだけは分かって欲しい。
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