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手の届かないもの ー 北陸大震災のさなかで思ったこと


初めに

先に断っておく。
これは、今回の「北陸大震災」を海の際で被災しかけた者の書き残しだ。
これは、誰かに捧げるための文章ではない。
自らのために書く、書き散らし。

この文章で不安になる人もいるかもしれない。
不快に思う人もいるかもしれない。

その全てを承知で私は筆を取る。
ただ遺しておかなければいけない、そう思ったから。

これは、たまたま生き残った幸運な男の懺悔だ。

共に北陸で生きるものよ。強くあれ。
被害に遭いし同胞よ。安らかにあれ。


16:10 その時、海は。

1/1の16:10。その時、私は海岸の街にいた。
海からは500mほどしか離れていない親戚の家に新年の挨拶に伺っていた。海抜は4mもない地区だったと思う。

ギシっ ー 玄関で挨拶をしていた時、家が大きく軋む音を立てる。
冬の北陸に吹く海風か。そう考えたが、あいにく今日は凪だ。上を見た。ステンドグラスが右に、左に、大きく揺れた。心の虫がザワっと鳴いた。

しかしその時は深刻に考えていなかったのだ。
北陸に珍しい。どこかの余波だろうか ー なんて、甘く考えていた。

「今日は天気がいいし、海を見て帰ろうか」
母はそう言って笑った。止める理由を私は持たなかった。
海がさざめく。細い畦道を走っている時、第一波に遭った。

心の在り方

震度5
 大半の人が恐怖を覚え、ものに捕まりたいと感じる。
 電灯などの吊り下げは激しく揺れ、棚にある食器などが落ちることがある
 ほとんどの置物などが倒れる

震度の階級(気象庁)

車の中の私たちを震度5強の地震が直撃した。
言葉にするとなんと味気ないことだろうか。

車内は免震が効いているとはいえ、上下左右大きく揺さぶられて身動きが取れなくなる。電柱がたわみ、家は軋む。
鳴り響く警報のアラートは津波の到来を告げていた。時刻は16:12。

明確に「死」がそこにあった。

親の絶叫が響く中、自分はただひたすらに無感情だった。
「ああ、死ぬかもしれんな」
人は感情がオーバーフローすると何も感じられなくなるのだろう。
ただ、それだけだった。

「津波がきます。到達時刻は16:18。到達高度は3m。逃げてください逃げてください。」

けたたましく鳴る非常事態のサイレンに揉まれながら、母は親戚の家を目指し車のアクセルを踏んだ。

恋人からのLINEが1件。
「ぶじでいてね」 

私は祈るようにスマホを握りしめた。

一時の安堵

幸い海抜18m程度の山岳エリアに親戚が住んでいたので、そこに一旦身を寄せた。

中にいた帰省中の叔父が声をかけてくる。
「おーい。この辺じゃ、この辺なら山の中腹やから大丈夫やで。一族みな
 集まっとるで、はよ中入りぃ」

しばらく外で待っていると続々と近くの親戚が集まってきた。
なんとか高台の家に集まれたことで皆、安心していたようだ。

その時、誰かが言った。
「あんたんとこのおばあちゃんとお父ちゃん、来てないでな」

16:23 正常化バイアス

空気が凍ったその勢いのまま、電話番号を押す。
「はぁい…いやあ〜ひどいねえ」
祖母の呑気な声が電話から聞こえた。

「おばぁ、逃げんと!」
「いやぁわ。寒いし。こんな時間外出たないで」
「そんなこと言うとるヒマあるかいな!いくで!」
「そんなこと言うてもしゃーないやん。多分大丈夫やで、いいわ」
そこで電話が切れた。

祖母と私の会話

この時、16:23。母はハンドルを掴んだ。
「迎えに行ってくる」

命の選別

私は本来、止めなければならなかったのだろう。
祖母の住む街は海抜8m。大きな川の氾濫圏内だった。

しかし訳あって私は幼い頃の大半を祖母の家で過ごしていた。
そして父は運悪く高熱を出して寝込んでいる。
ここで行かなければ、きっとふたりを見殺しにすることになるだろう。

私は「死にたくない」「ここに留まろう」と思った。
しかし母にとって父と祖母はそう簡単に見捨てられる相手ではなかった。

そして私にとっても母は見捨てられる相手ではなかった。

結果、私は母について街まで降りた。
「あぁ。こうやって皆、家族を助けようとして死ぬのだろうな」
車の中でそう思った。

恋人からのLINEが1件。
「大津波警報出てるって もっとにげてくれ」 

時刻の表示は16:25。県の都市部に津波は到達していた。
スマホの緊急警報は止まない。


分かり合えぬ人

祖母宅までの道のりは逃げる人々でごった返していた。
なんとか祖母宅につき、靴のまま家に踏み込む。家の中は割れた茶碗や皿が散乱していた。

「なんじゃあそんな慌てて。」
「おばぁ、行くで!」
「いやぁわ。準備もできとらんのに。」
「カバンあるから!杖持って!行くで!」
「下着も持ってないし…あ、親戚に会うなら洋服あっちの部屋に置いてあるんよ」
「そんなこと言うてる時間ないで!」

祖母と私の会話

嫌がる祖母を車に押し込み、出発した。
その間に私は父に連絡する。

「高熱でしんどいやろうが行くで!」
「俺は行かんで。ちょーし悪いし、置いてってくれ」
「そんなこと言わんと!ほれ!」
「なにアホなこと言うとんじゃ、北陸に津波なんかくるかいな。」
「今!来とるやない…」

父と私の会話

ブツッ。そこで電話は切られた。
母はどうにも諦め切れないようで「説得する」と言って自宅へ向かった。

16:40。 街は未だ震度3の余震で揺れていた。

緊迫の30分

家につき、靴でそのまま踏み込む。
「家に土足で入っちゃいかんでしょ!」
後ろから母の声が聞こえる。

家の中は花瓶が割れ、神棚の御神酒は砕け、盛り塩皿は粉々になっていた。

「あぁ。買ったばかりのカーペットが…片付けないと」
「そんなことしてる場合じゃないやろ!」
「そんなこと言ったってお部屋を綺麗にしとかんと」
「そんなん言ってて死ぬで!親父、説得行くんちゃうんけ」
「だって猫も残っとるし置いてけんもん…」
「言うてる場合か!」

母と私の会話

説得の甲斐なく、父親は家を離れようとしない。
家に残ろうとする母の肩を乱暴に掴み、車へ向かった。

時刻は17:10。
満潮の時は刻一刻と近づいてくる。

17:30 避難の途中

父とペットを家に残し、母、祖母とともにその場を後にする。

道すがら、コンビニがあったのでできるだけ水と食料を買い込んだ。
水を片端から買い込む老人、惣菜をカゴに詰める夫婦、割れた酒瓶を片付ける店員。さまざまな人と交錯した。

「店員さん、何かにったら逃げなさいね、命が一番大事よ」
「…はい、でも店頭に私しかいないので。皆さんもお気をつけて。」
「仕事より命よ」
「本社から避難指示があれば逃げます…ありがとうございます」

母とコンビニ店員の会話

さて、この後どこに行こうか。親戚の家にでも…と、そこで祖母が口を開いた。

「親戚の家、いやわ。行きたない。」
「なんでや、あそこが一番高いぜ」
「なん、あの辺は山やから崖崩れするわいね」
「そんなこと言ったってじゃあどこ行くんよ」
「…家帰りたいわ。もうさむぅなってきたもん。」
「いや、あの辺低いやんか、そうはいかんよ」
「ウチ居れば大丈夫ながぃて…」
「ならどこならいいん?この辺やったら〇〇のあたりの海抜は高い?」
「うーん。まあそうやねえ…。」
「ならそこ行こか」

祖母と私の会話

確かに祖母の意見も一理ある。

今自分たちがいるエリアより親戚の家の方が標高は高いものの5Kmは海に近い。それに親戚の家まで行くには大きな川にかかる橋と海抜の低いエリアを通らなければ辿り着けないため、そこまで行くのを断念した。

最寄りの避難所は車でひどい渋滞だった。中に入ってはもう車は出せない。そのため避難所近くの広い駐車場に車を停める。時計の針は17:30を指していた。海抜がそれなりにあり、地盤が安定した避難所の近くで小休止をとった。

携帯の連絡が鳴り止まない。
まずは心配する恋人に電話をかけた。
相手を落ち着かせる目的もあったが、とにかく相手の声が聞きたかった。

「心配かけたごめん」
「大丈夫?!」
「なんとか。親戚ともども一応避難はできた」
「とりあえずはよかった。油断しないでね、戻っちゃダメだよ。」
「…そうだな。気を付ける。」
「命あればだからね。」

恋人と私の会話

「ごめんな」
電話を切り、心の中でひとり謝る。満潮は19:18。未だに峠は越えない。

祖母の提案

もうしばらく経つと、車の後方で祖母が文句を言い出した。

「もう寒いわぁ。帰りたい」
「そんなこと言わんと。まだ揺れて危ないだろ」
「えぇー。私もう死んでも悔い無いわあ。寒いから帰りたい」
「満潮時間までは危ないから、ダメや」
「そんなことない、もう大丈夫やから帰ろ。帰ろうや」

祖母と私の会話

不満を述べる祖母をなんとか満潮時間がくるまでなだめ透かす。
「やれやれ」と言った顔で母と私は顔を見合わせた。

満潮時刻を過ぎた頃、母はそのまま諦めた顔で車を出した。
「おばあちゃん、家まで送っていくね」
私たちは、なんのために危険を犯したのかわからなくなった。

時刻は19:24。徒労感がどっと体を襲った。

その後

祖母の家まで車を出した後、断続的に震度2程度の余震が続いた。
しばらくは避難所付近の駐車場で待機していたが20:30を過ぎ、大津波警報が解除されたことを境に家路についた。
(家は三階建鉄筋コンクリート造である)

目の前に大型の立体駐車場があり、何かあったらそこに逃げ込む算段を立てて仮眠の準備をする。

寝ている間も1時間おきに家が軋む。
未だ断続的に続く余震で酔いながら、睡眠をとった。

次の日、「ほら何もなかった、大丈夫だっただろ、心配しすぎだ」
私はそう言われた。


私は生きている

この文章が書けていると言うことは私はなんとか生きているということだ。
未だ余震は止まないが、なんとか一族郎党みな被害なく無事である。

しかしながら能登の先、震源近くの人を思うと心が痛む。
こちらはまだ雪がほとんどない状態での被災であったから、まだ移動もスムーズだったし寒さもそこまでではなかった。

同じ北陸の民として吹雪降りしきる中、被災するのはなんと心細いことかと考えてしまう。ましてや震度7である。私の感じた恐怖なぞとは比べものにならないはずだ。

それでもなんとか、私は生きている。
まず、それが最大の成果である。

私の感じたこと

被害自体はむしろ小さい方で、壊滅的ということはない。
私が心配性で騒ぎすぎているだけなのかもしれない。
それでも震度5強に海岸近くで遭遇したのは間違いのない事実である。

16:20。私はいやに無感情であった。
私はあの瞬間に《命の選別》を確かにしていたのだ。

白状しよう。私は、逃げようとしない父と祖母を切った。
ただどうしても、父に尽くそうとする母だけは見捨てられなかった。

海に向かっていくなんて自殺行為だ。助けようとした人は皆なくなったのだ。バラバラでいい。救おうとするな。まず、逃げるのだ。

津波てんこでんこ

その言葉は間違いない。

私は確信している。もし予測の通り【東日本大震災クラスの津波】…いや、もっと低く5〜10mクラスの津波であっても、街を直撃していたら私たち家族はとっくに死んでいただろう。

なぜ母は迷いなくハンドルをとったのか?

母にとったら大切な夫だ。見捨てられなかったのだ。
私が母を見捨てられなかったように、母も父を見捨てられなかったのである。

その行動に、命はかけられるか?

命には優先順位がある。この地震を経て、身をもって知った。
それは「自分の命を賭しても救いたい命かどうか」と言うことである。

釈明しておくと、これは優生思想や人の絶対的なランクづけなどでは断じてない。それぞれの人に守りたい人がいて、それぞれの人が自分にとって大切な人を守るために行動している。ただ、それだけのことなのだ。

今回は多くの人にとって遠い雪国の出来事である。
でも一度、立ち止まって考えてみてほしい。

南海トラフ・首都直下型地震。
救いに行けば間違いなく自分が死ぬ状況で、あなたはどうするのか。

「みんな連れて逃げる」「みんなを助ける」「自分なら逃げられる」
そして「自分の命なんかどうでもいい」
口にするのも、意見を表明することも簡単にできるだろう。

もちろん、私も頭ではそんな正論を理解していたはずだ。

「(ここで、留まっていた方が安全や…)」
「おい!〇〇!(私の名前)。どうするんや。」
「…! そうか、俺しかいないのか。」
親族が私を見ている。父親不在の中、分家で最も年端のいった男は私しかいなかった。

親族と私の会話

しかし私は自分ごとになって初めて気がついた。災害の現場では、自分の責任で誰か見殺しにしなければいけない瞬間があるのだと。そうでなくては自分が死地に飛び込み、救い出すほかない。


被災時の意見でこんなものを見た。

「ずっと『消えたい』と思っていたのに、地震になったら死にたくないと思う。死にたくない。」

とある人物の悲鳴

あなたはあなたは思うよりずっと自分が大事で、そして大事にされている。
同時に、あなたが誰かを助けるために死んだら悲しむ人がきっといるのだ。

そのことも、私は十分に理解しているつもりだった。

しかし、それでも流されてしまった。大事な人が待っている状況で、命を捨てるような真似をしてしまった。

家族全員を見捨てて自分だけ助かるのか、助かる可能性に賭けて全員死ぬリスクを背負うのか。

そんな究極の二択が、私の目の前にあったのだ。
自分を待っていてくれる人がいる状況であの選択をしたことに、申し訳なさを覚える。正直、私は冷静さを欠いていたと思う。
しかしあの時【私は家族を見捨てて自分だけ助かる】という選択肢の罪悪感に耐えられなかったのだ。

正直、私はどちらが正解だったのかも未だにわからないでいる。

しかし、これを読んでいる皆。
きちんと【自分の本当に大切なもの】を見つめて判断してほしい。

これは、運よく命びろいをした愚か者の警句である。

災害時はみな、自分の大切なものを守るために動く。
君が守りたいものは、君にしか守れない。
そこに命をかける価値があると本気で思うなら動け。
しかし、下手に動けば何も救うことはできない。

責任は、自分しか取ってくれない。

愚か者の警句

手の届かないもの

そして、私はいかに自分の命が小さいものであるかを悟った。
私ひとりが死んだところで、何も変わらない。誰も救えない。

「自分が犠牲になれば誰かが助かる」なんてことはない。
自分も死ぬし、助けたかった人も死ぬ。
全て無駄死となってしまう。

これは私だけでなく、あなただってきっとそうだ。

被災後のテレビ放送やX(Twitter)だってそう。「被害の凄惨さ」や「被災地での性被害」の話を聞き、いくら画面の前で悲しんだところで何も変わらない。

あなたは悲しむのではなく「自分ならきっと誰かを救える!」と過度に意気込むこともしなくていい。

きちんと自分のできることを見つめて『もし自分が被害にあった時は大切な人をどうやって守るのか』を考えてほしい。あなたの手で救える範囲のものを大事にしてほしい。

そして、それでもまだ「助けたい」と言う気持ちがあるのならば、ちゃんとした所に1円でもいいから募金をしていただければ助かる。


最後に。

ここまでの長文・乱文を読んでくれた皆に感謝を伝えたい。
私なんかよりよほど大変な人はたくさんいる。筆を取るのも烏滸がましいほどだ。

文章の中で強い言葉も多く使ってしまった。不快感を覚えた人も少なくはないはず。その点、謝罪をさせてもらえれば嬉しい。

これを書きながらも、未だ余震で揺れている。
それでもいち早く伝えなければいけない。そう思った。

次の被害が発生する前に。少なくとも「この程度で」あってもこれほどの緊迫感と恐怖を感じるのだ、という声を届ける必要があると思った。

南海トラフ・首都直下型地震。
もしかしたら、次に《命の選別》をしなければいけないのはあなたかもしれない。

あなたに何かがあった時、この内容を頭の片隅にでも置いておいてくれたら助かる。そう思いながら今日は筆を置こうと思う。

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