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いっそ家族になりたいという感情が、愛しくてかなしいものだと知った。恋情を経由しない、特急列車一生友達行きの不確かさ。たった2文字で壊せてしまえる関係の脆さに、その年月の深さに、瞳が潤んで仕方がなかった。はじめて乗る西鉄・山手線の滑らかさは、壁を這うようで、俯く私の横顔を伝う涙の速度を誤魔化してくれる気さえした。もう、6年になる。モラトリアム期間を、思い思いのままじっくりと溶かすみたいに味わって生きる姿は、お互いの目にどう映っているのだろう。大人になってからできる友達は大事にした方がいいとよく言うけれど、大人になっていく友達を、縛りも離しもせず、ただそこにいてくれる友達はもっと大事にしたいと思う。だから、大事にさせてくれる距離にずっと居させて欲しいと思ってしまう。側にいるために、それっぽい大義名分を探してしまうのは、ただ不安心な大人の子どもじみた大人らしさゆえだ。友達なんていうどこにでもいる名前を、どうか消えない跡にさせてほしいと、告白されたことを思い出す。今なら少しだけ、あの男の子の心がわかるかもしれない。言葉の器が、つまるところその形式が、溢れてしまった意味に溺れてしまったのだろう。割れたら戻らないとわかっていながら、あの時のわたしはそれを容赦なく割った。覆水盆に帰らず。後悔もしていないけれど、同じ思いをしたくないからって、意味の収まる大きな器を更に作るのも、幾分か馬鹿げているように思う。だってそんなのイタチごっこじゃないか。わたしの愛は、強欲の壺みたいなものなんだ。いつかきっと、愛することを怖いことだと、もっと愛しく思うのを辛いことだと思うハメになる。それならいっそ、呼吸ごと意味の海に沈みたい。揺蕩うお皿が、どれほど摩擦で形を変えるか見てみたい。流れ着いた先が、恋人と同じぐらいに特別な何かであるかはわからないけれど。いっそ家族になりたいと思いそうなぐらい、愛おしい人生を、できるなら近くで見ていたいと望んでしまうんだ。


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