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【読書】井原忠政(著)『三河雑兵心得・弓組寄騎仁義』を読了〜真田家の運命を変えた「長篠の戦い」〜
井原忠政(著)『三河雑兵心得・弓組騎仁義』を読了しました。
漫画のようなイメージで、簡単で分かりやすく、そして読みやすい時代小説です。しかし、読み応えは十分あって、この巻も楽しませていただきました。
物語のクライマックスの舞台は、「長篠の戦い」です。
この戦いで、大量の鉄砲を使用した織田・徳川の連合軍は、戦国最強といわれた武田騎馬隊を、完膚なきまでに叩きのめしました。
武田四天王といわれた四人のうち内藤昌秀、馬場信房、山県昌景の三人が戦死したのですから、戦さの凄まじさが想像できます。
鉄砲の大量使用は、戦国時代初期までの戦さでは、反則技のようなものだったでしょう。しかし、そもそも戦さにルールなんて無いわけで、どんな手を使ってでも、相手をたくさん殺してしまえば勝ちなのです。
この小説には描かれていませんが、あの真田丸で有名な真田幸村の父である真田昌幸も、武田軍として参戦しています。そして昌幸の二人の兄、幸村にとって叔父さんにあたる真田信綱、昌輝兄弟も参戦しています。
しかし、昌幸の二人の兄は、この「長篠の戦い」で戦死しているのです。
そのため、戦死を免れた三男である昌幸が真田家の家督を継ぐことになります。
戦死を免れた真田昌幸は、後に徳川家康を大いに苦しめることになります。そして大坂の陣では、次男の真田幸村が家康の首に迫ります。これは本当のことなのか、フィクションなのかは謎ですが、真田丸を作って徳川軍を苦しめたのは確かです。
真田昌幸、幸村の戦さは、敵をギリギリまで引きつけておいて、一気に攻撃に転じるという戦法です。
これは設楽原で信長が馬防柵を作って、武田軍を引きつけておいて大量の鉄砲を浴びせかけた戦法に似ています。
真田昌幸は「長篠の戦い」で、信長の戦法を見ていたはずです。
そして二人の兄を殺されたことで、徳川家康に対して根深いを恨みを生んだのかもしれません。
正に「長篠の戦い」は、真田家の運命を変える戦さだったのです。