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なぜ生物多様性を保全する必要があるかの理屈は存在しない
先に現時点で私が到達している結論を書きます。「直観的に生物種が多様なほうが望ましい気はするが、それ以上でも以下でもなく、論理的に理由は説明できない」と考えています。
生物多様性の重要性は抽象的
例えば、環境省のウェブサイトには生物多様性のコンテンツ⁽¹⁾があり、「生物多様性とはなにか」など詳しく書かれています。ところが、保全すべき理由には触れられておらず、「希少な野生動植物種の保全」の項目に「なぜ、まもらなければいけないの?」というページ⁽²⁾に「絶滅危惧種を守ることは、生命の歴史と、私達の暮らしを守ること」といった抽象的な記述があるだけです。
絶滅危惧種保全には技術的な課題あり
保全生態学入門【改訂版】をみると、2章「生物多様性のその危機」に「危機のリストアップ」という節があり、シカの分布拡大・高密度化にともなって、植生防護柵の中にしか絶滅危惧種が存続していない事例があると書かれています⁽³⁾。どの地域を優先すべきか、どの程度増やせばよいか、種の絶滅を防ぐためにどの程度の管理が必要か、などの課題について判断するための調査・研究不足が指摘されています。
生物多様性の中味はとても難しい
確かに、私たちの生活は他の生物によって成り立っていることは間違いなく、特定の生物種消失が及ぼす影響は広範囲に及ぶ可能性があります。ところが、以下の3点があって調査・研究を深めたとしても説得力のある提案ができるとは思えません。
①範囲が設定できない
保全すべきエリアの広さ、生物種の範囲(土壌中の細菌やウイルスを含めるかなど)を示す基準や指標がなく、当該区域で恣意的に対象を定める以外の手法がありません。
②閾値が決められない
たとえエリアを定められたとしても、適切な種類数の理論的な導出は不可能です。多いほうが望ましい気はしますが、例えば30種類なら駄目で、300種類ならO.K.という基準はありません。
③人為的に多様性を作り出せない
ビオトープではコンパクトで多様な生態系を作り出しているという意見はあるかもしれませんが、私たちはお膳立てをしているだけです。大半は生物同士の複雑な関係性と様々な環境条件の下で遷移が自然に進んでいきます。
実践活動とモニタリングは進める必要
もちろん、多様な生物が生息できるような実践活動を進めている方はたくさんおられますし、その努力には頭が下がります。形式美の整った庭だけではなく敷地外からも生物がやってくるような緑地づくりもありますし、そのためのノウハウの蓄積も大切です。ネイチャーポジティブの観点では、生物多様性の保全を目的とした場所でモニタリングを進めることは大事だとされており、投資家からみた企業の評価につながるケースもこれから出てくるはずです。環境省の報道発表によると、自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD:The Taskforce on Nature-related Financial Disclosures)の開示を表明した会社は2024年10月時点で140社と国別では世界最多です⁽⁴⁾。対象となるサイトで、生息生物のモニタリングなどをはじめどのようなことが行われるかは推移を見守りたいです。
生物多様性の保全は直感的に大事
このように、実践活動とモニタリングは進めながらも、論理的というよりは感覚的あるいは倫理的に「生き物は大事だから保全したほうがいい」との点だけを強調すればよく、細かい議論を積み重ねる必要性は小さいです。生物多様性が生み出す恩恵(生態系サービス)に価値観をより置くべきとの考え方も提示されていますが⁽⁵⁾、人間中心の発想になっていることを自覚し、物質的なサービス(薬用植物など)を受けるのであれば環境容量の範囲内で必要最小限にとどめることが求められます。また、緑地において植物、鳥、昆虫などの観察を通じて生物多様性を実感することは子どもたちの環境教育にとって非常に重要で、保全の意義を理屈抜きで理解できます。ただし、生態系サービスは生物多様性の高低とはそれほど関係なく享受できるほか、緑地に植栽する植物の種類は増やせてもそこにやってくる鳥や虫は人為的にコントロールできない点に特徴があります。いずれにしても、生物同士の巧みな共生関係といった人間社会にとっても参考になる点をいろいろ学ぶほうが有益で、生物多様性のベースとなる生物同士の相互作用、競争、寄生・捕食、共生といった様々な角度から数多くの調査・研究が進められています⁽⁶⁾。そうした研究を通じて長い年月をかけて作り出してきた生物のメカニズムの見事さに敬意を示し、謙虚な姿勢で保全に取り組むことが大切です。
出典:
(1)環境省「生物多様性」
https://www.biodic.go.jp/biodiversity/about/index.html
(2)環境省「自然環境・生物多様性」
https://www.env.go.jp/nature/kisho/hozen/naze.html
(3) 矢原徹一・鷲谷いづみ. 保全生態学入門【改訂版】遺伝子からランドスケープまで. 文一総合出版. 336p.
(4)環境省「自然関連財務情報開示タスクフォース(TNFD)に対する拠出について」
https://www.env.go.jp/press/press_03929.html
(5)森章研究室「生物多様性」
https://akkym.net/about/biodiversity/
(6)深野拓也「なぜ人は自然を守りたいのか? 生物多様性保全のカギ① 生態学」
https://magazine.msz.co.jp/series/evolution-ecology/2/
注(イラストの引用元):
プロジェクトデザイン「生物多様性とは何か?その意味と現状、企業や自治体の取り組み事例」
https://www.projectdesign.co.jp/knowledge/biodiversity/