身体拘束のマニュアル(医療スタッフ向け)
〈身体的拘束とは〉
身体的拘束とは、専用の拘束用具を使用して、一時的に患者の運動を制限することを指す。これは、患者の生命を守るために行われる。精神科では、後述する基準に該当し、「緊急性がありやむを得ない場合」にのみ実施される。「緊急がありやむを得ない場合」については、1.切迫性 (患者本人や他者の生命、身体、権利が危険にさらされていること)、非代替性 (他に適切な代替手段がないこと)、および一時性 (身体拘束が一時的なものであること)の要件を満たし、かつ慎重な手続きを経て実際される場合のみ許可される。また、身体的拘束は精神保健福祉法に基づく行動制限であり、いかなる場合でも精神保健指定医のみが実施の判断を行うことができる。非指定医である医師、当番医、当直医などは実施の判断を行うことはできない。しかし、身体拘束は制限の程度が強く、患者に精神的苦痛を与え、生活意欲の低下を引き起こす可能性がある。さらに、後述するような二次的な身体的障害や窒息など、死亡事故のリスクも伴う。そのため、拘束中は患者の状態を十分に観察し、できる限り早く他の方法へ切り替えることが求められる。
〈開始時に確認すること〉
※身体的拘束の実施判断は、精神保健指定医のみが行えることに留意する。
代替方法の検討
身体的拘束以外に選択肢がないか、精神保健指定医と看護師で検討する。該当状況の確認
以下のいずれかに該当するか、精神保健指定医と看護師で確認する。
自殺企図や自傷行為が著しく切迫している場合
多動や不穏が顕著な場合
精神障害により、放置すると生命に危険が及ぶ場合精神保健指定医の診察
精神保健指定医が直接診察する。理由の説明と家族への連絡
拘束の理由を患者に伝え、理解の有無に関わらず「身体拘束に関するお知らせ」を本人に渡す。また、家族にも連絡を行い、その旨をカルテに記載する。記録の作成
拘束を実施したこと、実施理由、開始日時、拘束部位(両上肢/片上肢、両下肢/片下肢、四肢、体幹、肩など)が記載されているかを、精神保健指定医と看護師で確認する。看護師の記録
看護師は、上記の内容や精神保健指定医のサインが診療録に記載されていることを確認し、患者の反応を含め看護記録に記載する。拘束中の血栓症対策
拘束中は深部静脈血栓症のリスクが高まるため、弾性ストッキングを着用させるか、間欠的空気圧迫法を実施する。身体拘束中はできる限り定期的にD-dimerの採血(開始時や解除時)を行う。
〈身体的拘束時に確認すること〉
医師が原則として1日あたり2回以上の診察を行い、拘束の必要性や病状等をカルテに記載する。看護師はこれを確認し、記載漏れがあった場合は速やかに医師(非指定医でも可)に報告する。
看護師は15分に1回以上(1時間に4回以上)訪室し、患者の身体・精神・睡眠の状態を確認する。この場合の身体に関しては、後述する起こりうるリスクに留意しながら、バイタルサイン、呼吸状態の異常の有無、胸郭運動の異常の有無、循環障害の有無(チアノーゼ、浮腫などがないか)、神経障害の有無(特に上肢においては橈骨神経麻痺、尺骨神経麻痺に留意する)、皮膚の状態、腸蠕動の状態、水分の補給、イン・アウトバランスなどを観察し記録する。
〈その他確認事項〉
可能であれば最低2時間ごとに一時的に拘束具を除去し、体位変換を行う。血行障害防止のため、拘束部分のマッサージや下肢の運動を行い、褥瘡の予防に努める。
拘束帯や器具が強く締めすぎていないか、不具合がないか、関節の可動を妨げていないかを観察する。
食事介助時は誤嚥に留意し、食事の摂取量を観察する。
口腔内および皮膚の清潔に配慮する。
患者の不安や生理的欲求(排泄、飲水)をいつでも伝えられる環境を整える。
拘束帯は誰でもわかるように備品を整備し、定数を管理する。拘束時に使用する備品(拘束帯のピン、マグネット等)の定数を確認する。
〈身体的拘束の終了時〉
医師(非指定医でも可)が解除日時を診療録に記載すること。
〈身体拘束中に起こりうるリスク〉
筋肉・骨への影響
不適切な拘束や臥床により、筋肉量が急速に減少し、関節拘縮が発生する。特に下肢の筋力低下は上肢よりも早く進行する。
循環器系のリスク
長時間足を動かさないことにより、血流が滞り、下肢静脈血栓、脳梗塞、肺塞栓症が発生する可能性がある。肺塞栓症は、下肢の血栓が肺に詰まることで発生する。症状として急な胸痛、呼吸困難、血圧低下があり、重症化すると死亡することもある。
呼吸器への影響
過度の締め付けや不完全な拘束は呼吸を抑制し、室息や無気肺を引き起こすリスクがある。仰臥位が続くことで、気管内分泌物がたまり、肺炎のリスクも高まる。
消化器系の問題
臥床によって腸の動きが鈍くなり、便秘やイレウスが発生しやすくなる。
泌尿器系のリスク
仰臥位では排尿が困難になり、残尿が増えることで膀胱炎や尿路感染症のリスクが高まる。
皮膚の問題
長時間の圧迫により、褥瘡や湿疹が発生する。特に尿や汗による湿潤も原因となる。
精神的影響
身体拘束は患者に強い不安や恐怖を引き起こす。拘束による精神的ストレスが増すと、拘束帯を外そうとして事故のリスクが高まる。感覚刺激が減ることで、無気力や無関心が生じることもある。
手技・観察ミスのリスク
拘束方法が不適切な場合、患者が拘束帯を外そうとして死亡事故につながることがある。実際に、首に抑制帯が引っかかり死亡したケースも報告されている。強すぎる拘束は神経麻痺や呼吸抑制を引き起こし、手技や観察ミスが重大事故につながる可能性がある。その際の病院の過失責任は免れないため、正確な知識と熟練した技術が要求される。
〈参考文献〉
(社)日本精神科看護技術協会(編). 精神科ナースのための医療事故防止・対策マニュアル 改訂版. 日本精神科看護技術協会, 2006. ISBN: 978-4-902099-87-4.
松崎朝樹. 精神診療プラチナマニュアル 第3版. メディカル・サイエンス・インターナショナル, 2024. ISBN: 978-4815730970.
厚生労働省. 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律第三十七条第一項の規定に基づき厚生労働大臣が定める基準. 厚生労働省. https://www.mhlw.go.jp/.