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尻をたたくもの
vue3とDjangoでガントチャートを作ってるのだけど、なんとかMECHPHAISTOS(Webアプリ)に実装できるレベルに形づいてきた。一旦どこかで、機械エンジニアがデプロイするまでといった内容で記事を書きたいな…
起業への導き
突然だけど、私が起業するきっかけ…というよりは今もモチベートになっていることは以下の3つの事柄なんです。
明日もう死んでもいいかなっていう自己受容感
金
国への憂い
3については、どこか別の記事で書きたいと思ってますので、今日は割愛。
明日もう死んでもいいかなっていう自己受容感
現在、私はまだ化学工場に勤め、ハイブリッド起業で最小のリスクでの起業を狙い二足の草鞋を履いてます。
そんな私が、起業の準備ができるのが、夕方の17時~22時までの5時間。
幸いにも地方の田舎なので、平日におけるチェーン店のカフェの人は少なく、ゆっくり起業の準備(主にWEBアプリの製作)に勤しむことができる。
友人からは「40歳近くになって、そんなによく頑張れるね」と言われるけど、正直さぼりたい日はある。
ただ、明日死ぬかもしれないし、もう一般的な寿命と言われる年までの時間がない。
私が起業後にやりたいことのおそらく30%に達することなく、寿命の年に達するだろうと思う。
ここからがちょっと自分でも何言ってるからわからないのだけど、
やりたいことがあるのだけども、一方、独身であることと、家のことや日々の生きがいっていうのが薄れてきてて、明日死んでもいいやっていう感覚も兼ね備えている。
明日死ぬかもしれないという危機感 vs 明日死んでもいいやっていう自己受容感
という矛盾。
これはいつか誰かメンタリスト的な人がいたら、どういった心理状況なのかを分析してほしいな。
金
私は兄を病気で亡くしている。
その根本的な原因としては家庭環境が大きく影響していると思う。いわゆる虐待やネグレクトでなく、母親から過保護や過干渉によるもの。ある種”毒親”のジャンルに入ると思う。
私は奔放的に社会とコミュニケーションを取りながら育ったので、一歩引いた視線で見ることで比較的に早い段階でこの呪縛に気づいた。とはいっても20代後半だったが…。
端的に言うと、こうした環境で家族というバックグラウンドがない、もしくは期待できない状況だと”金”というものでしか生活の安心感が得られない。
この矢沢栄吉の動画がすべてだと思う。
そうすると、どうしてもサラリーマンであることに限界というか満足しなくなる。いや、たぶん満足できたはずなんだけど、数十年前は!!
ここなんだけど、結局はいい大学に入って、いい会社に勤めれば生活は安定して幸せという呪縛にずっと縛られてきた。
ただ、その呪縛の正当性が成り立つのは、私たちの親の世代であって、そういったテンプレートでなく、生き方によって臨機応援にライフスタイルを変えていかなければ、自分の幸せを追求できない時代なんだと学んだ。
私の兄は、ここで躓いてしまったのだと思う。
これは国を憂うことと繋がってくるのだけど、サラリマーマンとは経済的にいえば、経済的な優位性を保てないのだと感じてる。(ここはいつか3項で触れたい)
だからこそ、今の私にあったやり方や生き方、背景や思想にあったのが起業として会社を作ることになったのだと思う。
そして今日もこれから、
「また、あいつ来たよ」とカフェの店員に思われながら、作業を開始したい。